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消えた「藤井曲線」

藤井聡太竜王・名人の勝ちパターンといえば、「藤井曲線」です。

序盤中盤から少しずつリードを積み上げ、逆転を許さずそのまま勝ち切るときに使われます。
評価値を示すグラフがなだらかに曲線を描き、ぶれることなく終局に至るところから、いつしかその名がつきました。

対局相手は口を揃えて「どこで悪くしたか分からない」とコメントし、そのあまりの完勝ぶりに、「藤井曲線」は藤井竜王・名人の代名詞ともなりました。


そんな藤井曲線、最近あまり見られなくなっている気がしませんか?

七冠を保持し、最後のタイトルとなる王座戦に挑んでいる藤井竜王・名人ですから、勝ち星を上げているのは間違いないのですが、以前のような勝ち方ではない。

中盤にかけて相手の作戦に苦心し、押され気味ながら、勝負手を交えて形勢の針が振れるという将棋が増えているように思います。

とりわけ、第35期竜王戦(2022年)の広瀬章人八段戦辺りから、序中盤で苦慮される場面が増えている気がしています。

その理由は何なのか、二つの点に着目し、考えてみたいと思います。


先を見据えた研究姿勢

一般に、対局を前にした棋士は、相手の棋譜を調べ、AIを駆使して作戦を研究されていると聞きます。

研究の結果、たとえ一手でも、相手より先の局面を知っていることが勝ちにつながるという考えのようです。

もちろん膨大な分岐がある将棋ですから、一手先と言っても開拓するのは容易ではなく、相手の棋風も考慮しつつ、可能性の少ない変化は捨てながら少しでも先を、相手よりも深く研究するのがトレンドとなっています。

対局者双方がそうした研究を重ねるため、棋士の負担は増大していると言われています。

一方、藤井竜王・名人は、インタビューでこんなことを答えています。

――(略)AIが登場したことで今の棋士は研究が大変になったということを耳にしますが、藤井先生もそう感じますか?
藤井「それは特にはないです」
――えっ! そうなんですか。
藤井「自分の場合、一局ごとに作戦を立てるということはしていないので」

では、何を研究しているかというと、

直近の対局にそれほど関係なく定跡の作成と更新をしているという感じです

一局ごとに作戦を考える方に比べれば、自分のほうがやることは少ないはずです。作戦の意図というか趣旨を生かすにはある程度深い理解が必要なので、毎回違う作戦をしようと思うとそこでの大変さは出てくると思います。自分の場合は定跡作成は定跡作成として行っていて、実戦で有利に立つためにやっているということではないので、そこは負担ということはないです

相手より少しでも有利になるための研究ではなく、普遍的な定跡を作る。

多くの棋士にとって、藤井竜王・名人との対局は大一番です。
その一局に勝つため、渾身の作戦、研究を練りに練って臨まれていることでしょう。

村田顕弘六段が王座戦挑戦者決定トーナメントを前に、「棋士人生を懸けて戦う」とコメントされたのが思い起こされます。
事実、その努力は「シン・村田システム」として結実し、若き王者を絶体絶命のところまで追い詰めました。


一方、藤井竜王・名人は、その対局を意識しすぎることなく、定跡を作っている。
また、藤井竜王・名人は相手の作戦を避けることがありません。

この姿勢の違いが、序盤中盤で流れを相手に渡す要因ではないでしょうか。

では、なぜ藤井竜王・名人がこのような研究姿勢をとっているかというと、先を見据えているからだと思っています。

「まだまだ実力的に足りないところが多いと思う」とは、藤井竜王・名人の常套句です。
先のインタビューでも、「レベルが上がったらさらに次のレベルが出てくる」と言われています。

目先の対局に左右されることなく、さらに次のレベルを目指して、藤井竜王・名人は、普遍的な定跡作成に臨んでおられるのだと考えています。


先手角換わりが強すぎる

先手番で圧倒的な勝率を誇る藤井竜王・名人、その原動力は角換わり腰掛け銀です。
一時期、矢倉や相掛かりを指されたこともありますが、主力は角換わり腰掛け銀に回帰されています。

角換わりといえば、AIを用いた研究で、一定数の局面を覚えさせるだけで評価値を+300にできる、そしてそこからの逆転は少ないことから、「角換わりは先手必勝」との言説が広まりました。

渡辺明名人に藤井竜王が挑戦された第81期名人戦で、一度も角換わりが現れなかったことがこの説を補強しました。

AIの将棋はともかく、プロ棋戦では「角換わりは先手必勝」とはなっていないものの、藤井竜王・名人が先手番の対局で、相手が角換わりを避けることも増えてきました。

横歩取り、雁木など、作戦面で変化しつつ、何とか藤井竜王・名人が力を発揮できないように工夫する。
ときには相手が角換わりを受けることもありますが、従来と比べ、藤井竜王・名人が角換わり腰掛け銀で無双する機会が少なくなっています。

エース戦法を武器に、序中盤から微差を積み上げ、リードを保って勝ち切ることが減る、すなわち藤井曲線が見られない、ということです。

もしも、藤井竜王・名人の先手角換わりがほどほどの強さであったならば、対局相手がそれを避けることもなく、結果として、かえって藤井曲線が描かれていたのかもしれません。


以上2点、藤井曲線が減っている理由を考察しました。

藤井曲線が見られないといっても、藤井竜王・名人は対局に勝ち、いまや八冠制覇が手に届くところまで来ています。

果たして夢の全冠制覇は成るのか。

対局を重ねるごとに進化を続ける藤井竜王・名人、これからもその将棋から目が離せません。



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