冬がはじまったよ
年末に向かう街の雰囲気が好きだ。
クリスマスのキラキラした飾りつけと、「忘年会」「新年会」「おせち」の渋い文字とがおかいまいなしに混在する、無秩序で情報過多な景色。
せわしないような、それでいてどこかウキウキしているような不思議な世の中の空気感。
誰かに贈り物をしたくなりそうな人恋しさ。
ピザまんの買い食いを一番おいしいと感じるちょうどいい寒さ。
この時季にしか現れない特別な雰囲気に街も人も包まれる、なんと呼んでいいかわからない、でも確かに存在している「この感じ」が、昔からとても好きだった。
もうすぐ一年が終わる。その事実以上に感情が動かされ、ふだんよりもうっかり感傷的になってしまう。
クリスマスの料理やケーキを朝から準備する母。リボンの付いた骨付きチキン、ではなく大量の唐揚げに大喜びする子どもだった私たち。いつもより少し早く帰ってきてくれた父。その父が酔っぱらって蹴とばし、枝が一本折れたツリー。小さくて古くて駅からも遠かったけど、たくさんの家族の思い出がつまっていた、あの家。
初めて、クリスマスを家族と過ごさなかった年。夜遅く帰った私のぶんだけ、ケーキが冷蔵庫に入っていた。
初めて、実家で年越しをしなかった年。どこか後ろめたいような気持ちが消えず、予定よりも早めに帰ると、あたたかいお雑煮が待っていた。
そんな懐かしいことを思い出すのも、思い出して心が少しキュッとなるのも、ぜんぶ冬のせいだ。
クリスマスエクスプレスの牧瀬里穂を見たくなるのも、「赤ちょうちん」を口ずさんでしまうのも、脱ぎっぱなしのタイツの形にもの悲しさを感じるのも、遠い昔に私を好きでいてくれた人が今しあわせでいるといいななんて思ったりするのも、ぜんぶぜんぶ、冬のせいなのだ。
秋が一瞬で終わってしまって、季節の移り方も変わってきた。日に日に寒さと賑やかさを増していく街を歩きながら、今年あったいいことを思い浮かべてみる。
自分史上最高のアジフライを食べた。きれいな色のパーカーをセールで買った。優秀な人と仕事をして刺激を受けた。両親がコンビニ飯デビューした。あまり媚びを売らずに過ごせた。そんなところか。うんまあ、上出来としよう。
駅前での別れ際、「良いお年を!」と手を振りあうおじさんたちがいた。ずいぶん気が早いなあと苦笑しつつ、ほろ酔いでそう言い合える関係がうらやましく思えた。毎年こうやって、いろんな想いのこもった「良いお年を」を重ねてきたのだろうか。家族には見せない顔で熱く語り合い、弱音を吐き合った日もあっただろうか。スーツの背を少し丸めてそれぞれの家路へと向かっていく後ろ姿に、「おつかれさま」と心で声をかけ、見送った。
後悔も失敗も、悲しみも悔しさも、感動もよろこびも、今年を生きたすべての人たちのあらゆる感情を受け止め、来年へとそっと背中を押すために、「良いお年を」という言葉はあるのかもしれない。
騒がしい街を、北風が吹きぬけていく。襟巻きをぐるぐるにしすぎて、体ごと向けないと信号が見えない。低いくせに鼻の頭が冷たい。すれ違うカップルはとても楽しそうに笑っている。さあ早く帰って、こたつでビールだ。
私の冬が、はじまった。