見出し画像

十二国記 図南の翼

以下、私が高校2年生の時の感想の抜粋です

文句を言う前に何か行動をしろ。そんな簡単なことを僅か12歳の強く、脆い珠晶に教えてもらいました。
とりあえず、珠晶は賢い。
12歳って私何考えてましたっけ…笑
丁度月の影影の海に出会った頃くらいかもしれません。
この本の凄いところ。それは珠晶のまっすぐな言葉です。
十二国の中では昇山して、麒麟に認められて王になる仕組みですが、珠晶の周りの大人達は状況を嘆くばかりで自らを王とは思っていません。当たり前です。それが普通なんです。でも、珠晶は言います。
『辛いね、苦しいねって嘆くばかり‼︎自分からは何も行動をしない。だからこんな小さい私が昇山する羽目になってるのよ!』
確かに、その通りなんです。
本当に辛くて苦しいのなら、どうにかして現状を変えようと足掻くべきなんです。もがくべきなんです。
でもそれをしようとしない。いや、出来ないんですよね。
現状を変えるが怖いから。今よりも苦しい暮らしになったらどうしよう。今よりも辛い暮らしになったらどうしよう。
挑戦する前から失敗したときのことを考えて、足が動かない。挑戦が出来ない。実際そんなもんなんです。
けれど珠晶は違う。そんなリスクを全部ぶち破って昇山した。
それが珠晶が、王たる所以かもしれませんけれど。
臆病と慎重は絶対的に違うんです。
珠晶は慎重ではあるけれど決して臆病ではない。
だからこそ真っ直ぐ育った珠晶に自分が恥ずかしくなります。
行動に移す前に、怯えて、挑戦しなかったことや、そのくせ文句ばかりつけて、自分を正当化しようとしたことなんて私には山ほどありますから。笑
だから珠晶は凄いんです。自分に正直に生きようとしているから。
だからこそ珠晶に惹きつけられる気がするんです。
誰だって持ってる弱い部分を克服して、ぶち破ったヒーローみたいな存在だから。
これからもきっと迷ったとき、これを読んで自分に正直になろうって思いながら歩いていくんだろうなって思うと、1日でも早くこの本に出会えたことは有難いなぁと思います。
P.S.
十二国記!2019年遂に新作が出ますね!!!!
もう今からうずうずしてます、、、!
めちゃくちゃ楽しみです(´∇`)

私の高校2年生の頃の感想ノートから

なんかちょっと眩しい。自分が。
ということで久々に図南の翼を全編読み返しました。部分部分を読み返すことはあったんですけど、全編を通しで読み返したのはほぼこの感想を書いた以来な気がします。
まず驚いたこと①。最初に出てくる大人がウザくなくなった。
今まで連檣で出てくる大人たちがうっとおしくて仕方なかったんですよね。自分が珠晶の側だと信じて疑わなかったからかな「珠晶が頑張ろうとしているのに!ムキ~!」ってなってた。
いざこの歳になると大人の言ってることは聞いたほうがいいって……ってなる。私も落ちぶれたもんだぜ😮‍💨
でもさあ、よく考えると当たり前じゃないですか?
彼女は自分が生まれた時から王がいなくて、国政がどんどん悪化してて、それを「私が王かもしれないから立候補する!」って12歳の妹とかが言ってたら戯言だと思ってニコニコの笑顔で「よしときなさい(かわいいなあ)」って私だったら言う。っていうか、”言ってしまう”大人になってしまった。

しかも最悪なのが、「実家が太い」ということにもんのすごい意味を見出すようになってしまった。だって珠晶、多分、今後働かなくても生きていけるだけの財産を既に手にしてるんだよ。多分私が珠晶の立場だったら周りの人が死んでてもどこか遠い国の話みたいな感じに受け止めてたと思う。ああ、まんま初期ver祥瓊やんけ輪をかけて最悪な大人になったな私。

そして珠晶が「みんながご飯食べられないと寝覚めが悪い」と感じられるのも珠晶の家が金持ちだったからで、じゃあ妖魔に家が襲われて食べるものもなくて痩せて、って状況で「寝覚めが悪いと思いましたか?」「国を変えるために昇山しよう」ってなりましたか?ってなると多分昇山しなかったとおもうんだよなあ。その辺もシビアで苦しかった。「国を変えよう」とかそういう根本的な制度を変えようって思えるのってある程度生活に余裕がないと無理なんだよ。「他人事」に目を向けるには「自分事」がちゃんと成り立ってないといけない。本当に苦しい人は国も政治も変えられない。まんま今の日本だよね。だからこそ出てくる制度が全部空振りになるんだし。

だから周りの全ての事象を「自分事」として捉えられる珠晶に「若いなあ」とも思ったし「環境が良かったんだなあ」とも”思ってしまう”大人になったし、けれどそこまでしても行動にうつせる珠晶をやっぱり変わらずに尊敬する。裕福であることへの自覚があり、そこに責務を感じて執行する珠晶は本当にかっこいい。

あと読み方変わったのは利広と頑丘の立ち位置かな。
昔、読んでた時は珠晶が成長するための起爆剤と思ってたんだよね。起爆剤には変わりないんだけど、どちらかというと「起爆剤になってあげてた」っていうのが正しいんだなと思った。
というのも「子供扱い」をきちんとするという意味で。今まで二人が「子供扱いをしない」から珠晶が伸びているんだろうなあと思ったんだけど、どちらかというと「子供扱い」をしているから伸びたのかもしれないと思った。
珠晶って(心の奥底の話はおいといて)自分のことを大人だと思っていて、そんなガキを前に二人が子供として接してくれているからはぐらかすところははぐらかすし(特に利広)、その子供の爆発力を信じられるというか。
P173から始まる会話とか正にそう。これが「大人」同士の会話だし、この顔を珠晶の前では見せない。人妖に会った後とか、まさに「子供」扱いしている証拠で。
でも二人は「子供」であることを「馬鹿であること」とは思っていなかったし、なにより「子供騙し」をするような大人でなかったからこその冒険になったんだと思う。だからこそ最後に更夜の前で自分が「子供」であることを認められたんだと思う。

そして「怪我人がいる、私がいない、だから妖魔は来ない」はこうかな。
「(王気のある)怪我人がいる、(天仙である)私がいない、だから妖魔は来ない」

そしてその王気。珠晶が王気を経るまでの感情爆発は何度読んでも圧巻過ぎる。ここが一番好きです。

「王の責務を背負うということが、どういうことだか分かっていれば、自分が王の器だなどと、口が裂けても言えるものではない」
「分かってるわよ。国を背負えというんでしょう。国の民の命が全部肩に懸かっているのよね。王が右を選ぶか左を選ぶかで、万という単位の人が死んだり泣いたりするのよ」
「それを自分が、正しく果たせると?」
珠晶は叫ぶ。
「そんなこと、あたしにできるはず、ないじゃない」
(略)
「あたしは子供で、国の難しい祭りごとのことなんて、なんにも分かりゃしないわ。公開に来て、自分の身一つだって人の助けがなければやっていけないのよ。なのに他人の命まで背負えるはずがないじゃないの!」
「それが分かっているなら、なぜ昇山するんだい?」
「義務だと思ったからよ」
(略)
「どこかにいるのよ、王が。それが誰だかは知らないけど、そいつが黄海は遠いとか怖いとか言って怖じ気づいている間に、どんどん人が死んでるのよ」

『図南の翼』P369~371

ここ、本当に、ここだけで涙がでる。
私と珠晶の格の差や、だからこそ埋まらない距離にどうしても手を伸ばしたくなるし、なんて格好いいんだろうと思う。いろんな感情から涙がでる。
少なくとも十二国世界で王になる者には「無力である自覚」が必要なのかもね。おもえば尚隆もそうだった。(陽子に関してはどうなんだろう、いじめられている子に同調しかできないという点で無力は感じていたけど、切なくなるほどの義への渇望の描写はなかった気がする。)
「無力である自覚」があって、はじめて国をあげての「正義」を執行しなければならない。
かっこいいね、本当に。手に負えないほどの「正義」をあんなに小さい手で叶えようとしてるんだよ。もう多分私は一生彼女に憧れながら生きていくんだ。

あと、十二国にわかで今気づいたんですけど、

「鮫にはまだ名前がないの。あたしがつけていいんですって。あなたの名前をつけたら気を悪くする?」
彼が軽く笑った。

『図南の翼』P386

って、軽く笑ったのってもしかして、自分が自分の妖魔に「六太」って付けたから!?その時を思い出して!?(本当に今更すぎる)
ちょっと天仙であることへの寂しさみたいなものを感じてしまって死んでしまった。辛い。こうやって第二世代に受け継がれていくんだね。

なんだかとても長い文章になってしまった。
私のなかで一番読み方が変わった巻って『華胥の夢』の『華胥の幽夢』だったんだけど(マジで題名格好良すぎる。『射殺せ神槍』と『死せ神殺槍』すぎる)図南もなかなかに読み方が変わったんだなあと思って、それが寂しいような嬉しいような。ただ、多分私は私が思っていたような大人にはなれていなくてそれが、ほんと、ごめんって感じ。昔の私ごめん。今でも珠晶に憧れ続けている21歳です。もっと大人だと思っていたのに。
でも21って大人の入り口も入口のひよっこだから許してほしい。
またこれが30になったらどうなるのかが今から楽しみです。もう完全に頑丘目線になるのかしら。十二国を年代をこえて読める喜びを全身で享受しながら生き続けます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?