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『魔性の子』で卒論を書いた話
本記事は題名の通りです!卒論で『魔性の子』について書きました!!
なぜ本記事を掲載しようと思ったかというくだりは後に書きましたので、そこまで読んでいただけると助かります。
自己紹介と研究分野の話
まず私の研究分野等自己紹介をさせていただきます。大学では主に柳田とか折口の著書だったり、古事記・日本書紀関連だったり、仏教・神道、日本思想を中心的に学びました。
んで、なんで私が民俗学を学ぶことになったのかというと、香月日輪の『妖怪アパートの幽雅な日常』だったり、澤村御影の『准教授・高槻彰良の推察』の影響を受けたりなどをしているのですが、明らかにきっかけは『十二国記』にあったと言わざるをえません。
さて、いざ大学三年生の時、卒論を書くか、となったときに当初は少女まんが関連で書こうか、とか悩んで結局「エンタメの根底にある日本人の神道観」で書くことにしたんですね。が、しかし、恥ずかしながら一年その方向で模索しまくった結果、複雑骨折(卒論)を起こして頓挫し、残り一か月で卒論を仕上げなければならないとなった結果、読み込んだ『十二国記』なら書けるかも!となり、急ピッチで仕上げる運びとなりました。指導教授は苦笑いしてた。私は半泣きだった。
なぜこの記事を公開しようと思ったのか、の話
卒論の話をします。本稿の方は十二国記とりわけ『魔性の子』における「まど」の表現と境界の話。そして小野不由美作品における「移動する舞台」と自立の話です。小野不由美の作品について幅広く言及しているので、まだ読んでない作品がある方は読んでからの方がいいと思います。小野不由美作品は100%で楽しんでほしいので……
そして、卒論から落とした章も付随して掲載することにしました。これは初稿時点では本稿の方にあったものなのですが、とっちらかるな、と思い外しました。本稿の題名である「『魔性の子』における異郷」とはこちらの付属分の方が要素がより濃く残っていると思います。
先述で言い訳をしましたが、時間が短い中で突貫的に仕上げたものなので
ほんとーーーーに考察が甘い部分や無知な部分も多くあると思います。
後進のための踏み台として置いてあるものなので、どうぞお手柔らかによろしくお願いいたします。
それとは別に、議論は大好きなので、「ここはこうなのでは?」とか諸々考えがあればコメントやX(@a_thousandwinds)等に連絡してきてくれればお話したいです。「これはどういうこと?」とかも極力返信したいとは考えているけど、面倒くさくなったらしないかもしれない。気分です。
小野不由美・十二国記で卒論を書こうと思っている学生からの反応については必ず返そうと思っているので、気兼ねなく連絡ください。
そもそも、こんな不出来な論文をなんで公開しようかと思ったのかというと、院試が終わったということ、今回卒論を書くにあたって十二国記の研究・小野不由美の研究があまりにも少なすぎると思ったことが原因です。しかし、世の中には十二国記とか小野不由美で卒論を書きたいと思っている学生はどこかにいるんじゃないかな~と思ってます。その学生のためにも「私はこんな感じでやったよ~」という踏み台になればいいな、と。
そして口頭試問で教授の方々から指摘されたことについて。ついでに今後十二国記で書くならこんなテーマとかいけそうだなと思ったことにも言及しています。
不特定多数に読んでいただくのは普通にちょっと怖いし、あくまで後進のための踏み台として置いてあるものなので、noteにおける最小金額のペイウォールで読んでいただく方を一部限定することをお許しください。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
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