ヒカリ

昨年11月に発売された関ジャニのアルバムには、メンバーそれぞれのソロ曲が収録されている。
その中で、丸山隆平さんの「ヒカリ」という曲について、考察と感想文を書いてみようと思います。

※概念として好き勝手述べた文章のため、ここではあえて敬称をつけず、丸山隆平と記します。

丸山隆平は「刹那的」だと感じる。絶え間なく移り変わる表情やキャラクターも彼を刹那的だと感じる要素の一つではあるけれど、それだけではない。
本人も「諸行無常」という言葉をよく口にしている通り、生き方や考え方に刹那的なものを感じることがある。彼が過去や未来に出来るだけ執着しないよう、特別に意識している様にみえるからだ。執着してしまう人の性を理解した上で「諸行無常」という意識を持ち、信念を持って己を律しているようにみえる。
私は彼に対して勝手にそんなイメージを抱き、その姿を心から美しいと感じている。

そしてヒカリを聴いて、この曲で唄われている内容こそ、私が彼自身に惹かれる理由そのものだと感じた。

ここからは、各パートの解釈を進める。
Aメロ:
1番では過去への諦観を、2番では未来への執着を述べているように思う。特に2番の歌詞が好き。誤魔化して笑ったり間違いを隠したりすることは、こう在りたい未来(=目的地)のために、現在の自分の本心にそぐわない態度を取ることだ。"目的地の墓"という言葉の鋭さにヒヤリとするが、未来のために自分の心を偽ることは、墓を掘るために今を消費しているようなものかも知れない。

Bメロ:1番では過去の出来事への憧憬を、2番では現在置かれている状態と、未来(あるいは過去)の甘い夢に想いを馳せる様子が描かれている。栄枯盛衰でいうなら、1番は栄・盛の状態、2番は枯・衰かな。現在から目をそらして過去や未来へ執着する行為が、現在を壊すと唄われている。"壊してしまう"という言い回しや"気づかないふりさ"という言葉から、過去や未来に執着してしまうことの愚かさを知りながらも、現在へ向き合うことが出来ない自身の弱さが見えてくる。

サビ
ここで「現在」への解釈と、そこに向き合う意思が唄われている。もっと言えば「一瞬」が。"稲妻"も"光"も、すべてその瞬間の出来事だ。
2番Aメロで克鯨が乾ききって黒くなっていたように、過去は朽ちていくものであり、未来も在るという保証がない危ういものである。今この「瞬間」だけが真実であり、確実性のあるもの。そして瞬く間に失われる尊いもの。心臓が止まる"のも"意識が切れる"のも、"存在が消える"のも、それはいつかの話ではなく常に次の瞬間かもしれない。
だからこそ過去や未来に執着するのではなく、刹那的に移り変わるこの「瞬間」を大切に唄い、生きる。

ただこの曲は、過去や未来への執着を決して否定はしていない。生きている以上持ってしまうものだから。逃れられないから葛藤が生じる。
そういう弱さを内包しているからこそ、歌詞の最後、"その瞬間を唄うのさ"という意思表明が美しく輝く。

過去や未来に執着してしまう自身の弱さも認めながら、今この瞬間に集中して生きる信念を持つこと。時に人間臭く弱くなりながらも、信念に沿って己を律すること。

「ヒカリ」を通して唄われる、強く弱く美しい人の姿は、私が持つ丸山隆平の人物像に、ぴったりと重なって見える。