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椅子理論なんて嫌だ!
椅子理論なんて嫌だ!!資本主義なんて嫌だ!!!
いやだーーーー!
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日経にアメリカの哲学者のインタビューが載っていた。
一番共感した文章が、ここ。
「報酬が貢献の尺度だという思い込みを払拭すべきだ。ヘッジファンドマネジャーやウォール街の銀行家が高校教師や看護師の5000倍の貢献をしていると言う人はまずいないが、現に極端な報酬格差がある。人々の社会への貢献をいかに測るか道徳的に判断すべきところ、私たちは市場に委ねてしまっている」
わかる!となりつつ理想論じゃん!となりつつ、備忘のためにnoteを書いている。私が社会人になってからずっと悩んでいるのが、「人のためにならないブルシットジョブの方がエッセンシャルワーカーよりはるかに給料が高い」ことである。私はそれなりの大学を出て、それなりの会社に新卒で入社したのだが、まさしくブルシットジョブだった。別に社会からなくなっても誰も困らないし、"仕事のために作られた仕事"であった。案件を作るために、発生していない課題を無理やりこっちが作る、的な。
給料はかなり良かった。働き方も人も良かった。しかし、やる意味が見出せず、辞めた。年収を大幅に下げ、すごく変な転職をしてしまい、人生ほぼオワコンになっている。まあ、この話は置いといて…。
この日経の記事の対極の言説として、「椅子理論」というのがある。詳しくはShenさんという方のTwitterを見ていただきたい。
おおまかには、「年収は座る椅子の違いでしかない」という内容。個人の能力よりも、所属する業界や職種で年収は決まる、ということだ。
それはそう。。それはそうなのだ。。私も転職を通じて痛いほど分かっている。
ビジネスは相手の資本のデカさによって儲けられる規模が変わる。企業を相手にする業界は年収が高いし、個人を相手にする業界は年収が低い。個人を相手にする中でも、経済的余裕のない人を相手にする仕事は更に年収が低い。大学病院、介護施設、公立学校、etc…
資本主義社会であれば、超デカデカ会社とビジネスをする商社や投資銀行なんかが年収数千万円、エッセンシャルワーカーの年収が300-500万円なのは、当然のことなのだ。。。
私の感覚ではこれを受け入れられない。
記事で哲学者が言っているように、社会への貢献度と給料が釣り合うべきだと思う。今まさに人の命をつなげているエッセンシャルワーカーが、正当な対価を受けてほしい。あってもなくても誰も困らない、ブルシットジョブが儲けてる金を、エッセンシャルワーカーに分配してほしい。
でも、どうしたらいいか分からない。アニメ「PSYCHO-PASS」で人の"犯罪しそう度合い"を数値化したように、何か絶対的な判断軸によって人の"社会への貢献度合い"を数値化するSFな世界がくるのかなとか、そんなアホな妄想しか私はできない…!
記事の中で、「医療や教育、育児、介護におよぶケアの領域においてはテクノロジーが人間の貢献に取って代わることはない」と書かれている。いくらAIが発達したって、人間に代替できる安価なすーぱーロボットが誕生しない限りは、人間の手は絶対に必要で。
このままだと、将来いつか絶対に破綻すると思う。その時がきたら、エッセンシャルワーカーの平均年収数千万円、てなるのかな。