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5-01 「記憶の縦パス」

9人の読書好きによる、連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。前回は屋上屋稔「龍ちゃん」でした。

【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center

【前回までの杣道】

4-07 「竜の鳴き声」屋上屋稔

4-06 「Dragons」 蒜山目賀田

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どんな会話をしていたのか、もうほとんど覚えてはいない。 けれどもその時の周りの景色や相手の顔色、自分の考えていたことをふとした瞬間に思い出すことがある。もちろんその日にその相手と過ごしたすべての時間を思い出すことはできない。しかし、ある切り取られた時間のイメージが何かに喚起されて走馬灯にように過ぎることで何か一本の短編映画を見たような気持ちになる。というのも、その時の出来事を完璧に再現するとすれば自分の主観によって構成されるはずだが、なぜかこうして沸き起こるイメージの連鎖は主観だけでなく第三者(≒カメラ)から見たようなイメージも入り込んでくるため、まるで編集された映像作品のように感じるからだ。なぜ当時の記憶を第三者から見たようなイメージとして呼び起こすことができるのか、それとも記憶とイメージは絶え間なく生成変化し続けるものなのか。


こうした記憶やイメージを蘇らせるスイッチも興味深い。アメリカのロックバンドWilcoのYankee Hotel Foxtrotを聴くたびに、通学時に聴いていた2010年頃の記憶が呼び起こされる。学校へ向かうバスから見える景色や学校の正門、駅前の喧騒、帰り道の駅から駐輪場へ向かう道中。このように当時聴いていた音楽や観ていた映画、読んでいた本などが結びつくことで記憶やイメージが鮮明に蘇ることもあれば、何気ない日常生活の中やその時を想起させるような要素が全く感じられない芸術作品などから雷に打たれたかのごとく何かを思い出すこともある。こればかりはある程度自分の記憶の扱いかたにそれなりに自信を持てるようになりつつある今でも完全にコントロールすることはできない。


ノスタルジアは劇薬だ。現実を直視できず、過ぎ去った時代を懐かしみ続けることでその中にいつだって溺れてしまうかもしれないある種ドラッグのような危険性を孕んでいる。けれども昔のことを振り返ることで目標に向かって前向きに生きていた子供のころの自分の姿を思い出したり、今まで向き合うことを避けてきた過去と初めて真剣に向き合うことで再び前に向かって進んでいけることもある。


サッカーというスポーツにおいて、ゴールに向かっていくというチ ーム全体への合図となる「攻撃のスイッチ」と呼ばれるものがある。攻撃のスイッチとなるのは、主に縦方向へのパス「縦パス」で、この一本のパスをきっかけにしてチーム全体がスピードアップしてゴールを目指す。自分の記憶やイメージを引き起こすスイッチとなる縦パスは未だにどんなところから飛んでくるのか読み切ることはできない。でも、その縦パスのおかげですっかり忘れていたことを思い出したり、何か新しい発見があるかもしれない。次の記憶の縦パスはどのような形、タイミングで入るのだろうか。

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次週は5/30(日)更新予定。担当者は親指Pです。お楽しみに!

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