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1-02 「ブライアン・イーノにまつわる三つの話」

7人の読書好きによる、連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。

前回は藤本一郎の 「ポッポについての野暮な話」でした。
今回はRen Hommaの「ブライアン・イーノにまつわる三つの話」です。それではお楽しみください!

【杣道に関して】
https://note.com/somamichi_center/n/nade6c4e8b18e
【前回の杣道】
https://note.com/b_a_c_o_n/n/nb26b925ee656?magazine_key=me545d5dc684e
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・「愛着」


彼に対して愛着を深め始めたのは、イタリアの映画監督ナンニ・モレッティの「息子の部屋」を観たのがきっかけだった。ブライアン・イーノはイギリスを代表する音楽家・プロデューサーで「アンビエント・ミュージック(環境音楽)」と呼ばれるジャンルの開拓者の一人としても知られている。


マイクロソフト社のオペレーティングシステムの「Microsoft Windows」の製品群の一つである「Windows95」の起動音の作曲も手掛けている。「人を鼓舞し、世界中の人に愛され、明るく斬新で、感情を揺さぶられ、情熱をかきたてられるような曲。ただし、長さは3秒コンマ25」という考えうる限り最大の悪夢に近い無理難題な依頼にも多くの人を満足させる形で応えるあたりも類稀なる才能を発揮してきた顕れだろう。



モレッティ本人が演じる精神科医のジョバンニが中学生の息子を事故死で失ったあと、訪れたレコードショップで息子へのプレゼントという名目で彼の年頃が好きな音楽を店員に尋ねたとこと視聴させてもらったのがイーノの「By This River」。以降、映画の中ではエンドロールに到るまでメインテーマのごとく繰り返しこの曲が流れる。

  

イーノ自身がヴォーカルを務める本曲が流れるたびに残された家族に対して優しい眼差しを感じさせ、また反復することでその優しさは増大していく。
イーノの実直ながらも優しさを伴った歌声が全編に響き渡る本作が、彼に対する愛着を深めていく最初のきっかけであった。

・「響き」


「息子の部屋」だけに止まらずこれまで多くの映画でイーノの曲が用いられてきたが、アルフォンソ・ゴメス=レホン監督の「ぼくとアールと彼女のさよなら」もその一つだ。

通う高校に友達と呼べる存在がほとんどいないグレッグは数少ない友達であるアールと共に古今東西の名作のパロディー映画(ex.「Death In Tennis/テニスに死す」、「Death In Venice/ベニスに死す」のパロディー)を作る日々を過ごしていたある日、疎遠になっていた幼馴染みのレイチェルが白血病になったことを知った母親からレイチェルの話し相手になることを強制させられる。強引だったこともあり初めはぎこちなかったものの次第に二人は打ち解けていく一方、病状は悪化の一途をたどるレイチェルを励ますためにグレッグは初めて自身のオリジナル映画を作ろうと模索し始める。

何とか完成に漕ぎつけたグレッグはほぼ寝たきりの状態となったレイチェルが入院する病室で初のオリジナル作品を上映する。その処女作でサウンドトラックとして挿入されているのがイーノの「Another Green World」というアルバムに収録されている「The Big Ship」。



この映画を観るまで、当該アルバムの中でも「飛ばしがちな曲」の立ち位置を占めていたのがこの曲だった。しかし、拙いながらも抽象的な方法でレイチェルに対する愛情を綴った映像と共に流れ出した瞬間、かつて聴いたことがあるものとは違う、まるで響きそのものが変容したような印象を強く受けた。


音楽家の武満徹は著作「映像から音を削る」の中で自身の映画音楽制作に対する考えとして「時に、無音のラッシュ(未編集の撮影済みフィルム)から、私に、音楽や響きが聴こえてくることがある。(ー中略ー)観客のひとりひとりに、元々その映画に聴こえている純粋な響きを伝えるために、幾分それを扶けるものとしての音楽を挿れる。」と述べている。グレッグの制作した映像にイーノの曲が重なることで映像そのものの響きを補完するような、または曲そのものの響きがより引き出されるような感覚を覚えたことが忘れられない。


映像の響きとは何か、音の響きとは何か、映像と音との関係性とは、これからも考え続けていきたいテーマの一つである。

・「歌」


実はイーノが自らヴォーカルを取ることは稀である。2005年にヴォーカル・アルバム「Another Day On Earth」をリリースしているが、自身の名義でリリースしたヴォーカル・アルバムとしては「By The River」が収録されている1977年作の「Before and After Science」から約28年を要しているほどの稀さである。このイーノの歌こそが、イーノに対する愛着を決定的に深める最大の要因だったのではないかと最近になって自覚し始めた。

イーノが他のアーティストと共同制作を行う時、多くの場合がプロデューサーとして招聘される。U2やコールドプレイ、デヴィッド・ボウイなどプロデューサーとして関わった作品は枚挙にいとまがない。しかし、僕と同様にイーノの歌に魅力を感じていた人もいる。


デーモン・アルバーンは90年代にイギリスを席巻したロックバンド「ブラー」のメンバーで他にも世界的なヒットを飛ばしたプロジェクト「ゴリラズ」やアフリカの音楽家たちと共同制作を行うなど多作家として知られる音楽家である。ある日イーノのマネージャーが一本の電話を受け取り、デーモン・アルバーンからのオファーと聞きプロデュースを頼まれるのかと身構えてるとヴォーカルとして参加してほしいと聞き心底驚いたという。


アルバーンの初ソロアルバム「Everyday Robots」の最後を締める「Heavy Seas Of Love」でイーノとアルバーンは交互に歌い合う。アルバーンによると、自身とキャラクターが異なるイーノの歌に魅力を感じ、互いに歌うことでいいコントラストになると考えたという。決して上手いとは言えないが、深みのあるイーノの声とアルバーンの明るいトーンで交互に歌われることで、海が地球の表面の約3/4を占めることにひらめきを得て書かれた本曲の魅力を増大させている。



イーノは友人たちとコーラスグループを組んでおり、毎週何曜日かにロンドンのフラットの一室に集まっては練習を繰り返しているそうだ。今もロンドンのどこかで毎週集まって練習していることを想像するだけで胸が熱くなるばかりか、またいつか、僕やアルバーンのようにイーノの歌に魅力を感じている人たちがヴォーカルを依頼し作品が発表される日が待ち遠しくて仕方がない。

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次週は11/15(日)に更新予定です。担当者はS.Sugiuraさん、お楽しみに!

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