自分にとっての普通はほかの人にとっての普通ではない。
おはようございます。ぬくぬくママSUN'Sのかなちゃんこと中村香菜子です。
土曜日は私が所属しているNPO法人わがことの勉強会がありました。
NPO法人わがことは、地域の小さな担い手を発掘し、一部の人に頼りきるのではなく、みんなが主役でみんなが活躍できる地域づくりをめざして活動しています。まちのことを「わがこと(自分ごと)」として考えられる仲間づくりを進めています。
地域づくりとは人の暮らしを支える活動のことです。
そんな団体です。わがことのnoteもチェックしてみてくださいね。
今回の勉強会のお題は
「私にとってのゆたかさってなんだろう」
会社員のもこちゃん、大学を卒業して八百屋さんに就職したばかりの西森君、そして私がパネリストになって最初に少しお話しをしたあと、参加してくれた人たち同士でもいろいろとお話しをしました。
ベースとしてみんなで話したのは
「ゆたかさって、人によってそれぞれちがうよね」
ということです。
普段活動しているぬくぬくママSUN'Sは、基本的に「ママ」ばかりの集団。
一方、わがことに集まる人々は女性、男性、職種もさまざま、結婚していたり、していなかったり、子供がいたり、いなかったり、様々な人たちです。
ぱっと見た感じでもかなり多様性がある場だなと感じます。
一見同じように見える、ぬくぬくママSUN'Sの子育てサークルやイベントに参加してくださる方も、一人一人と話していくと、まったく違うものを大切に思っていたり、まったく違うことが気になっていたりすることがわかるんですけどね。
わがことで、よく話しているのが「自分の普通がほかの人の普通ではない」ということです。
これは、わがことが「多様な場」であるからこそ気づけることだと思います。
同じような人、価値観の場にばかりいると、「自分の常識こそが常識だ」と思いがちです。でも、多様な人と話すことによって、自分の常識は常識ではないということを思い知らされるんだなと感じます。
多様なやりとりの中での気づきはたくさんあります。
相手の考えを認めることで、自分の考えは悪いということになるのではありません。
相手の考えも理解でき、自分のもっていた考えにも気づくことができるのです。
自分の「大切にしたいこと」がわかっていると、さまざまな場所で選択肢を迫られるとき、少し気持ちが楽になります。
コロナ禍で、「不要不急」をそれぞれが考える機会がありました。
誰かにとって「不要不急」なことでも、自分にとってはとても大切なこと、ってないでしょうか。誰かに「不要不急」と言われることで、自分の大切なものが大切ではないというレッテルを貼られるような感覚になった方もいたのではないでしょうか。
本当に自分が大切にしたいもの、自分が常識としたい基準は、「自分」の中にしかないのです。
それに気づくためには、さまざまな人と対話することが一番の近道です。
家族の人生、子供の人生、自分の人生をよりゆたかなものにするために、自分と少し違った人たちの対話は常にしていきたいなと感じます。
自分にとっての普通はほかの人にとっての普通ではない。
頭に入れていてもついつい忘れてしまいがちです。
それでもいつもこのことを心に留めておきたいと思います。