忌引ツアー
キングヌーのドームツアーのライブを見に大阪に飛んでいた。帰るまで何をしようかと考えている時に、急遽京都に住んでいる母方のおばあちゃんが亡くなられたと言う連絡が来た。
ということで私は北海道には帰れず、しばらく京都に連行されることとなった。
正直母方のおばあちゃんとの思い出はあんまりない。1泊2日のつもりだったライブ旅行がめちゃくちゃ伸びることになり、荷物が1泊2日分しかないもんだから普通に憂鬱だった。
しかも来週は楽しみな講義が待っていたのでなおさら最悪だった。大学の先生たちに忌引でお休みを頂きますと連絡しまくった。
北海道から突如収集されたお姉ちゃん2人と合流し、母と義父と会った。義父のことは嫌いじゃないが、気を使うし、正直あんまり好きでは無い。本人は気を使わずにいてくれている!と思ってそうな無神経さも正直不快だ。
葬式会場にて母の弟と会い、弟さんのあまりの情けなさに葬式会場で爆笑したりする不謹慎があったりしたが、とりあえず無事ホテルも確保しそこで4泊することが決定した。
葬式場の予約の関係でお通夜まで丸2日のインターバルができた。姉妹3人は暇なので一日目は京都の町に繰り出した。忌引なのに東寺に行ったりしてちゃっかり観光した。五重塔の前でピースして写真を撮ったし、カラオケも行ったしプリクラも撮りにいった。忌引で休んでいるのに、笑ってピースしている3人のプリクラをスマホのクリアケースに挟んだ。
次の日は母も義父もひまだったので、金閣寺と銀閣寺に行った。オフシーズンで人も少なく、これまたすごく楽しかった。銀閣寺には初めて行ったがかなり良かった。写真もいっぱいとった。清水寺にも行く予定だったが寒かったので取りやめた。忌引で休んでいるのにお菓子パーティもした。
ちなみに義父の無神経さには相変わらず何回か不快になった。母の無神経は許せるけれど、義父の無神経は許せない。心を許したと勘違いするなよ。
いよいよ通夜の日となり、事前に買った喪服を持って葬式会場へ向かった。いつもお喋りな姉の元気がなかった。ずっと激しく咳をしていたのだが、ついに体を壊したようだ。お通夜中の姉は顔がやばかった。元気がない時のSUPER BEAVERのボーカルみたいだった。元気がない時のSUPER BEAVERのボーカルは見た事ないけど、そんな感じだった。主に目元が。
姉はお通夜の後の食事会も出られなかった。食べることが大好きなのを知っていたのでさすがに可哀想だった。一方わたしはどういう繋がりなのかいまいち分からない親戚の質問にヘラヘラ答えながら、お寿司をめちゃくちゃ頬張った。テーブルに置いていた私のスマホには笑顔でピースをしている2日前の姉が写ったプリクラが挟まっていた。
ホテルに帰って姉の体温を測ると案の定熱があった。滅多に体調を崩さない姉なので、心配して手厚く看病し色々買ってきたら、夜にはそこそこ元気になっていた。姉は忌引明けの仕事の心配をしていた。
そしてとうとう明日この忌引ツアーが終わる。我々姉妹3人は仕事などの関係でどうしても明日には帰らなければならないので、葬儀を終えたら出棺を見送って火葬場には行かずに帰る。
私は奨学金の継続手続きをしなければいけない事を思い出し最悪な気持ちだ。そういえば旅行中に保険料を払ってないと市役所から連絡が来たので、その手続きもしなければならない。ダブル面倒手続きだ。
早く帰りたい。北海道の肌を刺すような寒さが恋しい。雪が多くて道もなくなってしまうような大雪が恋しい。
書かなかったが、遺体を前にして死を身近に実感して少し怖くなることも多かった。親や姉が私の未来の話をすることもあった。ひっそりと早めに死んでしまおうと画策しているのが申し訳なくなった。それでもこんな苦しい人生を長く生きていける気はしなかった。
追伸 姉はインフルエンザだった。帰った私もインフルエンザになり、酷い目にあった。