【短編‐前】花火
「――ああ、そうか! あのとき部長にああ言い返せば良かったんだ! なんで気づかなかったんだろう!」
口いっぱいにナポリタンを頬張りながら、うんうんと頷く男性がいる。給仕をしながら私は興味深く見守っていた。彼はいつも独り言が大きくなる。ここでは食事中の独り言は基本スタイルだが、叫ばなくてもよいのに。
ナポリタンは完食された。彼はよく叫ぶし、いつも食べ切る。根は誠実なのだろう。その性分が発揮されなくて「ここ」に来てしまうのは、よほど自分に向き合うのが苦手なのか、環境が悪いのか。
いつか何か進言をするべきだろうか。私は内心で悩んだ。常連客を手放すのは惜しい気もするが、客の幸せを考えるのならば、「ここ」の常連でなくなるのがきっと良いのだ。
「確かに、お代を頂戴いたしました。いつもありがとうございます」
「今日もありがとな、ミコト。またな!」
常連客はニコニコと片手を振りながらエレベーターの中へ消えて行った。一礼を終えた私は、そっと店内に戻る。扉横に備えられた姿見に、ふと視線が向いた。客が来店前と後の、自らの様子を確認できるために設置したものだ。鏡にはいつも通り、執事服を着こなした真顔の自分がいた。
この店はレストラン「コトダマ」。さっきのナポリタンのような洋食もあるが、和食、中華料理、エスニック料理など、手広く提供している。
これだけ聞くとファミリーレストランやフードコートみたいのを想像されるのだろうが、いくつか明らかに他所と違う点がある。
まず、六畳ほどの広さしかないこと。真っ白な天井・壁・床に、木製のテーブルセットが一つ、その横には冷蔵庫にそっくりな白い機械があること。インテリアはおろか、BGMもない殺風景な内観であること。
極めつけに、食事は、客自身に作ってもらうこと。
ただし、厳密には、料理をしてもらうわけではない。客の感情というか、いわゆるパッションの力を使って料理を作るのだ。
「カタルシス」という概念がある。
人は不満やストレスを抱えたら、誰かに話すことにより、嫌な感情を離してしまえるのだという。嫌味を言う人、噂話をする人、誰かに愚痴る人は、その概念を利用している。その行為が正しいかはさておき、当人にとっては意義のあるものなのだ。
しかし、それが上手くできない人がいる。
自己表現の下手な人、余裕がなくて溜め込んでいる人、言いたいものの相手がいなくて困っている人。
そういう、名もなき感情をもつ人のために、コトダマはある。
「もう……閉店にするか?」
時刻を確認しながら呟く。もうすぐ20時だ。コトダマの営業時間はきっちりと決められていない。ただ、店の近辺には飲み屋やスナック・キャバクラ店が多いので、この時間帯は閉めてしまうことが多い。
日頃のモヤモヤを、酒や美人との会話で発散させる人も少なくはない。実際、繁華街が賑やかな時間帯の客はあまりいないのだ。着替えるために入口の表示をCLOSEDにしようと考えたとき、人影が現われた。
「あの……開いてますか?」
扉を開けたのは、なんと制服姿の少女だった。黒髪のセーラー服。大人しくて真面目そうな雰囲気。近所には学習塾などはないはずなので、意外だった。どうやって店を見つけたのか。
「ええ、開いていますよ……こちらへどうぞ」
少女を席へ誘導し、メニュー表を見せる。最初はおどおどしていた少女は、瞳をキラキラ輝かせて魅入っていた。
「うわぁ……いろいろ選べるんですね」
「そうですね。食べたことがないと合わない可能性があるので、お勧めでき兼ねますが、なるべくお好みのものを選んで頂ければと存じます」
少女はほんのり頬を赤らめた。きっと、執事服の人間に語り掛けられて、照れてしまったのだろう。
少女は真剣にメニュー表を眺めてから「これをお願いします」と注文した。赤身のステーキだった。当店の値段設定でいうと、最上級のものだ。
「……お客様、よろしいのですか?」
「いいんです。お金はあるので、大丈夫です!」
彼女は若干、興奮しているように見えた。私は提供するか迷ったが、微笑んで頷いた。未成年に提供するのは問題ない(アルコール類ではないし)。それに、彼女の心に興味がわいた。
「かしこまりました。このミコトが承ります。それでは、お客様、しばし瞳を閉じてください」
「……え?」
少女はきょとんとしていたが、私がにっこりと覗き込むと、恥ずかしそうに睫毛を伏せる。何と可愛らしい。少女の座る椅子の背に軽く手を添え、私は「料理作り」を開始する。
彼女の言葉にならない気持ちを抽出するために。
想いを、料理にするために。
料理を食べて、気持ちの在処に気づくために。
ふと薄暗くなった室内に、虹色の光が放たれる。彼女の体から出たものだ。カラフルに染まった空間で、冷蔵庫のような機械は、ウィーンと稼働を始めた。
花火のように美しい光の束だった。
私は、料理の出来を想像しながら、不思議なイルミネーションを楽しんでいた。この光景は、私だけの特権なのだ。
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