ツクモリ屋は今日も忙しい(1‐前編)
【side:荒木拓真】
(1)「ヨウコソ、つくもり屋ヘ」ナノ! -前編-
電車に乗るまでは確かに夕方だったのに、知らないうちに夜になっていた。駅の改札を出ながら、溜息とも欠伸ともつかない呼気が、口から出る。
駅前の商店街に入り、二番目の横道を右に曲がる。次のT字路を左に、黄色い屋根のレストランが右手に見えたら、向かいマンションの駐車場を通り抜ける。反対側の出口の路地に並ぶ、最も低い建造物に、僕は入った。
「お疲れ様でーす。荒木でーす」
室内の近くには誰もいないので、呼び声を掛ける。
ここは、とある人向けの店だ。雑貨店、が最も近いかもしれない。ただ、缶詰などの食品や、謎の栄養剤、古着などのリサイクル品が置いていることもあるので、雑多店でもいいと僕はこっそり思っている。
とはいえ、その辺を歩いていた人が興味本位で店を訪れることは、まずないだろう。
なぜならば、建造物の外観は、ただのこじんまりとした一軒家なのだ。一見すると小綺麗な庭のあるお宅だし、門には『ツクモリ』という表札も掲げられている。今どき和風の強めな建築で、少し個性的だが。
「待ってたぞ、荒木。呼び出して悪かったな」
玄関を開けさえすれば店だとわかる内装の空間で、しばらく待っていると、奥から男性が一人、うなじを怠そうに搔きながら現れる。黒髪の前髪の間からは、仏頂面な眉毛が覗いている。
白シャツとジーンズに、アイボリーのエプロンを掛けているその人は、店長の立ち位置にいる人物だった。ただし、他に店員はいない。
「気にしないでくださいよ、室井さん。実は、苦手な上司に飲みに誘われるところだったんです。助かったくらいなんです」
「そうなのか? じゃあ、呼びつけて良かったな」
僕の言葉にきょとんとした後、室井さんはニヤッと笑った。なかなか悪い笑顔だ。今では慣れたけれど、最初に出会った頃にはこの笑顔に何度も恐怖を感じたのを、ちらりと思い出す。
室井さんは、僕と同じ高校の先輩だった。先輩と言っても、僕が入学したときには室井さんが卒業していたため、正確にはOBだ。出身校が同じなのはたまたまで、知り合ったのは、この店に関わってからだ。
ついでに補足すると現在、僕は24歳、彼は27歳だ。もう8年目の縁なのかと考えると、とても不思議な郷愁を覚える。室井さんにも、この店にも。
「それで、どうしたんです? なっちゃんは?」
「菜恵さんは午前中から出かけている。なんでも『掘り出し物が見つかった』そうだ」
「ああ……なるほどね」
なっちゃんこと筑守菜恵さんとは、この店のオーナーだ。新垣結衣や有村架純みたいな、美人で明るくて癒し系オーラを放っている人で、室井さんよりは1・2歳年上だと聞いたことがある。
本人が気にしないと言うので、僕は親しみと敬意をこめたニックネームで呼んでいた。
商品はすべて彼女が決めて仕入れているので、店を不在にしていることも多いらしい。そして、なっちゃんが不在のまま僕が呼び出されたという状況から、僕は何を頼まれるのかを察した。
「今日は忙しかったんですか、室井さん?」
問いかけると、室井さんは渋面で頷いた。「ああ。平日にしては絶え間なくな」とぼやきながら、レジ裏のスペースから段ボール箱を引っ張り出す。段ボールの擦れる音などから、中身は衣類だろうと想像された。
「今、客がいないことが不気味なくらいだ。まるでお前が来るのを察して遠慮したように……それとも、本当にそうなのか?」
「うーん、どうだろう。『モガミさん』はたまに謎の行動をしますからね」
一瞬の静寂を挟み、僕は答える。あり得るかもしれない。全然違うかもしれない。確証はないけれど。そんなことって本当にできるのかな? 訊いてみたら、答えてくれる? モガミさんは。
「室井さん、どうしたいですか。検品するものがあるなら僕が見ますよ。あっそれとも店番ですかね? 休憩取れてないでしょ」
どちらにしろ、今は考えていても仕方なかった。現在の時刻は18時過ぎだ。この店は19時までの営業だから、まだ客が来る可能性はある。
「いや、検品してほしい。しばらく立ちっぱなしだから、客がいないタイミングで少し座りたいんだ。椅子ならあるし」
室井さんは、レジ裏からさらに折り畳み式のパイプチェアを取り出し、手早く広げる。すぐさま雪崩れるように座り込む様は、室井さんの疲労感を何よりも体現しているように見えた。
「わかりました。この箱でいいんですよね」
僕が段ボール箱を指差すと、室井さんは振り向いて、どこかばつの悪そうな表情をした。我先にと休んだのが恥ずかしかったのかもしれない。
「ああ、頼む。……荒木、晩飯はまだだよな。俺もだし、お礼に奢るよ」
「えっ本当ですか。頑張りまーす!」
箱を持ち上げ、笑った途端、玄関口の扉が開く。
僕たちは一呼吸分だけ動きを止めて、同時に「いらっしゃいませ!」と客に声掛けをした。
せめて客が商品を決めるのに時間を掛けてくれればいいのだが、この店では残念なことにその傾向はない。室井さんの気力と体力を心配しつつ、僕は静かに検品できる部屋に移動するのだった。
***
販売スペースから最も近い部屋には、室井さんのロッカーと、たまに出しっぱなしの室井さんの私物、そして大きめのテーブルがある。テーブルには、現在は何も置かれていない。ここで作業することにし、段ボール箱の中身をできるだけ広げた。
検品をするのは、数十枚のハンカチだった。どれも新品のようだが、少しずつ柄が違い、端の縫い口も微妙に均等ではない。おそらく、基準未達成で漏れたメーカー品か、一般人がフリマ目的で手作りした品だろう。
「さてと。やりますか」
呟きながら僕はリーンと意識を集中させる。リーン、とはあくまでイメージ音で、検品作業に必要不可欠な、独特の感覚にぴったりな擬音なのだ。
リーン。
やがてハンカチがそれぞれ、微光を放つ。どうやら掴みは良いようだ。そのまま僕は、一気に「それ」の奥に入る。『モガミさん』に会うために。
蛍の群れのような淡い光に包まれていた視界は、獣の意識が覚醒したかのごとく、急にクリアになる。しかし、ハンカチは元に戻ったわけではない。
《コンニチハー!》《オ元気ナノー?》
部屋の中は、随分と賑やかになっていた。それは、人ならざるモノの声によるものだった。厳密には、ハンカチの声だ。
卓上のハンカチ達の1つ1つに、白い顔だけの幽霊みたいな像が浮かんでいた。概ね、どこか能天気な表情をしている。
一般的には異様な光景であることは理解しているが、僕にはすっかり慣れた風景だった。ハンカチの声音が、なんとなくディ〇ニーのチップ〇デールを連想させるためだろうか。
「モガミさん、健康診断をしようね」
わいわいと響く(少なくとも僕には響いている)喧騒に声を掛けると、ハンカチ軍団はピタッと黙り、すぐに《ハァイ!》と返してきた。彼らの面持ちはなぜか一様にキラキラと輝いている。いや、彼女ら、かもしれない。モガミさんに性別があるのかは、ずっとよくわからないままだ。
ここは、物を買う人のための店ではない。
物と、その物を大切にする人が出会うためにある店だ。
人に大切にされていた物、古い歴史をもつ物には「付喪神」という神様が、宿るという。
だからここは『ツクモリ(付喪を守る)店』とも呼ばれているのだ。
……まぁ、ほとんどのお客さんは、どこに店があったのかも忘れるらしいので、縁の近い人たちが、勝手に呼んでいるだけとも言う。
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