改めて哀悼を(そして哀悼詩について)
皆様こんばんは。note毎日チャレンジを休んでいる温水温です(笑)。
今日は、タイトルについてお察しの方もいると思いますが、先日の記事について、追記というか後から思い至ったことについて書こうと思います。
本当は訃報のあった当日に、詩を書き、発表するのは、悩みました。一刻でもこの気持ちを形にしたい一方、なんだか用意周到に思われたらどうしようかと。お香典に新札を出すようなマナー違反にとられたら、と。
実際は、批判をされることもなく頂けたこと、感謝しています。それどころか、スキを頂けていることも(これはそのまま上島さんに捧げます)。
他の方が素直に弔辞を述べる中、私の投稿は、死を悼む形としてあまりに唐突な印象が否めなかったと思われます。もしかしたら、怪訝に感じた方も実際にいたかもですね。追記は元々しようと考えていましたが、数日かかってしまい、反省しています。
上島竜兵さんの死去は変わらず悲しい事実ですが、前向きに、湿っぽい文章にならないように努めます。だから空からツッコんでね、上島さん。
哀悼詩とは
「哀悼詩」は、私の発明した造語です。
まず昔から「哀傷歌」という言葉があるそうです。死者を悼む目的で詠む歌のことです。この「歌」は和歌を意味し、起源を辿ると万葉集や古今集まで遡ることになります。
余談ですが、哀傷歌は歌謡曲でもよくテーマにされているようで。ネット検索で調べたところ、氷川きよしさんや森昌子さんらがヒットしました。
私が書いたのは、和歌でも歌詞でもなく詩です。この哀傷歌から「哀傷詩」にしたものの、語呂が悪いので、さらに哀悼詩に変えました。
最終的には、初めから「哀悼をする詩=哀悼詩」でも良かったかもしれませんね(苦笑)。
なぜ「詩」にこだわったのか
当記事には、このようにあとがきしました。
詩を書いた心境としては、本当にこのままです。今までテレビで見ていたどの姿も、訃報に繋がらなくて、でも他のことを執筆しようとも思えなくて、書けたのがアレでした。
エッセイじゃあ、何かが駄目だったんです。私の中の『ダチョウ俱楽部・上島竜兵さん』が、形を変えそうで。
何を感じ考えていたのか、結局のところ真相は本人にしかわからないけれど、私のイメージの中でまで、苦しませてしまうのは嫌だと、あの日は思いました。
もう1つの哀悼詩
「哀悼詩」というカテゴリを作ってまで発信したのは今回が初めて。でも実は、特定の故人へ詩作をしたのは2度目です。
最初は、闘病の末に亡くなった伯母へ。
10年……いや、約20年前か。お葬式で高校の制服を着ていた記憶がある。もう、制服を着ることはないのね(笑)。
伯母は関東圏に住んでいたので、道中の新幹線で、携帯にポチポチと、その詩を打ちました。ガラケー、廃棄していないはずだけれど、充電すればまだ読めるのかな?
その詩は、どこにも投稿・応募していないし、誰にも読ませていません。本当はプリントアウトして、伯母の棺桶に入れてもらおうかとも考えました。率直に打ち明けると、言い出す勇気がありませんでした(笑)。
でも、書いた方がいいと思ったんです。
あのときも、これしかないと思ったんです。
上島竜兵さんのときのような、イメージを壊したくないという理由ではなく、伯母本人に聞いてもらいたい気持ちがあった気はします。
上島さんにも、私は語り掛けたかったのかな。
私の「悼む」ってそういう感覚なのか。
そんな気がしてきたわー(笑)。
会いとうございます
「哀悼」は「会いとう(会いたい)」ですね。
上島竜兵さんだけじゃない。コロナ禍で亡くなり、自殺とみられている他の方も。木村花さん、三浦春馬さん、芦名星さん、竹内結子さん、渡辺裕之さんなど。コロナ禍の自粛がなければ、死にたいまで思わなかったんじゃと思うと辛い。
いや、コロナ禍は関係なく、芸能人だけではなく、自ら死を選ぶことそのものを悼むべきかもしれません。
ね、会いたいんですよ、上島さん。どうです?
「これが俺の芸風だ!(キリッ)」
貫くの? スタイル貫くの?
もしかしてそれ、何か私がスベッているから、代わりに開き直ってくれてます? ねぇねぇ。