レディープレイヤー1 感想

先日レディープレイヤー1を見て来たので、感想をまとめます。

先週水曜日、突然時間ができたので飛び入りで見にいくことになった。本当は4dとかで見たかったのだが、近場の映画館はどこも4d終了。結局3dで見ることにした。以前3dを見た記憶は…1回だけあるような。そもそも映画館に来るなんて何年ぶりだろう。映画館で映画を見たいとすらここ数年思ったことがなかった。久々のポップコーンの香ばしい匂いを楽しむ間も無く、本編が始まりかけのシアターに駆け込む。暗くて足元も見えなかったが、幸いガラ空きだったので自分の席に難なくたどり着けた。どうやら映画の舞台は荒廃した未来、VR技術は進歩していて、それが光と陰を生んでいる。最初のoasisのシーンは圧巻だった、見たこともない近未来として描かれてはいるが、しかし想像に難くない未来だ。VRChatの延長線上にはこんな世界が待っているのだろうか。何げにMinecraftとか出てるし、知ってるキャラもちらほら居た気がする。(覚えていない)

物語は進み、現実とのギャップに苦しむ主人公たちが描かれて来た。ここまでVRが発達、普及しても結局は現実に生きるしかないのだろうか。だとしたらある意味非情だ。(オチにつながる)2018年現在でもバーチャルに生きてる、と評されるあるいは自称する人たちはたくさんいるが、彼ら彼女らは現実をどう見ているのだろうか。現実あっての理想郷。それが覆る日が来るのか、来たとして、人間はどうなってしまうんだろう。

後半になるにつれ、現実でのシーンが多くなって来る。この辺でもう疲れてしまった。現実のファクターが大きすぎる。仮想と現実を行き来する魅せ方はよかったし、「ハラハラドキドキ」な展開ではある、間違いない。ただ、私にとっては「もう現実は見せてくれなくていいよ」という感じ。特に次々とオンラインフレンドと相対して行くところは興ざめだった。ご都合主義だと感じた。そのままイマイチ熱を持てず、冷めたままエンディングを迎えてしまった。

元ネタがわからない

「古今東西様々なキャラが登場してアツい!」というのが、Twitterでよく見かける感想だった。結論から言うと、「全くわからん」

私は平成一桁の生まれだが、多分ストライクゾーンは30代の方々ではないかと思う。もしくは私が映画にほとんど関心を持っていないからかもしれない。アメコミやハリウッド映画がそもそも苦手な(好みじゃない)私は完全にターゲット層ではなかったか。

結局現実

オチに反感を持っている人は結構見受けられたが、私もそのうちの1人だ。別にリア充云々言うつもりはないが、VR礼賛の映画であのオチは、果たして誰が求めるのだろう。まだVR空間でイチャイチャしてくれる方がよかった。ただ、最後のoasis製作者の言葉をよく理解しきれていないので、そこだけもう一度見直して考えて見たい気はする。もう一度行くか…。次は字幕で。

現在の自分と重ねて

私は今、現実と理想との狭間で苦悩している。VRChatをはじめとする仮想空間に生きている人たち、それを可能にする技術に入れ込んでしまい、VR開発や3Dモデリングを夢見て学習中だ。UnityでOculusGoアプリ開発を試みたり、Blenderでキャラ作りを初めて見たり、vrchatにデスクトップで参加し知らない人と話そうと試みたり、ずっと嫌いで避けてきたが憧れは拭いきれない「絵を描くこと」と向き合ったり…。どれもこれも今まで一切触れたことのない領域で、自分の「できなさ」をこれでもかというほど見せつけられてきた。続けなきゃ進歩はないことはわかっているが、これはとてつもなくしんどいことだ。創作に対する憧れは常にあった。しかし周りにいる友達や家族は、創作するような人間ではなく、相談はおろか話せば笑われるのがオチで、ずっと抱え込んできた。しかしtwitterにとにかく下手なものでもアップするようにしてから、少しずつ状況は変わってきた。どんなに下手でどうしようもない絵でもいいねしてくれたり、反応をくれる人がいるということが、私にとっては衝撃的だった。下手なものに価値はないと、今まで思い続けてきた。私の創作に対する足掻く様子を肯定してくれたのは、「現実」ではなく「仮想」にいる人たちだった。

現実は辛い。だからVRに生きよう。

そんな動機であれこれやっている私にとって、この映画は皮肉にも、辛い現実をこれでもかと叩きつけて来るものであった。


以上で本文は終わりです。ワンコイン投げ銭をしていただければ、私のVR開発の夢に近づくことができます。どうぞよろしくお願いします。

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