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大学院を卒業して視野が広くなった話


漫画や小説を読むことは好きだった幼少期。

漫画(それも同人もの)を描いたり、ブログで小説(もちろん同人もの)を書いたり、自分の生い立ちを文字で起こしたりはしていたが、それも中学生までであった。


ある程度大人になり、大学院へ進学した。

その理由は「児童虐待の研究がしたいから」であった。自分のような経験をする人が少なくなって欲しいと考えていたので、それに貢献できる研究がしたかった。


大学院では「何を明らかにしたいのか」という「何」を考えることが重要である。「何」を考えた後には、それを「どのように」明らかにしていくのかを考える。


でも、私には「何」がなかった。


「児童虐待」という大きなチーズ(多分めちゃくちゃカビ生えてる)を切る道具を持っていないし、もちろん切り方も知らなかった。ただ、「自分がよりよく生きたい」という欲求だけで大学院に来てしまったのである。


・・・後悔はしていない(笑)


なので、大学院の2年間は「何」を探す旅であった。

児童虐待関連の書籍や論文を読みまくったが、「何」が見つからなかった。


また、教授とは繰り返し「対話」をした。(これも「何」を探すために重要)

しかし、教授に「『貧困』対策が必要だ!」と訴えたら頭を抱えられたし(多分教授が考えている方法論とは違うんだろうネ)、「『アフターケア』の研究をしたいと!」言ったら「博士課程の先輩と被るからねえ…」と微妙な顔をされた。


そんなとき、ついに出会ってしまった。

たまたま授業で出てきた『resilience』概念。(出自は〇〇療法学会誌)

私の脳に衝撃が走って、目ん玉落ちた。(気がした)


これだあああああああああ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


と思った。

教授から研究の許可をもらい、雨降って地固まる概念(小森先生より)関連の書籍や論文を読みまくった。結果、研究は文献研究になり、なんとか論文を完成させることができた(教授陣、友人たち、家族よ、ありがとう)。


そして、論文を完成させたら、見える世界が前とは少し違うようになった。


何が違うかというと、「なぜ」「どうして」とかいう『目的』がすごく気になるようになった。


なので「自分がよりよく生きたい」という自己実現のための目的を持つことはすごーーく大事であると思えるし、子どものときから「自分が何ものになりたいのか」を考えることは大切であることに気づいたのである。


もしかしたら当然のような話なのかもしれないが、私は大学院を卒業してやっと気づいたのだ。

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