家庭料理を口伝にする時代は終わった
タイトル通りです。
たまには料理ネタ以外の話でも。
人によっては内容が重く感じる場合がありますので、しんどい場合はブラウザバック推奨です。(家族関連の話がメインです
結婚して13年になり、運よく子どもも2人授かることができ、家族4人で何事もなく比較的穏やかに過ごせている次第です。まぁ男ばかりの家ですが
実家が最大4世帯同居をしていた上に、曾祖母・祖父母が農家だった(父母の代から違うけど)ので、比較的第一次産業に関わる機会が多い幼少期を過ごしていました。出荷の際は祖父の運転するトラックに乗せられて連れて行かされたことも今ではいい経験です。
飲食業を目指すきっかけは、実母でした。
当時女性シェフが珍しかった時代、TV番組を見ていた母が
「女性の料理人ってかっこいいね」の一言でした。
そのころはまだネットが普及していなかった上に、母は私にとって世界の中心みたいな存在でした。
母は公務員でした。
あんまり料理が得意な人ではありませんでしたし、酒のつまみみたいなご飯が多かったし、仕事の愚痴が多く、ラクしたいがために人に家事をがっつり教え込ませる人でした。めんどくせぇ人でした。しょっちゅう見合い結婚はクソということをことあるごとに私に刷り込む人でした(両親は見合い結婚
私もなんやかんや運よく結婚でき、親になることもできました。もう二度と出産はしたくない。(次男が弟か妹欲しがってるけど、無理って言ってる
母は4世帯同居する中で3人子どもを育てて、仕事もしてたすごい人でした。
まぁ、そんな母はこの世にはいません。
13年前、私の誕生日に長男の顔を見る前にこの世から旅立ちました。
原因はうつ病からくる、うんたらですね、うんたらは大抵の人は予想つくと思いますよ、言葉にしたくないので。
葬儀の前にたまたま冷凍庫に母が作った「最期」の料理があり、いまだにかぼちゃの煮つけだけは作れません。自分自身で再現もできません。
作り方となに使っているかはわかるけど、再現ができない、ある意味「トラウマ」になりました。しかも私の誕生日っていう、節目が分かる時に。呪いかな???って。嘘ならどれだけよかったかと思うでしょ?ノンフィクションですよ。
昔の家庭料理は口伝でしたし、亡くなった人が作っていた家庭料理を再現するのって難しいんです。たとえ材料があっていたとしても、作り方まで正解じゃないと引き出せないんですよ。ホント不思議。
X(前Twitter)でふとしたことから始めた #料理長のメシテロ という名の忘備録は私の日記であり、ある意味家族に残すためのレシピなのでは?と考えるようになりました。まぁ、今のところレシピは詳細に残していないのでただの日記程度ですが()
将来、私がもしいなくなっても。
旦那や息子たちに残せる記録があってもいいんじゃないか?と思い、これからはレシピとか工程とか「記録」を残していく必要性があるなぁと感じました。
いや
まだ私は死なんが。(マジレス
人はいついなくなるかわからん謎な存在だから()
母の命日が2か月切りそうな時期は、メンタル劇的にやばいので吐き出し失礼しました。今日のご飯は何しようか…。
ご拝読ありがとうございました。