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『コミュ』と『ライブ』とシャニマスの話

1月11日・12日に立川ステージガーデンにてアイドルマスターシャイニーカラーズ初のアイドルが出演するxRライブ、SHHisとコメティックが出演する[liminal;marginal;eternal](以下LME)が開催されました。
自分も普段は樋口円香の女をやっているものの、今回はSHHisのファンとして現地と配信で参加したのですが、[odd;2]にて緋田美琴さんが体調不良でライブを途中降板したことにより、普段シャニマスなんて気にもかけないような人たちにまで、このライブは想像以上に大きな反響を呼びました。
では、緋田美琴は本当に、アイドルが途中で体調不良で降板することで「実在性」を表現し、露悪的に消費しようとする倫理観のない運営のおもちゃにされたのでしょうか?
その点に関して、自分は明確に違うと考えています。

自身の捉え方と周囲・SNSの反響にここまで大きなギャップがあるのか、どうしてこんなことになってしまったのか、自分の思考を整理するためにも文書にまとめたいと思います。
なお、このnoteは自分以外のいかなる意見に対しても、否定したり傷つけたりする意図を持って書いているわけではないことだけはご留意ください。ただ、よかったらこういう意見もあるんだなということで、どうせn番煎じでしょうがお付き合いいただけますと幸いです。

※この記事の趣旨は、演出(演出という言葉をあまり使いたくないんですけど、便宜上演出と呼びます)そのものは『是』だけど運営の情報の出し方には大きな問題があった。そして一部の情報だけで判断せず、シャニマスが何をしようとしているのか、どういうコンテンツなのかを知ってほしいというものです。
気持ちとしては今回の件を外から見ていた人たち(特に他ブランドのP)やライト層に向けて書いてますが、肯定だけも否定だけも違うよな……と感じている自分と同じようなシャニマスオタクの皆さんもぜひ読んでいってください。
書いている人はSideMとシャニマス中心、学マスも遊んでたまにデレにも顔を出すPです。比較のために時折SideMを引き合いに出させてもらっています。


[liminal;marginal;eternal]とはなんだったのか

結論から言うと、LMEの主軸は『ライブ』じゃなくて体感型の『コミュ』であり、かつ運営は(かなりの数の)顧客とその認識の共有を失敗したのが全ての原因です。

これでピンとくるシャニマスのオタクは、この先は今後の改善点まで読み飛ばしていいです。
何言ってんだこいつという人は、順を追って説明します。

さて、LMEについて内側と外側から見えている景色が全く違うのは、まずは前提の把握の有無が大きく関わってきます。

前提① [liminal;marginal;eternal]というライブ

まずはLMEの告知動画を見てみましょう。

永遠とループする謎の映像を1時間見せられた末に59:45頃にやっと変化が起こり、LEMの発表がされます。

LMEの開催がXで告知された後に、公式自身がリプライで繋げている文章がこちら。

何?なんなの?
次に、これがLMEの公式サイトです。

そして最後に、アイマスEXPOでシャニマスというコンテンツそのもののプロデューサーである高山が配ってた名刺の怪文書を繋げたものです。

お分かりいただけたでしょうか。明らかに雰囲気が異常です。
思想が強すぎる。どういうことなんだよ。公式パンフもスタッフメッセージが途中で文字化けして「完璧・永遠であることは美徳であり彼女達は幾度も到達の機会を与えられる」を繰り返し続けてるし怖いよ。

ちなみにこれが、無料配信されているLEMの冒頭部分です。

シャニのオタクにとってはSHHisのイベコミュ「OO-ct. ──ノー・カラット」にてお馴染み『メンデルスゾーン無言歌集第3巻 Op.38 5. イ短調』が自動演奏で流れます。

どう考えても普通のライブをやる気ないですね。5thライブの告知よりも更に尖ってるというか、明らかに俺たちは、これから思想激強ライブをやらかしますからね、このライブでは何かが起きますからね、と全力でアピールしてきています。高山の名刺の怪文書からも、この予定調和しか起こらない世界をぶっ壊して未来へ進むからなという強い思想が垣間見えます。

前提② SHHisとコメティックの物語

2021年に実装されたSHHisは、およそ2年をかけて「セヴン#ス」に辿り着き美琴さんはにちかのことを見ました。「not enough」でにちかはこれまで崇拝の対象であった美琴さんに初めて嫉妬に近い感情を覚え、美琴はこれまでのようににちかから一方的に「アイ」(はちみつレモンなどの手料理等)を受けとるだけでなく、自ら「アイ」(筑前煮)を作ってにちかに渡します。受け渡し、受け渡される「アイ」の話をし始めると長くなるので割愛しますが、これまで歪であったSHHisはやっとお互いを見て、関係が対等に近づいてきました。
ルカは283プロに移籍してからも周囲に対し頑なな態度をとっていましたが、G.R.A.D.でそれがもう誰も傷つけたくないという想いからであることが開示され、THE (CoMETIK) EPISODEではライブの中で自ら「コメティックでした」と口にします。12月にあったイベコミュ冬が灯る先では、すれ違いのあった灯織を改めて受け入れます。そして、ついに美琴からルカにへ「ごめんね」という言葉が伝えられ、二人はこれから別々の道(ユニット)を歩いていくということが納得を持って受け入れられるような時間を過ごしました。ここまで本当に長かった……ライブの2日前には美琴さんのSTEPがいきなり実装され、美琴さんとルカに当時何があったのかが明かされます。(チェインだけでいきなり解散を告げられたルカが気の毒すぎる)
SHHisとコメティックの関係性はいま大きな転換期をむかえ、残る因縁はルカとにちかです(天井努のことは一旦置いておく)。美琴STEPの実装タイミングからみても、明確にこのライブに合わせてSHHisとコメティックのシナリオを準備してきたことが伺えます。

冬が灯る先にて言及されるLMEの存在。
それはそうと、ドアとソファのラインを使用し画面を分けた上でそれぞれのユニット衣装を並べ別々の方向を向かせることで、2人が別のユニットとしてそれぞれ歩いていくこと、2人の道はもう交わらないが同じ事務所の中でこのように穏やかな表情で時間を共有することはできることが表現されていて神スチルすぎない?

以上の2つの前提を元に、LMEはSHHisとコメティックの物語(特にルカと美琴とにちか)を先に進ませるため、予定調和を壊す何かを用意している施作であり、ライブそのものをコミュ(ストーリーの一つ)として扱おうとしているのだと自分は予想しました。
ライブに参加する大半の人も、概ね普通のライブではないという認識は少なくとも共有していたと思います。そして、何かが起こる(何かを起こす)という予想通り、普通は起こりえないMRライブでのアイドルの体調不良による降板が発生しました。
普通のライブ中に「実在性」のためにいきなりショッキングな演出がされたのではなく、事前告知やシナリオを通してこのライブでは予定調和を壊すSHHisとコメティックの『物語』(コミュ)をやりますからねと散々前振りされた上でなされた演出であることは、頭の片隅に置いておいてください。

「前提条件の共有」の失敗

外側から見える景色

問題は、このLMEは SHHisとコメティックの『コミュ』であるという運営の意図とは反し、想像以上にLMEを『ライブ』であると捉えた層が多かったことです。

ジャンル外の人はもうある程度は仕方ありません。だってこんな異常ライブだという前提や、SHHisとコメティックのこれまでの歩みを知らないわけですし。
特にお隣(ASやSideM)ではシャニよりも先にMRライブを行っていて、そちらではアイドルがこの現実世界に「存在」していることにみんなで感動し楽しんでいます。アイマスEXPOでも各ブランドのMRライブが行われ、アイドルのライブパフォーマンスを見れることが大きな体験価値として売り出されました。
お隣で作り上げられたMRライブはアイドルを「現実」にしてくれるものだという価値観に照らし合わせると、当然「現実」のライブのアイドルをわざと体調不良にするなんて言語道断だという大きな嫌悪感が生まれる訳です。これが想定していた以上に膨れ上がり、情報だけを目にした人に広がり続けてしまった。

同じアイマスシリーズの中にあり「PROJECT IM@S 3.0 VISION」に基づいて“複合現実”へ挑戦するにあたり、SideMのファンコンなどの他ブランドのMRライブがアイドルをこの世界に実在する「現実」にする取り組みであるのに対し、今回のシャニマスのLMEは観客を「物語」の中に引き摺り込むことにより世界線の境界を飛び越えアイドルを真実にする、という真逆のアプローチをとっているんです。
現実にアイドルを連れてくる気なら、そもそも開場前からずっとピアノを投影し続け(リアルすぎて実物かどうか周囲もずっとざわついてた)、『メンデルスゾーン無言歌集第3巻 Op.38 5. イ短調』を意味深な演出で自動演奏させたあと消失させたりしない。だってそれは非現実的な行いだから。あのピアノと演出は繰り返される完璧・永遠を表現すると共に(ノー・カラットを読んだ人なら、あれが完璧である美琴さんの象徴であることがすぐにピンとくる仕掛けになっている)、ここからSHHisとコメティックに連なる『物語』の幕が上がることを明示しています。
アイドルがそこに存在することを体感してもらうという目指す先は一緒にも関わらず、他ブランドとはそこに至る過程が対極なんです。
そのことが理解されないまま話題になり、そこに過去のシャニマス運営が発言した「実在性」というワードが加わって、シャニは奇抜な演出をしてアイドルを傷つけることが「実在性」だと思っている、といったような酷く恣意的な拡散のされ方をしてしまいました。(ちなみに今回のライブに関しては「実在性」を持ち出すのは誤読の原因になるので、このワードは一旦頭から消してください)
この齟齬についてはもどかしいけど仕方のない部分がある一方、問題なのはLMEを『ライブ』として捉えた結果、怒り傷ついてしまった人がシャニマスユーザーの中でも想像以上に多かったことです。

内側で起こっていたこと

どうしてあれだけ前振りがされていたはずのシャニマスの内側でも、このギャップが発生してしまったのか。
これには複数の原因がありますが、運営の「前提の共有」の甘さが一番大きな要因として挙げられます。

いやお前さっきまで運営はこのライブに向けてゲーム内外で前振りしてたって散々言い訳してたじゃん……とお思いかもしれません。が、改めて考えてみましょう。
シャニマスはシナリオが売りのゲームと言えども、全員がSHHisとコメティックのコミュを全部読んでいる訳では当然ありません。シャニソンからコンテンツに触れコメティックを好きになった人も、シナリオは読んでないけど歌やパフォーマンスが好きでSHHisに会ってみたくてライブに参加を決めた人も、EXPOでシャニのMRを気に入って配信を買ってくれた人もいたでしょう。
そういった人たちに、このライブは予定調和を壊す『物語』をやりますからねという運営のメッセージが十全に届いたかというと、もしかしたらHPは変わってるけどおしゃれだなくらいにしか取れないかもしれないし、告知映像は必ずしも見るものではないし、パンフは買った人しか読めない。長いものはオート再生で1時間時間を超える文量のイベコミュ全部を読み切る時間はなかったかもしれないし、担当以外のユニットのコミュを読んでない人もいる。高山の怪文書にいたってはSNSの公式アカウントを見ているオタクしか存在を知らない。
そう、SHHisとコメティックの全部のシナリオを読んで公式HPのアイドルの点滅のしかたや高山の怪文書を考察してLMEに臨んだ自分みたいなキモい人間は少数派、異常者側なんです。
シャニマスの世界観が好きだから、ライブが好きだから、ゲームが好きだから、アイドルが好きだから。全部が好きな人ももちろんいますし、そのどれか一つだけを好きな人も当然います。当たり前だし、それは誰に否定されることでもない。それだけたくさんの魅力がコンテンツにあるということの証拠です。
アイドルが好きである層、ライブが好きである層が、SHHisとコメティックのMRライブという情報を聞いてアイドルのパフォーマンスを楽しみたいから『ライブ』に参加しようと決めることは、至極もっともです。だってxR
ライブって書いてあるんだから、『ライブ』として参加する側が正常でしょう。
そしてその人たちに、運営がゲーム内外で様々な手を尽くして届けた「つもり」になっている前提は、実のところ届いていない。そして届いていたとしても、その受け取り方には当然個人差があります。自分は前情報からLEMそのものが『ライブ』という体の『コミュ』であるという前提で参加しましたが実際にここまでのことをするとは思ってなかったし、もしかしたら合間でSHHisとコメティックの関係が進展するような重要な会話があるかも?くらいのニュアンスで捉えてる人も当然いるわけです。
全てのコミュを読んだ上で考察し、意図を察して覚悟して参加して欲しいなんていうのは、運営の傲慢なんです。

認識の齟齬がもたらす混沌

ここで、運営の意図通りにLEMを物語の一環である『コミュ』として受け止め物語の内側に入り込みアイドルに触れるような未知の体験として味わった人と、現実の『ライブ』と捉えてその中で会いたかったアイドルが体調不良のため降板するという本来発生し得ないはずの意図的なトラブルにより楽しみを奪われた層が真っ二つになってしまいました。
更にやっかいなことに、このLMEは『コミュ』でありながらもライブ部分の手を抜いていたかというと全くそういうことはなくて、それはもうバッチバチに気合が入りまくったパフォーマンスを、高クオリティでガンガン見せてくれるわけです。その結果、『コミュ』としっかり認識した上で憤ってる人の他に、普通に『ライブ』のつもりできて『ライブ』として満足して帰っていった人も混ざってきます。
しかもそれぞれが全く違う前提に基づいて話しているから会話が通じるわけがない。

その状況で、更に前提を知らない外野に前提を無視した形で情報が広がり、「例の件だけど」「他ブランドだけど」「外野だけど」と前置きされたうえで、全く関係ないとこからあらゆる正義感ご意見お気持ち冷笑が飛び交うことに。本来その場で、いやこれはライブだけど『コミュ』なんすよと外に説明する側になるはずだったシャニマスユーザーがそもそも混沌としている状況なので、もうめちゃくちゃに。

まとめると、こういうことです↓↓

事前情報からLMEを『コミュ』として楽しんだ層
事前情報からLMEを『コミュ』と認識したものの楽しめなかった層
LMEに参加してないが、事前情報から『コミュ』であることを前提に賛否を話してるシャニマスユーザー
〜〜〜〜〜〜〜〜↑運営の想定↑〜〜〜〜〜〜〜
LMEに『ライブ』として参加し楽しんだ層
LMEに『ライブ』として参加した結果楽しめなかった層
LMEに参加していない上に事前情報を受け取りきれていないが、『ライブ』に怒っているシャニマスユーザー
アイマスやMRライブに触れたことがあるため、シャニマスの『ライブ』に一言言いたい層
なんか知らんけど燃えてるらしいから見にきた人たち

わっはっはっは(笑うしかない)

その他の問題

この「前提の共有」の甘さの他にも問題点は多数あります。SNSでも既に多くの声がありますが、一つずつ見ていきましょう。

セトリのバランスと歌唱機会

今回のLEMは悪名高い立川ステージガーデンでの開催で、キャパはおよそ2500。通し券は売っておらず、現地を全通できた人はそう多くないでしょう。どうしてもその公演しか握れなかった人がアイドルに会うのを楽しみに参加した講演で、途中から意図的に引き起こされたトラブルで出演しないのは納得できないのは当然です。
実際に各公演の歌唱曲数がどうなっていたのかを、下記にまとめました。

人間が手で数えてるから違ってたらごめん

[odd;2]と[or;3]では美琴さんの出演曲数は同ユニットのにちかちゃんのおよそ半分になってしまい、SHHisの2人のパフォーマンスを見にきた人はがっかりしたかもしれません。(にちかちゃんが1人でもやりきってSHHisのステージを守った……と自分は考えていますが、美琴さんの出演曲数が少なくなってしまったのは純然たる事実です)。
そして恐らく美琴さんの体調不良への道筋の一環としてnever;1ではSHHisが7曲連続で曲を披露したりと、普通のライブと考えると偏りのある構成になっています。
これが運営にとってのベスト、4公演を通して一つのコミュであるという運営の意図は汲みつつも、しかしアンバランスなのも事実。物語をやりながらも1つの公演内で完結させる、あるいはなんらかしらのフォローを求める声が上がるのはもっともです。
とはいえ、ライブ(キャスト・MR含む)において、全ての出演者の楽曲披露機会が平等になされなければならない、優良誤認だ返金しろという主張も無理筋でしょう。公演によって演出の都合により披露曲数が違ったり偏りができてしまうのは当然で、そもそも美琴さんが一曲も歌わなかったわけではなく[odd;2]と[or;3]も半分はきちんと出演しているわけで……あくまでも顧客の心情的な部分の問題に留まります。

ちなみに補足として、各アイドル別の披露した歌の数(披露回数ではなく何種類の曲を歌ったのか)は下記になります。

間違ってたらほんとごめん

こちらについては大きな差異はなく、4公演を通しで見れた人に関してはバランスが取れるようになっています。というか羽那とはるきのほうが少ないことにいま気が付いて驚いてます。恐らくですが美琴さんが不在になることへのSHHisファンへのフォローとして、コメティックよりもSHHisの方がユニット曲の披露数が多く設定されています。

プロデューサーとしての立場の否定

これも最終的には「前提の共有」をしっかり行えなかった運営が悪いに集約できるのですが、このライブは『コミュ』なので我々はその世界に入り込んだ観客として扱われます。
アイドルの体調不良を事前に察知することも、体調不良のアイドルに寄り添うことも、1人でステージに立つアイドルの背中を押すこともできない。我々に許されるのはシナリオを読み進めることだけ。だってLMEにおいては、プロデューサーではなくただの観客だからです。
プロデューサーとして担当アイドルに会いにきた人にとっては、拷問に等しいでしょう。全ての物語は手の届かない場所で進んでいって、アイドルと二人三脚で歩んでいくプロデューサーとしての自分を明確に否定されるのですから。
ファンという立場は他ブランドのMRライブでも同じではあるのですが、例えばSideMのファンコンではライブのバックグラウンドが分かるようなプロデューサーとしての立場のコミュが売られたり、バックステージの様子を特典で観れたりと、プロデューサーとしての視点とファンとしての立場を両立させる取り組みをしています。
お隣がそのスタンスなのだから、まさかプロデュース体験じゃなくてこんな『コミュ』をやるなんて思わずに、LMEの参加を楽しみにしていた人もいるでしょう。

シャニマスというコンテンツ全体への風評被害

どういう意図にしろ、今回の件でシャニマスはアイドルやライブで過激なことをしてそれを実在性だと思っているという誤った情報が広まってしまったことは事実で、これ、ガチ最悪です
今回のSHHisとコメティックはどうしてもこれをやる必要があると入念に準備し前振りした上で行われたものでしたが、別にシャニのライブで毎回こんなことやってる訳じゃないんですよ。6thなんて5thの反動からかトロピカルサンバですよトロピカルサンバ。でももう、そんなこと説明したって一度こうなってしまうと「で、次は誰が体調不良になるの?(笑)」みたいな輩が一生ついて回ります。数多くの心動かされるパフォーマンスの中のほんの一つが、それが全てであるという形で広まってしまった。どう考えてもこういうこと言う人間の方がアイドルをおもちゃにしていて、見るたびにシンプルに不快な気持ちになります。

限定P-SSRから繋がるシナリオをライブでやるな

今回のLMEでの美琴さんの体調不良へと繋がるコミュの【SUGARLESS】緋田 美琴は期間限定カードなんだけど?全員がSHHisとコメティックのP-SSRを揃えられるわけじゃないよね?引いてる人しか完璧な形でストーリー追えないよね?という意見に対してはもう同意しかない。
アイドルの解釈に重要なコミュを限定で実装するんじゃないと283億年前から言い続けてきたけど、これに関しては本当に運営がクソボケカスアホです。ごめんなさい。ていうか自分も【SUGARLESS】引けてない(内容が気になりすぎてネタバレ感想記事を事前に読んでた)。美琴の咳の件はイベコミュ等にもあったから、一応読んでなくても支障があるというほどではないけど、一緒にご意見を送ってください。許せません。狂ってんのか。高山なんとかしろよほんとに。

ライブでコミュをやることそのものの是非

金を払って遠くからわざわざ見に来る人がいるライブではなくゲーム内のコミュでやれという声、ごもっともすぎる。これは『ライブ』じゃなくて『コミュ』だけどその前提をしっかり共有できなかった運営が悪いのに加えて、にちかとルカの関係性が変わるような重要な出来事をゲーム内でシナリオを追い続けてきたユーザーを置き去りにしてライブでやるなというのもあります
でも一応弁明させてほしいんですが、それでも運営がLMEでこれをやることにこだわった理由があるんです。

ex.体調不良によるライブ降板を扱うことは、アイドルをエンタメとして消費しているのか?

個人的にはあまりこれを問題の項目に入れたくないのですが、SNSでも意見が飛び交っていたのは概ねこの部分なので触れないわけにもいかないでしょう。これは前提条件が『ライブ』人と『コミュ』の人が混在しているから話がややこしいことになっています。
まず大前提として、SNSでキレてる人の大半はこの出来事を『ライブ』として話しています。『ライブ』派からしたら現実のアイドルをわざと体調にした訳で、そりゃ怒るのも当然です。LMEは『ライブ』ではなく『コミュ』なのですが、やはり「前提の共有」をしっかり行えなかった運営が悪いですね。例えば今回の体調不良によるライブの途中降板が、ゲーム内のコミュのシナリオとして出てきていたら受け入れられた人も多いのではないでしょうか。賛否両論はあれども、ここまでのハレーションは起こらなかったはずです。
さて、では『コミュ』としての話をしましょう。
『コミュ』ならライブ中にアイドルを体調不良で降板させていいのか?
個人的にはそこに至るまでの過程に納得でき、かつ意味のあることであったために大きな拒否感はありませんでした。後の運営がやりたかったことでもう少し詳しく話しますが、決してアイドルを露悪的にエンタメとして消費する意図ではないことだけははっきりしていたからです。
とはいえ、例え『コミュ』だとしても体調不良というセンシティブなことを取り扱うこと、緋田美琴にライブを途中降板したという事実が生まれてしまったことに拒否感を覚える人もいて当然で、その気持ちも嫌だったと声を上げることも否定されるべきではありません。
ただ、一度冷静になって自分が何に怒ったり拒否感を覚えているのかは考えてみてもいいのではないでしょか。
例えば、ライブ直前に発熱し別のメンバーが代わりを務める、ライブ中に音響トラブルが発生する、心身を崩し歌が上手く歌えなくなる、振りの一部を間違える、台風のせいでスタッフがこれなくなる。アニメの中で、ゲームの中で、漫画の中で、シナリオの中で、フィクションとしての意図して引き起こされたトラブルや苦難を、あなたはどう捉えていますか?アイドルはステージ上で体調不良になるべきではない?シナリオ都合の苦難は起こるべきではない?アイドルがそれでも諦めたくないと踏ん張る姿を応援することは、エンタメと消費していることは不謹慎?現実に起こりうるトラブルを物語に持ち込むべきではない?その線引きはどこからどこまで?
これはもう各々の信念の話になるので、お互いの意見を尊重しあうしかないです。

あとこれは作品の世界観の話になるのですが、シャニマスのシナリオを読んでるユーザーは、『コミュ』の中でライブによる体調不良によるアイドルの降板という展開がありうるかどうかと聞いたら、大半の人は(それが好きか嫌いかは一旦置いておいて)必要ならまあやるよね、と回答するでしょう。
では例えばお隣のSideMがシナリオで同じことをやるかどうか問われた時、よっぽどのことがない限りは基本やらない、と自分なら答えます。(個人の見解)
どちらが良い悪いではなくて、シャニマスは時に上手くいかない現実や無理解からも目を逸らさずに丁寧に折り合いをつけていくことを大切にした作品で、SideMは困難に対して思いやりや善性で立ち向かうことで一緒に前へと進んでいく勇気をくれる作品だから、どちらもアイドルの人生を大切にしながらも、当然重視していることにあわせて世界の描き方や焦点の当て方も変わってくるという話です。ミステリーで殺人事件が起こるのを、不謹慎だと言う人は多くはないでしょう。
これはいかなるコンテンツでも同様ですが、特にアイマスというジャンルにおいては、同じ大陸にあり隣り合っていて(特に最近は)一部が地続きになっているからこそ気が付きにくくなってしまいますが、お互いが別の国であり別々の文化を持っているということを、今後も忘れずに頭の片隅においておきたいと自戒を込めて記しておきます。

LMEで運営がやりたかったこと

ここまで記載したように多くの問題点を抱えたLMEですが、そもそもライブでのアイドルの途中降板なんかやらなければこんな批判に晒されることもなかったわけで、実際そういった声も多くありました。

では、本当にライブでこれをやる必要があったのか?
あったんです。話題性を高める意図がなかったとは言いません。でもそれ以上に、少なくとも運営が多少の賛否を覚悟してもこれが最善だと判断する理由があると自分は認識しています。

SHHisとコメティックの物語

さて、ここで勝手ながら、ずっとSHHisを追い続けてきた第一人者であるろーりうさんのポストを引用させてもらいたいと思います。

人の褌で相撲を取る形になり大変恐縮ですが(ご迷惑でしたら連絡いただければすぐに消します)、私よりも100倍言語化がしっかりとされているので、今回のLMEがいかにSHHisにとって大切な意味を持つかが伝わったかと思います。
前提②でもお話ししたようにSHHisとコメティックの物語は今まさに大きな転機を迎えており、今こそ、今だからこそ、先へと進める状態に至りました。
今回の件は、もしLMEが開催されていなかったとしても絶対にコミュなどで同じことをやっただろうという確信があります。LEMの出来事は驚いたし動揺したけど、ここまでの辿ってきた軌跡からそれが必然であることが分かるからです。アイドルになれるなら死んでもいいと美琴さんは口にしましたが、死んだらアイドルを続けられなくなる(体調を崩せばステージに立てなくなる)ことはいつか必ず直面することだった。ルカとにちかちゃんは向き合う必要があり、美琴さんは自分がずっと身を削っていたことに気がつく必要があり、美琴さんと対等に近づいたにちかちゃんはSHHisを背負えるし、美琴さんが帰ってこれる場所になれるということを示す必要があった。美琴さんの体調不良によるライブの途中降板とそれに伴う成長や関係性の変化は、いずれ訪れるであろう合理的かつ必然的な流れであると納得して受け止められる展開でした。

MRライブ(xRライブ)で物語をやることの意義

SHHisとコメティックの物語が前へと進む段階なのは分かったけど、なぜゲーム内のコミュではなくわざわざライブのなかでこれを行うのか?
端的にいえば、ライブのなかでこの物語をやるのが一番ユーザーに楽しんでもらえると判断されたからです。
一度でも、他ブランドや別コンテンツのMRライブの現地に参加したことがある人なら理解いただけるかと思いますが、MRライブって情報量が圧倒的なんです。普段は立ち絵で見ていた、パターン化された動作を行っていたキャラクターが、毎秒ごとに自由に動き回り喋る。その一挙手一投足、視線の一つに至るまで、ずっと新鮮な驚きが続く。SideMのファンコンに初めて参加した時に、そこにアイドルが存在するに身震いするような感動で涙が出たのを覚えたのを今でもよく覚えています。
立ち姿、声、視線の動き、手の振り方、一挙手一投足の全てに通常のコミュでは表現しきれないアイドルの感情が、意図が宿る。時に途切れながらも1人でやりきろうとする歌声が、それが翌日には1人でも歌い切れるようにコーラスが調整されていることが、その裏にいるSHHisのステージを守ろうとした人たちの姿を見せてくれる。大きく上下する肩。掠れた声。無言でステージから捌けるのを、案じるように追う姿。誰もいないスペースに向けられる視線。戻ってきたメンバーに向けられる声色が、これ以上ないほどに雄弁にその奥にある物語を体感させてくれる。
もちろんこの内容をコミュでも行うことは可能でしょう。
でも、ルカとにちかが向き合うためには、関係性が変化し歩み寄った今のSHHisを見せるには、斑鳩ルカとだぶるはではなく3人のコメティックを示すには、実際のパフォーマンスを見せる以上の説得力のある手段はない。奈落を1人で上がっていく七草にちかの姿を目にするのは、ゲーム内のコミュではできない。
だから、ただ通常のコミュの中で行うのではなく、MRライブでSHHisとコメティックの物語の集大成をやる。通常のコミュ以上の体験を、五感で感じてもらうために。MRライブだからこそできる演出で、彼女たちが何を大切に思い、何のために踊り、どんな信念を持ってステージに立っているのかを感じてほしい。七草にちかの隣が緋田美琴の帰ってくる場所になったことを、これ以上ない形で体感してもらうために、その物語の当事者として最高の形で味わってもらうために。
便宜上演出とこれまで評しましたが、予定調和が崩れ完璧ではなくなったあの瞬間に世界は境界線が溶け、私たちは本気で緋田美琴のことを案じ、にちかちゃんのことをずっと祈りながら応援しました。LMEの物語と限りなく同化し全てが真実となったあの時間のことを、どうしても自分は否定できない。
多くの問題点を抱えていることを認識しながらも 、SHHisとコメティックの物語を3年以上もずっと追いかけてきた人間にとって、このLMEはひとつの答え合わせでありすべてが報われていくような体験だったんです。
時間もお金も相当にかけて、本気でこの物語を届けたいという熱意を持って作られたライブでした。なんなら、この物語をやるためにLMEというライブの企画が持ち上がった疑惑すらあります。
届け方が悪かったかもしれない、伝わらなかった人の方が多かったかもしれない。でも、露悪的な演出で話題になろうとしているのではなく、現実のライブを馬鹿にしているのでもなく、上手くいかない現実を突きつけこれこそが実在性だと悦に浸るのでもなく、ましてや決して緋田美琴というアイドルを軽んじているのではなく、最大限その物語を尊重した結果がこのライブだということは、間違いなく胸を張って言えます。

っていうかアイドルを雑に消費してるっていうなら、夏コミのシャニソン広告のほうがよっぽどだろうがよぉ!!!!!!!!おい!!!!!!!樋口円香LPやシナリオを通して、ただの少女をステージの上に押し上げその人生を見せ物として消費させることの重さと責任をずっと書いてきたのに、ああいう広告を打ったこと自分はまだ全然許してないからな広報担当!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あとどうせ燃えるなら、改悪された打ち上げガシャとか、コミュ無し人質S-SSRとか、トワコレなのにノクチル編成で何も意味をなさないパッシブを付けられたS-SSR【ナカキヨノ】樋口円香とかについてももっとみんな怒ってくれよ!!!!!!!!!

今後の改善点

話を戻しましょう。
非常にクオリティが高く手間も熱意もかけられた施作であるにも関わらず、これが体験型『コミュ』であるという「認識の共有」が不十分であった結果、想像以上の批判を受けることとなったLME。
ではどうすればよかったのか?今後はどうしていけばいいのでしょうか?

提案①名称を「ライブ付き体験型有料コミュ」に変える

今回の問題の8割はこれで解決します。
ライブって書いてあるんだから、みんなが『ライブ』に来るのは当たり前だから……。『ライブ』にきて推しが半分しか出なかったら悲しいよね。
ライブの観客として物語の中に入り込む、といういわば究極のごっこ遊びの体験の価値を下げる行いだけど(ミステリー小説を叙述トリックがあると事前に知らされた上で読むことになるという感覚が近いでしょうか)、あれだけ前振りしてもこんなことになっちゃうんだったら、きちんとこれは『コミュ』です!物語やります!他のMRライブとは別物です!そのつもりで来てください!!って宣言するしかないと思います。

提案②SHHisとコメティックのコミュを読んでいることを参加条件にする

①がどうしてもどうしてもダサくて死んでも絶対にやりたくないと高山がごねた場合の、次善の策です。でも自分で書いておいてなんだけど、選民化に繋がるからやめたほうがいいなこれ。このライブは明らかにコミュを読んできてる人向けですけど、コミュを読んでない人が全く楽しめないかというとそういうわけでもないし、コミュを読んでない層を全員切り捨てるのもまた違うでしょうし……。
ライブ前にアイマスチャンネルでかっしーがSHHisとコメティックのシナリオを全部振り返って解説する会を開いてくれていたので、せめてこれまでのコミュ内容を前提としてライブを行うのでそれを観てきてからお越しください、くらいだったらありかもしれません。

提案③ゲームで補完コミュをやる

これはプロデュース体験の補完です。Xではづきさんとの電話の盗聴が世界に公開されたことの拡大版ですね。現地及び配信でライブに参加した人には、ライブ直後から公開開始されるコミュが読めるようになるシリアルコードを配るのが良さそうです。(ライブ前にコミュを公開してしまうと体調不良が予定調和になってしまうので)
まあ、これも野暮といえば野暮ではありますが……ライブ未参加者もジュエルで購入可能にすれば、ゲームだけでシナリオを追ってきた人の不平等もある程度薄れるのではないでしょうか。

提案④ [odd;2]と[or;3]の参加者には、美琴さんの特典映像が見れるシリアルコードを配る

美琴さんの出演曲数が少なくなってしまったことのフォローです。
2人のSHHisが一部しか見れなかった代わりに、練習風景とかインタビューとかバックステージが観れるとか……美琴さんのスペシャルPVや激かわオフショットが観れるとか……2人のSHHisや美琴さんのパフォーマンスを観たくて参加したのにたまたま取れた公演が[odd;2]や[or;3]だったという層が、ある程度の納得感を得られるものがあるとよかったなと思います。

以上が自分が提案する改善策でした。
これらが実施されれば賛否両論は変わらずとも、ここまでの広がりにはならなかったのではないかと思います。

アイドルマスターシャイニーカラーズのこと

そもそもシャニマスは万人向けのコンテンツではなく、その代わりに刺さる人には心臓まで刺さるような作品であるとも思います。
みんなにはあまり理解されないけど、俺だけはこの世界を心から愛しているんだという変なオタクが集まっていて、運営が想定するメインターゲットも(今回のLMEなんかは特に)そこの層でしょう。
体験としては、この形が一番最高だったという気持ちも正直あります。だって自分は、運営の意図を受け取れた側だから。あれだけ普通のライブではないことを運営はメッセージとして出していたのに、というもどかしさがないといったら嘘になります。
『コミュ』の実体験としてのLMEという意図を損なうことなく多くの顧客に提供するエンタメとして成立させるためのバランスは非常に難しく(そして実際に失敗している)、緋田美琴が体調不良で降板することをこれ以上匂わせてしまえば、予定調和の崩壊こそが、運営が越えようとしているはずの予定調和になってしまいます。それでは物語の壁を越える体験の価値が、著しく下がってしまう。
運営が本当にやりたいことを諦めて、みんなが楽しめるライブだけをしてくれれば良かったのでしょうか。伝わる人にだけ伝わればいいという考え方も、一理あります。もう誰かを傷つけたくないと苦しんでいたルカが最後に言った「誰かひとりは、救えたかよ」こそがLMEを通して運営が望んでいたことだと思いますし、それを否定したくない。
その一方で、選ばれた一握りの人だけが楽しめるコンテンツにシャニマスをしたくない。運営も別にユーザーを傷つけるのが本意なわけないので、やるなとは言わないから、本気でシナリオを追ってる人は最大限に味わえるけどそれ以外の人もきっちりと満足して帰ってもらえるようなやり方を、考えるのをやめないでほしい。全員は救えないかもしれないけど、こちらからドアを閉めることはしないでほしいのです。

「毒か薬か」というのは、シャニマスというコンテンツのプロデューサーである高山が掲げる言葉です。
停滞を続けるよりは、時には毒になることもあるが誰かを救えるかもしれない物語と届けたいという姿勢でシャニマスは運営されていて、基本的に自分もこの考え方に肯定的です。永遠に同じことが繰り返され色褪せて忘れ去られていくくらいなら、例え傷つきながらも前へと進むことを選んでほしい。
穏やかな世界を否定している訳ではなくて、例えばSideMのように優しさの中でしっかりと成長と変化を描き面白いシナリオを作ることもできることを知っていますし、そのアイドル達の輝きに救われています。
その上で、時に上手くいかないことがあるとしても悩みながら丁寧に言葉を選び積み重ね向き合い続けることを選んだシャニマスのシナリオもまた、自分にとって確かに救いとなっています。選び抜かれた言葉とそれを支える演出によって描かれる世界は本当に多様で、外から考えられているよりもずっと色鮮やかです。
どうしようもならない現実に直面し上手くいかないまま終わることもあれば、楽しいことを全力で楽しむシナリオももちろんあります。日常のちょっとした悩みや仄かな憧れが繊細に描かれることもあるし、誤解に誤解を重ねた大きな軋轢が生まれることもあります。今回のように大きく物語が動くこともありますが、多くは小さな気づきや意識の変化で、そういったひどく地味なものの積み重ねによってアイドルたちは一歩一歩歩んでいます。
すべてが毒か薬か分からないものというわけでもなく、それが心にほんの小さな痛みを残すようなものか、もう一日中そのことしか考えられなくなってしまうようなものまで千差万別。今回のLMEは、その中のほんの一部分でしかありません。

アイドルマスターシャイニーカラーズは、相互理解の物語です。
この世界では、時にはアイドルやシャニPの思うようにいかないこともあるし、傷つけるつもりがなくとも誰かを傷つけてしまったり、誰も悪くないのにすれ違ったり、上手く想いが伝わらなかったりすることもある。だからといって、誰かに寄り添うことや言葉を探すことを諦めずに、どうすればいいんだろうと考え続ける人たちがそこにいます。いますぐには届かなくてもドアを開けて待っていることはできる。そういう風に他者と関わろうとするアイドルがいるコンテンツです。
対話を諦めるということは、シャニマスの否定です。
批判はあって当然だし色々な意見の人がいてもちろん尊重されるべきではありますが、全く誤った前提と一部の情報に基づいてアイドルを雑に扱っているとか倫理観がないとかライブを馬鹿にしているとか言われるのはなんか……フェアじゃないな!と思ったので、誰も読まないかもしれないこのnoteを書きました。伝わらないかもしれないけど、伝えることを諦めるのは違うよなと思ったので。けしてこれを読んでる人の考えを否定したり変えさせたりしたいわけではなくて、ただ知って欲しかった。内側からのメタ・非メタ的視点からの騒動の考察や、外側からの批判は多数見かけたけど、それだけでは問題の原因と結果の正確な把握には足らないと考え、他ブランドを兼任しているから見えてくるものを踏まえたものがこの文章になります。どうか、シャニマスのごく一部を切り取り拡大解釈し、それだけがコンテンツの全てであるとは思わないでください。

和洋中さまざまな料理を扱っているシャニマス。パスタが一番美味しいという人もいれば、ステーキばかりを食べている客、いやいやデザートこそが至高なんだと熱弁する常連もいます。どれもがこだわって愛を持って真剣に作られており、自分はその味が好きで通ってます。(もちろんたまに好みじゃない味の料理もあるけど)
中には一部の材料に、ハマればすごく美味しいが場合によってはお腹を壊すかもしれないものを独自に使用している料理もあって、注意書きを理解した上で自分で注文して食べています。
そこに横から「ここはわざとお腹を壊す料理を出しているらしい!ありえないどうかしている!!このお店は毒入り料理を出している異常だ!!!こっちに毒を盛るな!!!!この猟奇殺人鬼!!!」と突然食べてた料理を叩き落とされ、いやこれはそういう可能性もあるというだけの料理でしてということを慌ててと説明しようにも聞いてくれるような状態ではない。同じ料理を食べている人はというと、美味しい美味しいと食べている人もいる一方、騙されて食べてお腹を壊してしまったと怒っている人もいて、確かにここのお店の注意書きは分かりづらいしそれはお店が悪いわな……と思いつつも、その材料を使ってない料理も毒入りとして扱われ捨てられ茫然としている……というのが体感でした。あと「他のお店では毒を出さないで欲しい!」「うちのお店では毒を出さないから安心!」と店の前で叫んでる人もいて、こちらは合意の上でわざわざお金を払って時にはお腹を壊すことを覚悟でこの店でしか食べられない特別な料理を食べてるのに、まさかよそ様に毒を盛るなんて恐ろしいことするわけないじゃないですか……と困惑しています。元はと言えばメニューのおしゃれ感を優先して注意書きを大きく赤字で書いておかなかったお店が悪いのは重々承知していて、そこは非難されてしかるべきだし今後は直していこうねって自分も伝えていくけど、それはそうと丁寧に真剣に手間をかけて作られたことを知ってる料理がこのお店が出しているからと全然知らん人に一括りにされ全て一緒くたに捨てられたのは悲しかったな……みたいな……。注意書きを理解した上で料理を食べて、不味かったって言ってる人はそのままでいてください。
別に毒を食べたくて食べてるわけではなくて(毒に酔ってる人もいるにはいるけど)、ごく一部の料理は材料にこだわった結果人によってはお腹を壊してしまうこともあるってだけで、それを合意の上でお店の中で静かに料理を味わうのを、毒か薬か分からないものをそれが己にとっての薬となることを祈りながら口にすることをよかったら許してください。うわキモ……くらいは言われても仕方ないけど(キモいから)。

ただ露悪的にアイドルを扱う作品、ライブを馬鹿にしているコンテンツだと広まり、冷笑されたりおもちゃにされるのは堪えました。声を上げた人に私を傷つける意図はなく、自分が大切に思っているものを守りたかったのかもしれないと理解した上で、ここ一週間くらいはサイスタのサ終の時の次くらいにきつかったかもしれない。(アイドルマスターSideMはめちゃくちゃ元気!アイマスポータルにてストーリー好評配信中!)
まあ、その合間で『絆光記』を読み返して一周回って「また喧嘩しましょうね」モードに入ったのでいまは割と無敵なんですけど…………え?enza版アイドルマスターシャイニーカラーズの2024年ベストイベコミュ(個人の見解)こと、イルミネーションスターズさんの『絆光記』をまさかご存知ではない?ならこんなもん読んでないでいますぐ本編+サポカの【王と蚤】まで含めて読んできてください。いま必要な全てがそこにあります

このnoteを書いている間、様々なことを考えました。
自分は運営の意図を恐らくかなり正確に汲み、感動を味わえました。でも、大きく傷ついた人がいるこのライブを面白いと感じていいのか。自分はアイドルをエンタメとして消費している倫理観のない人間なのか。楽しめたと発信することも、やり方に問題があると批判することも、誰かを傷つけることになるのではないか。だいたい、こんな長ったらしい文章をいったい誰が読むというのか。あの時お店の外で騒いでいた人たちは、もうみんなシャニマスのことなんか忘れて別の話をしているのに。また信者が自分に酔ってて気持ち悪いなと思われるだけなのかもしれない。
どこにも届かなくて、何も意味がないのかもしれないと思いつつも、『絆光記』でイルミネの3人が、ルポライターが言葉を探し続けたように、自分も対話……というか伝えることを諦めたくなくて、拙いながらも必死に言葉を手繰り寄せています。

本気で物語を作り、本気で物語を受け取って、それを愛している人がいます。
どうか、良き隣人であるあなたにはそのことだけでも覚えておいてほしいです。











おまけ:『ライブ』の話

ごめん自分で『コミュ』って言っておいてなんだけど、やっぱ『ライブ』の話もしていいかなぁ!?!?!?!?!?
LMEは『コミュ』として参加したけど、『ライブ』だって本当にクオリティが高くて、美琴さん周りの件を一旦抜きに考えても、心から観て良かったって思えるものだったんですよ!!!!!!!

にちかちゃんが出てきて脚なげぇ……て思ったらその後出てきた美琴さんはもっと脚長くてひっくり返った。
緋田美琴の脚が283kmあった!!!!!!!!
ってか美琴さんのダンスが上手いのはもちろんだけど、にちかちゃんもすごくなかった!?!?誰だよこんなにすごいにちかちゃんのこと『じゃない方』なんて呼んだやつ!!!!でも美琴さんのパフォーマンスがこんなに息を呑んでしまうように素晴らしいのは美琴さんがこれまでずっと練習を積み重ねてきたからで、にちかちゃんだってずっとずっと隣に並べるように頑張ってきたからで……号泣。
初手の「無垢」で一気にライブに引き込まれちゃったし、夢模様キャンバスはフルを現地で初めて聞いたけど、あっという間に好きな曲になっちゃった!
ルカのダンスのキレも半端なくて、神死の時に高い場所まで1人で上がっていくルカにゾクゾクするほど興奮した!
Monochromaticも泥濘鳴鳴もまさか一番初めに本人達のパフォーマンス見れると思ってなかったから、嬉しいサプライズだった!
OMGのxRライブでのカメラワーク好き好き大好き。
とにかくライティング?が上手くて、逆光で照らされてアイドルがシルエットになったときとかガチの人間が出てきたかと思って一瞬ビビった。暗転したステージで薄っすらとアイドルの輪郭が見えるのが、すごく良かったな……。
このクオリティでいつかForbidden Paradise様も見たい見たい見たい〜〜〜!!!

というか、もういっそ『コミュ』に振り切るのがありならやりましょう、八雲なみのトリビュートギグ。


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