第123話「全体論」
この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。
前回の話はこちら↓
https://note.com/nukki_0228/n/nfa28352ca396
第1話はこちら↓↓
https://note.com/nukki_0228/n/n53efcebbdc9d
・父に殴られたという過去
・対人関係のカード
哲人
「課題の分離です。
たしかに、父とわたしの関係は
複雑なものでした。
実際、父は頑固な人でしたし、
あの人の心がそうやすやすと変化するとは
思えませんでした。
それどころか、わたしに手を上げたことさえ
忘れていた可能性も高かった。
けれども、
わたしが関係修復の『決心』をするにあたって、
父がどんなライフスタイルを持っているか、
わたしのことをどう思っているか
わたしのアプローチに対して
どんな態度をとっているかなど、
ひとつも関係なかったのです。
たとえ向こうに関係修復の意思がなくても
一向にかまわない。
問題はわたしが決心するかどうかであって、
対人関係のカードは常に『わたし』が
握っていたのです。」
青年
「カード?」
哲人
「わたしは『父を変えるため』に
変わったのではありません。
それは他者を操作しようとする
誤った考えです。
わたしが変わったところで、
変わるのは『わたし』です。」
青年
「課題の分離について考えました。
それは結局
『わたしはわたし、あなたはあなた』
と境界線を引いていくような発想です。
しかし、ほんとうに
そんな生のあり方が
ほんとうに正しいといえますか?
アドラー心理学の正式名称は
『個人心理学』だとおっしゃいましたよね?
そもそもおかしくないですか?」
哲人
「個人心理学のことを分解すると、
語源的には『分割できない』という意味です。
しかし、たとえば
カッとなって他者を怒鳴りつけたとき
それは『全体としてのわたし』が
怒鳴ることを選んだのです。」
青年
「わたしがウェイターに怒鳴りつけた、あの話ですね?」
哲人
「ええ。このように
人間をこれ以上分割できない存在だととらえ
『全体としてのわたし』を考えることを
『全体論』と呼びます。』
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自分の課題と他人の課題を
しっかり分ける。
これほとんどの人は、できません。
それは、
自分と他人の課題が一見すると
混合しているように見えるからです。
本当は
それは誰の課題なのか?
その中で自分が変えることが
できることは何か?
これを考えることが大事です。
あなたは、出来事を整理する習慣は
ありますか?
続