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雪舟えま『地球の恋人たちの朝食』書評:シャイニング・スター・システム

どうして脱出したいのが日本ではなく地球だと気づかなかったのか。

二日酔いの寝ぼけた頭でポストを漁りに行ったら封筒があり、中身が『地球の恋人たちの朝食』だった。雪舟えまによる初期作品集だということしか知らない。雪舟えまはかつて「手紙魔まみ」と呼ばれていた。ともあれ、眼鏡をかけて読み始める。と、よくわからないことが書いてある。一二〇頁も読んだのに栞は四分の一の位置にある。我に帰ってにおいをかいでみると、王朝文学風味がする。恋愛のお話ばかり書いてあるからだ。

『地球の恋人たちの朝食』。雪舟えまの古参ファンだけが知っている初期作品集にして、巨大すぎるためにかつては電子版上下二巻で刊行された本。つづめて『地恋』。ぜんぜんちっこくない。いま私が両手で掴んでいる本書は左右社から再刊された軽量版である。しかし二段組で四六一頁もある。生まれたての仔猫より巨大だ。

私は湯船に浸かる習慣がない島からきた。日本の友達に湯船の効用を訥々と説かれて渋々ながら入ったことがある。あのときもよくわからなかった。心地良いのだと思う。けれど、出力された言葉は「おいしい」だった。幼子が知っている言葉で知らないことを表現しようとするときに、そう言うように。湯船はおいしい。飲み干すわけではなく。浸かっているだけでおいしい。『地球の恋人たちの朝食』も、よくわからないなりにおいしい。

本書には何人もの登場人物がいる。「桐壺」「人魚」「まみ」「ゆゆ」「黒うさぎ」「ひろ子」「けっと」あとは、「ヴァニラウエハー」「ミツロー」……。他にも何人かいる。人なのかどうかよくわからない。忘れた頃に、例えば「人魚」が再登場して、「ミツロー」とはぐれたあとのお話を教えてくれたりする。それぞれのお話にはタイトルと日付が付されている。日付だけが本書を貫く縦糸だ。ものすごく細い。地獄脱出したし。蜘蛛の糸をたぐり寄せるように、日付が先に進んでいることだけを道案内にして読み進める。ときどきは続き物のお話がある。いいところだったのに、あのあとのお話は教えてくれないのだろうか。降ル雪は燃ェ柴に再会できたのか。二一〇頁を超えたあたりで、燃ェ柴と降ル雪の運命がもう交わらないことを受け入れられた。スュズュキは無事だろうか。けっとはどこの星にいるのか。教えてくれないんですねぇ。みなさん不思議なお名前をもっていますねぇ。名前は大事だ。

手紙魔ではないまみとして、手紙魔まみこと雪舟えまのことは特別だと思っている。地上には数千人を超える「まみ」がいるはずだが、みんな同じ気持ちになればいい。わたくしこと知識人のまみは本書を幻想文学の本棚に置いた。本書の世界は広い。日本を舞台にした幻想小説だと思っていたのに、宇宙人が出てきて、宇宙船に乗り、ほかの星まで易々と飛んでいく。それぞれの登場人物は世界を共有している。小室哲哉とか木村敏が言及されるところを見ると、私たちとも世界を共有している。前のお話に書かれていたことが不確かな情報としてあとのお話で言及されることもある。こういうのをスター・システムと言うのだったか。実に、綺羅星ノ如シ、だ。

読み進めているうちに、はじめにスピン(栞紐)を挟み込まれていた頁を過ぎた。私の元に届いた本では二七四頁だった。この位置は本によって違うだろう。偶然に支配されているからこそいいのだ。私は神を信じているから神の意志を感じる。占い好きの日本人なら「運命」という言葉使いをするところだ。金色の花紙から伸びている紫色のスピンである。花紙というのは背表紙の内側に挟み込まれた装飾用のパーツだ。このあたりまで来ると本書の立て付けもわかってくる。狂言回しの役回りをやっているのは「ヴァニラウエハー」という宇宙人だ。正体は紅色のワインのような液体なのだけど、変身能力があって、地球から人を連れ出すときはとても美しい女の姿をしている。決して人を攫うわけではなくて、地球に絶望して、地球を脱出したい人を連れ出すのだ。そうやって地球人は別の星に渡る。別の星に渡ったあと、それぞれの地球人がどうなったのかは、描かれることもあるし、そうでないこともある。わたくしこと知識人のまみは本書を連作短編集に分類した。知識人は分類する性分である。文芸評論のお作法に従って要約したくなる。でもそう呼ぶには一見関連しないお話が多すぎるな。それに二七四頁を越えてから、「ヴァニラウエハー」は一度だけしか姿を見せてくれなかった。本書の分類は難しい。話題を変えよう。

その国でわたしは炎と呼ばれてて通貨単位も炎だったのよ

雪舟えま『たんぽるぽる』(二〇一一)

雪舟えまの歌集にこの歌がある。本書でもお金の話をするとき、たいがい通過単位は「炎」だった。私はこの歌を「ほのお」だと思って読んでいたけれど、本書を読み終えて、おそらく「えん」と発音するのが正しいのだろうと考えを改めた。「七八〇炎」は「ななひゃくはちじゅう・えん」でないと締まりが悪い。「円」でなく「炎」。定価三〇〇〇炎+税。ハードカバーだもの。とはいえ本書は独立した作品集であり、歌集『たんぽるぽる』を読むためのサブテクストとして位置づける必要はない。世界観が共通しているから、併せて読むとおもしろい、程度のものである。

むしろ本書を読む際に強烈に意識することになるのは、穂村弘による歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の方だ。『手紙魔まみ』は二〇〇一年六月刊行。対して、本書の冒頭に記されている日付は二〇〇一年七月二一日である。すると、『地恋』は『手紙魔まみ』の続編として、シェア・ワールド的に八年がかりで制作されたテキストだと位置づけたくなる。『手紙魔まみ』が「まみ」からの手紙をバリバリとかみ砕いて作られた歌集ならば、『地恋』は穂村弘の胃の中で「まみ」こと雪舟えまが蘇り、赤ずきんちゃんよろしく、腹を切り裂いて出現したのである。

いまでは 虹色のジーパンに2本の脚をつつまれ 土のついたシャツをきてるけど
昔 人魚でした
毎日すきなだけレモンをたべさせてやると 世界の果てのレモン農場主の男がいったので
妻になることにどう意し 下はん身を尾びれのまん中からふたつにひきさかれ それでも死なず 生まれたての血だらけの左右の脚を それぞれ包帯に巻かれ ねたきりでいちねんをくらし 包帯がとれたころ2本脚で立てるようになっていました

雪舟えま「2001/08/28 世界の果てのレモン農場」『地球の恋人たちの朝食』(二〇二四)

かつて「ミツロー」に飼われて、「レモンアイズ」と名付けられた「人魚」は、グロテスクな手術によって人間となり、二本脚で歩き始めた。この衝撃的な記述を、私は雪舟えまの誕生物語として読んでいる。文筆に携わる<engage>ためにはかくも怖ろしい結婚<engagement>が必要だったのだろう。そしてこの記述は雪舟えま自身に対する予言でもあった。このちょうど一年後、二〇〇二年八月末から「ヴァニラウエハー」を中心とするスター・システムは本格的に駆動し始める。そして二年ほどでその役割を終える。地球に絶望して地球を後にした人たちのお話を通して、どうしてか、私はいま住んでいる地球を愛してしまうようになっている。「ヴァニラウエハー」が姿を消したあとの『地恋』はそうした愛の詩篇へと徐々に姿を変えていく。

あのまま物語に飲み込まれなくて良かった。


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