地下を巡る情報に振り回されるのは  ビジョンが曖昧なんデショウ

こんにちは(夜だけど)

最近尊敬する人に考え方や話し方が似てきた気がします。これって幸運なことというか。僕がこうなりたい、カッコいいと思える人が近くにいて、そうなる為の思考のプロセスをすこーしずつ盗めてきているような気がします。(まあ、まだまだ遠く及ばないのでコツコツ地味なことを積み重ねていくしかないですね。この前見た動画で前田裕二さんが「地味で面倒なことは誰もやりたがらないから競争相手がいなくなってコスパ最強」みたいな話をしていました。間違いないですね。)

さて、こんな僕ですがTAをする機会がありまして。当時あまり設計が得意でなかった、徹夜しまくっていてとにかく効率が悪かったにも関わらず、後輩に偉そうな顔して設計を教えています。ちょいちょい設計の提案自体以外にも考え方というか、僕が現在している思考のプロセスを話す機会があります。元が「できる」人って感覚でできてしまっていることなのでわざわざ言語化して人に教えることはないんじゃないかと思います。その点僕は元が「できない」状態からのスタートだったので「できない」人の気持ちが痛いほどよくわかる。で、ついつい口を出したくなってしまいます。後輩たちに100%伝わってるかは怪しいところですが、当時僕はこんなTAさんがいたら助かったんじゃないかなあという内容です。

どんな内容か端的にまとめると「正しく事例を使おうね」ということです。設計やってるとアドバイスでよく事例教えられますよね。

僕はなまじ事例を知っていたので、「それと被っちゃいけないんだ!」と思い込んで選択肢が狭まり、手が止まってしまう経験をよくしていました。でもそれって、普通に知識があればあるほど不利になっちゃいますよね(笑)

この情報化社会では大体のものは何かに関連して事例として出てきます。殊建築において革新的なボリュームやアイデアなんてなかなか出てこないです。それこそ天才が創るんじゃないですかね。だから、僕はその事例は尊敬の念をマックス持った上で発展させてみればいいんじゃないですかね?って考えです。その事例は知っているけど自分の作品の方が強い、くらいの気持ちでやったらいいんじゃないかと思います。(そもそもアカデミックな機関の教育の一環なので前例を参照することは普通のことでは。)

今まで建築学科で過ごす中で色々な人を見てきて変に職人気質?というか、探せば出てくるものをめちゃくちゃ頑張って作ってるイメージの人が多い気がします。(頑張って微分積分自力で開発して喜んでるイメージ。それは確かにすごいけど、既出なのでそれを使ってどう新しいもの作るかっていうのに頭使う方がクリエイティブなんじゃない?ってイメージ)

とはいえ、人の作品丸パクリして「私の作品です」っていうのは(その時点でバレなかったとしても)倫理的にどうかと思うし。他人の作品パクってつなぎ合わせて作って楽しろって言うわけじゃないです。ただ、変に情報にがんじがらめになって身動きが取れないのは何も生産性が無い…。イメージとしては二次創作って言葉が近いんでしょうか?元ネタを悟られないように作るのが上手いやり方なのかもしれませんね。

二次創作オリジナルを作るのを経験する段階をすっ飛ばして、完全オリジナル作品を作りにいこうとする人が多い気がします。まあ、課題の出し方的にもしょうがないのかなとも思う。

あと設計の始めたてってインプットが少ないと思います。インプットが少ない状態でアウトプットは出せないので、好きな住宅のトレースとかしてそれを組み合わせてみたりしたらいいと思います。敷地や諸条件が違うので全く同じものは建てれません。そこをどう適応させるか?みたいなところって思ってるより頭使います。これもやらない人結構多いイメージです。

手が止まってしまって不確定な何かを降ってくるのを期待しながら徹夜して締め切り迎えて「えいやっ」て提出するより前進すると思います。
僕は当時本当にその辺が理解できてなくて苦労したので、助けになればと。

「オリジナリティとは何か?バレない盗作である。」

(イギリスの神学者/ウィリアム・ラルフ・イング)

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