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恐らく最後のコンペを終えて

こんばんは。

今、僕は京都から家に帰る電車に揺られながら記事を書いています。(ヘッダーは帰りに撮った川)

久しく記事を書いていませんでした。なんとなく、書く気にならなかったのです。他にやることがあったり、特に伝えたいことがなかったりして。

コンペのノウハウ?みたいな記事を書いてそれを誰かが読んだとして、各々のコンペに対する向かい合い方は人それぞれで良いと思うしスタイル・取り組み方も違うので人によっては「良い記事」だし他の人には「共感できない記事」になると思います。

Twitterの炎上などを見ていると、(無いとは思いますが)もしも「気に入らなかった」人からけちょんけちょんに叩かれて考えをディスられ倒したのがバズったらどうしようとか思ってしまいます。そんな見えない誰かに遠慮して書きたいことが書けない、別にわざわざ書いてまで共感してもらう必要はないのかな、とか思ってしまうのです。

だから、そんなに真面目に影響受けずにこんな考えの人もいるんだなー。ぐらいのスタンスで読みたい人が読んでください。

ビビリなんで、怖いんで。
でも僕が書きたいこと書けないのは嫌です。

(最近noteを誰かに影響を与えたい、というよりは数年後見返したときに昔の自分の考えを見れるツールとして使いたくなってきました。)

いよいよ本題です。


今日「日本建築学会コンペの全国大会」で発表してきました。

名前だけ聞くとすごそうですよね。

恐らくこれは僕が建築学生としてコンペに出す最後の作品になったと思います。

例のごとく作戦を立てて臨んでいたわけですが、その詳細については別の記事で。今回はコンペに自分が向き合ってきて思ったことを書きたいです。

「コンペに選ばれる」ということは別に偉くもなんともないと自分が思えたこと。

(他の人に対して言ってるわけではなく、自分が自分に思うこと。今日大滑りしたから言ってるわけじゃないんだからね!!)

自分は卒計までの設計課題で本当にほとんど評価されたことがなく、遅咲きでコツ掴んで「コンペの評価のされ方」がわかったタイプです。

(余談ですが、空間にこだわって緻密な設計をするタイプよりは、壁の色が赤かろうが青かろうが人死なないしどっちでもいいやろ、という性格です。)

なので設計課題で評価されずに悔しい人の気持ちも、コンペ取れる人の気持ちもどっちもわかるつもりです。

実際コンペに受かりやすくするテクニックというのはあると思います。で、それを嫌う人がいるのも理解できます。

ただ、コンペをたくさん取ってる人はそれだけの労力を割いているし各々のやり方で研究もしている。打席に立つ数が違って、それを実現するための努力や戦略立てをしている。その点において、その労力は認められていいと思うのです。

大切なのはコンペに出す人が目的を何にしているかだと思います。賞を目的にする人、自分の表現を目的にする人どっちもいていいと思います。ただ、異なるスタンスの人をディスるのは不毛かな、と。自分のスタンスを強要する気もないし

コンペコンペ言っててわけわかんなくなってきました。所詮学生が取り組む一過性のお祭りみたいなもんだし、そこまで血眼になって無気にならなくてもいいのかな、とか。

でも、不思議なことに全く評価されてなかった頃〜M1ぐらいまでは悔しすぎて上記の状態だったんですよね。

実際に取ってみて変わるものがあったんだと思います。そういう意味で、自分は「コンペ取る=偉い」みたいなのは思わなくなったんで今までやってきて良かったのかなぁと。結果論でしかないかもしれないけど。

今までお疲れ様、自分。
ところでこの電車どこに向かってるん???
はよ帰りたいです。

以上。

↑コンペ引退記念に駅のトイレで撮ったワシver.2021

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