
ミタエイガ「どうすればよかったか」
2024年12月に公開され、広島でも公開されていることを知り鑑賞に行きました。精神医療に携わる人だけでなく少しでも多くの人に見てほしいと思える映画でした。
「我が家の25年は統合失調症の失敗例です」
「家族という他者との20年にわたる対話の記録」との監督のメッセージ。
以下、ネタバレを含みます。というか、ドキュメンタリー映画においてネタバレという概念があてはまるかどうか分かりません。予告編以上の内容に触れることをネタバレとするならばネタバレです。
ドキュメンタリー(英語: documentary)は、事実の特定の主題についてリポートする映画・テレビ番組・ラジオ番組 (wikipediaより)。
この映画における“特定の主題”は何かを考えると、統合失調症であり、家族であり、スティグマ(偏見)であり、愛であるように思います。
映画の最初に出てくるテロップ(一部、表現を変えています)
*この映画は姉が統合失調症を発症した理由の究明を目的にしていません
*統合失調症とはどんな病気なのかを説明することも目的ではありません
この2つが、正に大きなテーマだと感じます。
タイトルの「どうすればよかったか?」は家族(他者)への問であり、自らへの問でもあります。
病気を患った姉を含む“過去への問”でもあり、同じような状況が今もどこかで起きているかも知れないことをふまえて、「考えてほしい」と投げかける“未来への問”でもあると感じます。
パンフレットに記された経過を読むと、また違った印象が変わります。
ドキュメンタリー映画では、俳優さんが演じている訳ではありませんが、「カメラが向いている状況での姿」であり、本当の「そのままの姿」ではありません。他の人に見せる側面は様々ですし、カメラや録音があれば、自分自身も少し冷静に、客観的にその場にいることが出来るものです。
発症したと思われる日(最初に救急車を呼んだ日)から、入院し治療を受けるまでにかかった時間は25年。その間、全くの無治療だったのか、何らかの治療があったのか。それは描かれていません(踏み込む必要もない)。
本当に不躾な表現になりますが、「25年も無治療だったとしたら、この状態で維持できていたのも家族の愛の力なのではないか」とも思います。「愛の力」には様々な意味が含まれますが、患者さんによっては立つことも出来なくなっていたり、発語も難しくなっている患者さんだっています。
最初に救急車を呼んで精神科を受診した。その時には「全く問題ないと言われた」というやりとりがありますが、確かに一度の受診で統合失調症(映画の時代を考慮すると精神分裂病)と診断することは出来ません。心身の状況によっては一過性に幻覚妄想が生じることだってあるし、統合失調症に共通する症状を持つ疾患だって様々です。「全く問題ない」と”(医師が)言った”のか”(患者側が)そう受け取ったのか”でも齟齬が生じるものです。
勝手な想像ですが、医師である父親が「私の診断は違う。統合失調症であるはずがない。」と言いだしたら、余程の状況でなければ応じざるを得ません。両親が医師であったために拗れた問題でもあり、医師だったからこそ子供の病気を受け入れがたかった両親の気持ちもわかります。認めたくないという「意志」と、そうであるはずがないと考える「無意識の防衛機制」が混沌とした感情を纏い、問題を先送りにする。「先送りにしたことが悪かったのか?」と考えると、そうともいえない。先送りするしかなかった。
両親の立場から考えてみます。大正15年生まれの父、昭和2年生まれの母、ともに医師であり研究者。大正15年は1926年、昭和2年は1927年。
社会的な動きとしては、1931年に満州事変、1939年に第二次世界大戦の勃発が、1945年に終戦。20歳までの多感な時期を戦争と共に生きてこられた。
精神医学の歴史から考えると精神病院法の交付が1919年、1924年にマラリア療法、1930年に精神分析療法による治療例の発表、1936年にインシュリンショック療法、1939年に電気けいれん療法、1941年に前頭葉切除手術、1950年に精神衛生法が発布(私宅監置の禁止)、1955年にクロルプロマジンが薬価基準に収載(以上、岡田靖雄.日本精神科医療史より抜粋)。もちろんそれ以外にも重要な出来事は沢山ありますが、医師としての教育を受けていた時の最新知識(1950年頃の精神医学)では、治療が難しく、今のように「早く受診すればよかったのに」と言えるような状況でもなかった側面もあったのではないかと思います。
それぞれに不器用で、それぞれに必死だった。だからこそ撮れた映画なのだと思います。私自身は、この映像が作品になったことで、お姉さんへの、御両親への”弔い”になったような気持ちになりました。
家族という他者との20年間にわたる対話の記録
・家族であっても「他者」であり、理解しえないものが厳然と存在する
・「観察」ではなく「対話」を20年間続けてきたからこそできた映画
我が家の25年は統合失調症の失敗例です
・「失敗例」という表現は家族にしか使えない壮絶な背景を含む言葉
本当に示唆に富む映画です。
精神科医療の歴史や薬物療法などについても別項で考えていきたいと思います。