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偏差値40が国立大医学部に合格するまで①~10年前の君へ~
こんにちは、国立大医学部に在籍している「そうそう」です。
私は3浪して国立大医学部に前期入試で合格いたしました。
3浪という事実から分かります通り、私はもともと医学部に合格できるような学力を有していませんでした。
今回はそんな私が医学部合格までにどのような状況に置かれ、どのように成績を伸ばしていったのかをご紹介したいと思います。
この記事を通して、医学部合格を目指している方々、特に数学の苦手な受験生のお役に立てれば幸いです。
●高校時代
高校のレベルとしては地区の2番手校で、所謂自称進学校でした。勉強をするのは課題とテスト前だけで、残りの時間は友人とギターの練習をして全校生徒の前でライブをしたり、体育祭の応援団に入って夜遅くまで先輩にしごかれたり、好きな女の子と放課後にマクドナルドで飽きるまで話したり、、。今思えばまさに青春でした。
こんな生活を送っていた僕ですが、勉強に関しては自信がありました。というのも、中学時代は野球に明け暮れていたのにも拘わらず、成績学年トップ10を維持していましたし、地元で有名な塾では入塾から少しの勉強でトップに躍り出て一躍有名人となりました。高校受験でも勉強に身が入らなかったものの、第一志望合格を勝ち取りました。
「俺は周りの人間よりできるヤツだ」
必死で同じ高校に向かって勉強した仲間が受験に失敗した姿を見て、本気でそう思っていました。最低なヤツでした。
夢見心地の春が終わりを告げたのは、高校3年生の夏。
周囲は受験勉強を始め、僕も重い腰を上げて勉強に取り掛かりました。
ところが、ここにきて大きな壁にぶち当たります。周りの友達と同じように勉強しているはずなのに成績の伸びがそれに伴ってこないのです。
とうとう数学の定期試験で23点/100点を叩き出し、秋の全統記述模試では偏差値38をとってしまう始末。
こんな成績だったのですが、どういうわけか危機感が湧かず、休校日には推薦で進学先が決まった友人と新しくできたサイゼリアに行き「最近寒いよね~笑」とか言いながらミラノ風ドリアを頬張っていました。
息が白くなり始めても尚、そんな感じの生活だったのです。自分を過信していたのでしょう。
結果、センター試験では7割にすら届かず、2次試験でも奮わなかったので浪人が決定してしまいました。数学に至っては4割も取れませんでした。
実は、この時僕は医学部進学など少しも考えていませんでした。当時の志望校は某旧帝大学非医でした。
そんな僕がなぜ医学部志望になったのか。
周りに負けた事実を認めたくなかったから。
周囲が進路を決めた春休み。第一志望を叶えた友人から「これからお前はどうするん?笑」と聞かれたとき、その冷やかした感じが悔しくて「いや、俺は医学部を目指すからさ」と破れかぶれに答えたのです。
当然、みんなは僕の生活態度と成績を知っているのでやや驚いた表情をしていましたし、それよりも、今まで頭の片隅にもなかった「医学部」というワードを口走った自分自身が一番驚きました。しかし、東大や京大に並ぶ難易度である医学部は、周りを見返すには良い手段であることを瞬時に計算したのです。
「俺は周りの人間よりできるヤツだ」
こうして、しょうもない自分を守る、長い旅が始まりました。
話は次回に続きます。