守ってあげたい
高齢になり
体の不安があり
自分に
いつ何が起きても不思議ではないと感じるとき
後にのこしていく者のことを
人は想う
(どうか健やかに)
(どうか幸せに)
(どうか何不自由なく、これまでと変わらぬ暮らしができるように)
自分がこれまで守ってきた
大切な人たちが
自分亡き後も
どうか
どうか幸せに、と
そんな想いが湧き上がる
そんなとき
自分の代わりに
守ってくれる人があると
安心するのではないだろうか
わたしは
今日88歳のご夫婦の相談を受けて
義父を見送った時のことを思い出した
義父はいつも義母を思いやる人だった
義母を大切にしている人だった
ガンになり
最後を一緒に過ごしている義母が
看病疲れで限界に近づくまで頑張って
最後の最期、
お風呂に入れてもらい、
義母の手を握りながら、
静かにあの世へ旅立つとき
わたしの来るのを
待っていてくれた。
そうして
わたしが到着して
わたしが見守る中で
わたしが理想とする旅立ちを
わたしに見せてくれた
そのとき
わたしは
約束していたのだ、義父と。
(お義母さんは任せてください。わたしが守ります。だから安心して大丈夫ですから)と。
わたしは無意識のうちに
去り難く
苦しい中で義母を思いやる義父に
おもわず、自分の内側から湧き出る想いを伝えていたのだ、と思う。
だから
だから
義父は
安心して旅立つ人が
愛する人に見守られながら
静かに息を引き取る様子を
わたしに見せてくれたのではないだろうか
それは
自分の知らない場所で
自分の気づかぬうちに
突然、夫を失ってしまったわたしの
理想の旅立ちのシーンだった。
ああ、こんな旅立ちもあるんだ。
それを目の当たりにして
夢のようだけれど夢ではない
ちゃんと現実にあり得るのだという事をわたしの中にインプットしていってくれた。
そう
きっと
わたしは
そんなふうに穏やかな旅立ちを見たかった。
だから。
応援したい
旅立とうとする人の守りたい人を
旅立つ人に代わって守ります、と
だから安心して大丈夫だと、
そんなふうに言える人になりたいと思った。
そう思ったら、
ああ、既にわたしは「そう」なんだ。
以前、義父に約束してたんだと気がついた。
そうか、
やっとわたしは仕事として
それをできるようになってきたんだ。
きっとわたしは仕事を通じて
幸せな旅立ちへの安心のお手伝いができることで
過去に自分の伴侶を見送れなかった心が少しずつ少しずつ、満たされてゆくのかもしれない
そう気づいた
今朝の瞑想会でした