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満月にバラナシから電話をかける
ようやく熱も下がって、少しずつ動けるようになってきていた。
高熱を出していた時間は夢の中にいたが、久しぶりにおそるおそる宿の門を出てみればどっぷりインド・バラナシで、夢から覚めてまた夢をみてるみたいだ。
ふと日本の家に電話かけてみようと思った。その頃家庭がゴタゴタしていた時期で、わたしは離れていたくて日本をでて3ヶ月、こんなに遠くまで来たけど、一回死んで蘇ったような今、生きてるってことは家族に伝えておこうと思った。
1998年の当時、通信手段は電話か手紙。長距離電話は街角の電話屋からかける。黄色いSTD ISDの看板が目印で、ドアを開けて店に入ると机の上に電話が一台ポツンと置かれていた。インドと日本の時差は3時間30分、夕方暗くなりかけた頃だったので日本は夜9時か10時ぐらいだっただろうか。
少し緊張しながら電話番号のプッシュボタンを押し、呼び出し音がしばらく鳴る。母がでるか、妹がでるか。
しかし誰もでないのであきらめて受話器を置こうとした時、
「もしもし」と低い声が聞こえた。父だった。父が家にいるなんて、しかも電話にでるなんて想定外だ。
わたしは不意を突かれてびっくりしながらも、明るく今インドにいることを伝えた。急な電話で父の方もびっくりしていた。何を話したかはよく覚えていないし、短い会話だったけど、不器用な父が喜んでいるのは分かった。最後に「いつまでもほっつき歩いてねえで早く帰ってこい」
とぶっきらぼうに言った。
「いや、まだ帰らないけど元気にやってるから大丈夫!じゃあね!」わたしはそう言って電話を切った。
メーターに記載された金額を店員に払い外にでた。
空には黄色い満月が出ていた。
「まさかお父さんが出るなんて!」
なんだか笑いがこみあげてきた。
丸い月を見上げながら、ガンジス川のほとりに建つ久美子ハウスへ歩いて帰った。
その日の電話が父と交わした最後の会話になったことを知るのは、1ヶ月後のことだった。