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ペダル君 【旅で出会った犬たち:インド】

インド東海岸のオリッサ州の聖地プリー。のんびりした海辺の町で、日中の暑い時間は町全体が昼寝しているみたいだ。太陽が傾きはじめると、通りに活気が戻ってくる。オリッサベーカリーというパン屋さんがあって、食パンや惣菜パン、夕方になるとコロッケも売っていた。お店のすぐ隣にパン工場があって、従業員がよく外の階段で休憩していた。私が通りがかるといつも笑顔で「うちの工場見ていけよ」と手招きしてくる。はじめは断っていたけど、毎回毎回「見て行け」というので一度入ってみた。大きなオーブンを指して、「これがパンを焼く機械だ」と胸を張って教えてくれる。確かにオーブンだなと思った。これが彼らにとって大変自慢の機械であることがひしひしと伝わるので、「わー、すごいね、なるほど!」と何度もうなずく私。そうだろうそうだろうと、わらわらとついてきたおじさんたちは満足そうに頷く。「明日も来いよ、また見せてやるからな」。

私はコロッケと食パンをぶら下げて宿に向かった。
その途中、道端にマリーゴールドの花輪を首にかけられて横たわる犬に出会った。
あばら骨が浮き出た体、細々とした呼吸、遠い目。死期が迫っているのを見て誰かが早々に弔いの花輪をかけたのだろうか?
数日前に海に水葬された犬を見かけたばかりで、同じように首に花輪をかけられて波間を漂っていたのだった。普段インド人は野良犬を否定も肯定もせず、お互い生きるのを邪魔しないというスタンスに見えたが、生死に関わる場面では命に対するリスペクトを表現しているような気がした。
この犬ももうすぐ海に還るんだ、そう思いながら少し離れた場所で見ていた。
すると、犬は少し頭を起こして鼻をクンクンさせた。
あ、パン食べる?
私は食パンの端っこをちぎって犬の前においてみた。
犬はしばらく匂いを嗅ぎ、しんどそうにゆっくりパンを噛みはじめた。
じゃあ、1枚置いていくからね、と残りをお供えのように地面に置いて私は歩きはじめた。
やっぱり気になって振り返ると、なんと彼は必死の形相で私を追ってくるではないか?!
一転してギラギラした目、急坂を自転車でギッコンバッタンとペダルをこいでいるかのように後ろ足をもつれさせながら、しかも細い体からおはぎのような大きさのうんこをボタボタ落としながら!
ひいいい!と慌てた私は、「もう全部あげるから!」とパンもコロッケも置いて逃げるように帰ったのだった。
苦しかった野良犬人生に終わりを告げやっと安らかに天国に行くんだね、と勝手に生ぬるい物語を作っていた私に、「こちとらまだ生きとんじゃあ!」と喝を入れられた気分だった。

次の日の朝、同じ道を歩いてみた。
すると、生気を取り戻し蘇った彼が立っていた。
首の花輪は無くなっていていた。
私に気がつくと落ち着いた足取りでペダルを漕ぎつつ近寄ってきた。私はまた食パンを買い、ペダル君に進呈した。この町を離れる日まで、そんな毎日の挨拶は続いた。

なぜか分からないが、ペダル君の写真を見ると、浮かんでくる言葉がある。
井伏鱒二の「黒い雨」に出てきた白骨の御文の一節。
「我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれさきだつものは、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。」







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