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ラムーとモニー【旅で出会った犬たち:インド】 

南インドの聖地に滞在していた時のこと。この町にはシヴァ神の聖山があり、満月になると各地から巡礼者が集まってくる。
刺激的な北インドから南下してきた私とK、始めの数日はアシュラムに泊まっていたが、もう少しこの町でのんびりすることに決め、近くに部屋を探すことにした。
スマホのない時代、情報は人が頼り。
目的を持って歩いていても、全然違うことが起きて回り道せざるを得なくなって、結果その余計な時間がミラクルだった、みたいなことが旅では日常になっていたので、私たちはいつも「犬も歩けば棒に当たる」方式だった。
チャイ屋に聞いてみる、その辺を歩いてる人に聞いてみる、良さそうな家を見かけたらその家の人に聞いてみる。

ヤシの木が生える中庭に牛を飼っている屋敷があり、門の近くに手頃な小屋があるのを見つけた。直談判するべく、門を開けて入り母屋を訪ねると、タミルナードの男性の伝統スタイル、白いカッターシャツに白いルンギをまとった主人が出てきた。今までにも人に貸したことがあるらしく交渉はあっさりまとまって、私たちはその小屋にに住むことになった。
部屋には簡単な木枠にマットレスを敷いたベッドが2つ、トイレもついていて、バケツシャワーもできる。もう一つの部屋は家主の物置になっていて、部屋と部屋の間の通路は牛の世話係シヴァシャンカルおじさんが休む場所でもあった。

初日、小屋にザックを運び込んで荷解きしていると、ドアの隙間から視線を感じた。二つの目がじっとこちらを見ている。なんとも言えない奇妙な目だった。
私は「誰?!」と声をかけるが、目は静かにこちらを凝視したまま。
Kが立ち上がってドアを開きながら振り返って私に言った。
「犬だよ」
犬なわけない! 私も急いでドアの外に出ると、確かにそこにいたのは犬だった。
片目はあらぬ方向を見ていて、顎が横にずれ、口がひん曲がっている。
その顔のずれた犬の後ろにもう一匹の犬が控えていて、そいつが私たちにに猛烈に吠え立てた。

シヴァシャンカルおじさんが「これこれ、騒ぐでない、この方達はお客じゃよ」(多分そんな感じ)と声をかけると、犬たちは安心したようにおじさんの足元に落ち着いた。
この二ひきはラムーとモニーという名前で、この家の番犬らしき存在であることをおじさんが教えてくれた。そして、ラムーの顔が曲がっているのは、かつてこの家で何かアクシデントがあり、誰かを危険から守ろうとした際に負った名誉の傷である(大きなものが落ちてきたらしい)ということをおじさんは身振り手振りで熱心に語った。勇敢で座頭市のようなラムーと、お調子者で騒がしいモニー。

しかし彼らはこの家の飼い犬ではない。「いざというときは馳せ参じます」といったスケさんカクさんみたいな忠犬的な感じでありながら、普段はあちこちの縄張りを行き来して自立して暮らしていた。その中でも彼らにとってここが重要な根城なのは間違いなかった。
私がたまたま持っていたビスケットを一枚ずつ彼らにあげると、尻尾がちぎれるほど喜び、一瞬にして私にも忠誠を誓っていた。

彼らはその後しょっちゅう私たちの部屋を訪ねてきては、上目遣いで「この前のあれ、ありますかね?」と聞いてくる。先頭はいつもラムーで、後ろでモニーが「うまくやれよ」と固唾を飲んで見守っている。寡黙なラムーのまっすぐな視線には強烈なパワーがあって、本当に犬なのだろうか、犬に姿を変えた何か別なものなのでは?と私は怪しんでいた。

正体をつかむ時を待ちつつ私はビスケットを買い置きしておくようになった。(聖地は町全体がベジタリアン仕様であることが多く、野良犬も必然的にベジタリアンにならざるを得ず、生き抜く力ってすごい)

おじさんは毎日毎食イドリー(米と豆の粉の発酵蒸しパン)にサンバル(日本で言ったら味噌汁のような基本の定番スープ)という質素な食事で、その食事からラムーとモニーに分けてやることもしばしばだった。

おじさんが牛の乳搾りをするときは、ミルクのおこぼれをお行儀よく待つラムーとモニー。大きなバケツがいっぱいになると、おじさんは最後に手のひらに少し牛乳をとって彼らに分けてやるのだった。

ある朝、外が騒々しくて何だろう?とドアを開けると目の前に象がいた!
小屋の屋根より大きな象の体にはカラフルな模様が描かれていて、花輪で美しく着飾っていた。どうやらお祝い事で呼ばれたらしく、たくさん人も集まっていて、中庭で突然お祭りが始まった。私もいきなり象がいたのではしゃいでいたが、ふと気づくとおじさんもラムーもモニーの姿もなかった。
午後になって人影もなくなり、いつもの静かな空気が戻ってくると、どこからともなくラムーもモニーも帰ってきた。

おじさんはこの前から昼下がりになると素敵な杖を作っていて、指で絵の具を塗る作業の続きを始めた。2匹はそんなおじさんの横に腰を下ろす。
ふと窓から顔を出した私と目が合うと、
ラムーが「あ、この前のあれ、あります?」と目力で聞いてくる。
ありますとも。
私が出したビスケットを彼らは無言でさっさと食べ終えると、
「もっとあったりします?」とこちらを見上げる。
いや、今日はおしまいと伝えると、サワサワと揺れる椰子の木陰に移動して、どかっと寝そべって昼寝を始めた。その様子に怪しさは全くなく、普段の私に似ているような気もした。
シヴァシャンカルおじさんの虎模様の杖ももうすぐ完成だ。

ラムー



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