涙をあつめたら【藤井風スタジアムライブ旅】
そのメールが来た時、私は車をパーキングに入れて休憩していた。「当選のお知らせ」の文字をみてコーヒーを吹き出し、しばらく呆然。ハッと我に返り急いで高校生の娘にラインを入れた。
「うおおおおお!当選じゃあ!」
「ほんと?やばい!生きててよかった!幸せ!」
ド田舎に暮らす私たち家族、毎朝鹿や狐が横切る山道を20分車を走らせ、通学のため駅に娘を送っていく。車の中にはいつも風さんの曲が流れている。ある朝は声の魅力について語り合っていた。
「例えばgraceが始まると、目の前に空がぶぁぁって広がってひんやり気持ちがいい雲の中を飛んでるみたいな気分になって、心がじゅわーっとしてきて泣きそうになるんだ」と娘。
「ああ!わかる!視界が開けて自分がどこまでも広がっていく感じするわ、私もいつも泣きそうになる」
二人でそうだそうだ!と盛り上がっているうちに駅に到着するのだった。
いよいよ8月24日、私たち親子は早朝家を出て車、電車、高速バスを乗りついで日産スタジアムにたどり着いた。とうとうやってきたんだね!と小躍りする私たち。
軽やかな白い服、金色の髪の風さんはみんなの中からふわりと現れて、みんなの間を通って、スタジアムど真ん中のグランドピアノに静かに座った。まるで天使が人に姿を変えて現れているようにまぶしい。
graceの旋律が聞こえてきた。
あ、あのどこまでも広がっていく感じだ!
まるでピアノから穏やかな光が放射されて夕暮れの夏空にキラキラが舞上っていくのが見えるような気がして、いきなり私達は泣いていた。
あたしに会えて良かった やっと自由になった 涙も輝きはじめた
始めの曲、Feelin’ Go (o)dの後、彼は言った。
「みんなも今日ライブに来とるつもりじゃろうけど、わしもみんなのライブに今日来てます。This is not my show, this is your show」
そうか、ここに集まった7万人の人達は、今日ここで喜びのエネルギーの渦を一緒に作ってる。ここに来れなかった人も今Youtube生配信を見ている。遠くで一緒に喜んでる人たちのエネルギーも合わさって、どんどん愛が増幅してるイメージに打たれてまた泣いていた。
心は言葉をなくして感じられるは愛だけ
という風景がいま目の前に現れているんだ。
「みんなが手を叩くたびに、心の中のモヤモヤやネガティブが消えていくイメージでやってほしいです。モヤモヤを日産スタジアムの空に投げて帰ってください」そう言って『特にない』が始まり、7万人が手を叩く音は、一音一音ピタリと重なって美しく響き渡り、頭から清冽な水で洗われているような清々しさだ。
「ちょっと会いに行きます」
と風さんはバイク風のかっこいい自転車にガニ股でまたがって、スタジアムをぐるーっと回り始めた。その姿は小学生の夏休み、自転車に乗って「あーそーぼ!」と誘いにきた友達を思い出させた。
美しいバラード『旅路』が、まさかのパンク縦ノリ!
「どうだ!」という挑戦に「よっしゃー!」と受けて立つ気分。
私はヘドバンしながら今度は高校生男子になってた。
この宇宙が教室なら隣同士 旅路は続く
「あの頃となんも変わらない気持ちでやりたいなって思います。」
と歌ってくれたのは『風よ』。スクリーンに映っている微笑んでいる横顔は、デビュー前の少年のままだった。ピアノ弾く純粋な喜びが伝わってくる。
ぜんぶ風がつれてゆく あるべき場所へ
スクリーンにCASTING CALLの文字が点滅して、
Where have you been? I've been looking for you you you
と繰り返す声。
どこにいたの 探してたよ
体に響いているリフレインは次第に外から聞こえる声なのか、内から聞こえる声なのか曖昧になっていく。
呼んでいるわたし 呼ばれているわたし
わたしが探しているような、わたしが探されているような
境界線が薄れていくような不思議な時間、『きらり』。
『満ちてゆく』が始まると、みんなのスマホの小さな光がキラキラと輝きだした。無数の光はひとつの生き物のよう。
その小さな光のひとつひとつに全く違う物語の軌跡があって、でも今この瞬間は大きな喜びの渦の中に一緒に満たされている一体感。安心であったかい。
手を離す 軽くなる 満ちてゆく
曲の最後に風さんが横たわった場所は、風さんの墓だった。
In Loving Memory FUJII KAZE
Help Ever Hurt Never 1997-20
石に刻まれたひとりの人間の生きた証。享年を示す最後の2けたが空欄になっているの見た時なぜか自分の墓に見えてきて、この体を持っている時間は限られているのだと、強烈に今が愛おしく感じた。
「まーどーせ何とかなります、何があっても。どーせうまくいんで最後には。
みんながそのポジティブなパワーを持ち続けて、それをこの世の中に一緒にシェアしていくことが一番大事なんで、まじでうちら仲間としてそこんとこよろしくお願いします。」
さざなみのような拍手が広がる。わたしはあなた、あなたはわたし。
「苦しむことは一切ない、悲しむことは一切ない
次の曲やらんと俺らの夏終わらんくね?」
そうして『まつり』が始まると、もう泣いてんのか笑ってんのかわからないまま
踊りの波の中
まつり まつり 毎日愛しき何かの
まつり まつり あれもこれもがありがたし
最後にまた自転車に乗って手をふりながらスタジアムを回る風さんに
ありがとーーー!
と私たちも大きく手を振った。
そして、ライブが終わってふわふわしたまま、私たちは藤井風しあわせベジカレーを食べて帰ろうと長蛇の列に並んだ。ステッカーももらえるしね。
誰もが幸せに満ち満ちていて、ライブの話をしている。
途中雨が降ってきたけど私たちは傘を持っていない。持っている唯一の風グッズである小さいLASAハンドタオルをちょこんと二人とも頭にのせて雨を凌ぐ。このタオルは娘が中学生の時の担任の先生がくれたものだ。三者面談で先生も風ファンだということが判明、のちにライブのチケット抽選にそれぞれ申し込んだが、先生だけが当選!ライブのお土産に私と娘に買ってきてくれてこっそりくれたのだった。M先生のおかげで雨も凌げるねー、ありがたいねー。あれもこれもがありがたし。
「今日のライブで泣いた人たちの涙、全部合わせたら何リットルになると思う?」
とおもしろい質問をしてくる娘。
「えー!数滴ずつでも7万人だから結構だよね、2リットルくらい?」
「10リットルくらいいくかもよ」
「そうかもねー」
「集めたら、きっとキラキラきれいだろうね」
「光ってるかもね」
「風さんはそりゃもう光ってたけどさー、ヤッフルさんとかギターの人とかダンスの人とか、本当にみんなそれぞれが楽しそうに輝いてたよね。
なんか悟るってさ、自分を生きるってことなのかなって思った」
と娘から名言も飛び出した。
宿に一泊して次の日帰路に着き、家族揃って夕ご飯。留守番をしてくれていた夫が「ライブ面白かった?」とうどんをすすりながら尋ねた。
娘は「本当にいけて幸せ。面白いというか、ととのったって感じかなあ」
うん、本当にそうだなあ。
音楽で、錆びついた扉をバーンと開けて、新しい風を通して解放してくれたみたいだ。信じることとか、寛容であることとか、素直であることを目の前で見せてもらった気がする。
先日たまたま目にしたアインシュタインが娘にあてた手紙についての記事が心に残っていて、抜粋すると、
「現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、ある極めて強力な力がある。すべてを含みかつ支配する力であり、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。
この宇宙的な力は愛だ。 〜中略〜
それぞれの個人は自分のなかに小さな、しかし強力な愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。」
みんなの愛の発電機が稼働して、エネルギーがスタジアムで解放されるのを目撃したんじゃないかと思う。
汗だくで泣いて、歌って、笑って、手を叩いて、踊って、雨に濡れてカレー食べて、7万人の人と満ちていった夏の日、あれもこれもがありがたし。