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赤チンとペコペコ【旅で出会った犬たち:インド】

南インドの小さな山あいの村に数ヶ月部屋を借りた。マドゥライで旅人から聞いた情報を頼りにたどり着いた小さな村だった。市場やバスターミナルがある町から、車の通らないガタガタ道を歩いて小1時間くらい。

この辺りに貸してもらえる部屋はないか?道ゆく村の人に尋ねながら歩いていく。
何人目かで案内してくれるおじさんが現れ、「あそこはどうだ?空いてるけど」と指差した先は、丘の斜面に建築途中で止まったような藁葺き屋根の小屋。
中を見せてもらうと、がらんと何もないコンクリートの部屋の隅に水道がついている。もう一部屋作ろうとしたのかコンクリートの柱が4本立っているだけのテラスもあった。トイレは?と聞くと、おじさんは周辺の野山を指す。なるほど。
以前にも他の村で村人たちが日々場所を変えて用を足しているのを見ていたし、ここは眺めがいいので贅沢は言うまい。郷に入れば郷に従え。私とKはその家を借りることにした。私たちはまず町に買い出しに行き、床に敷く毛布を数枚、調理するためのケロシンストーブ、鍋などを買い揃え、山暮らしがスタートした。

すぐに野良犬2匹が様子を見にきた。
「金目のものはねえか?」と家の周囲をうろつくヤクザな雰囲気。
一匹は何の不具合なのか、股間から赤いチンがいつも飛び出している状態でちょっと気色が悪く、あまり近づかないで欲しいと思った。自然に彼を赤チンと呼ぶようになった。もう1匹は常に頭を上下させて赤チンの後ろで様子をうかがっていたので、ペコペコと呼んだ。

部屋には裸電球がぶら下がっていたが、停電はしょっ中、電気がついても線香花火くらいの光なので、基本的に暗くなる前にご飯を済ますことにしていた。夕暮れ時、食べ終わったお皿を洗ってから夕焼けをみようと外に出ると、2匹が争うように家の壁ぎわに頭を押し付けている。何をやっているのかと思えば、皿を洗った排水が外に流れてくるのを待ち受けていて、そのちょっと味のついた水を我さきに飲もうと争っていたのだった。
野良犬として生きるって大変。

そしてトイレ。毎朝用を足すために、水ボトルを持って適当な場所を探す。インドでは水で左手でお尻を洗う。はじめは少し抵抗があったが慣れるととても快適で、ペーパーがいらないし暑い国なのですぐ乾く。
この周辺を持ち場にしている人は私かKか。前回とは違う場所、Kとは違う場所、と日々新天地を開拓し、いくつか持ち場が増えたらローテーションしていく。1周回って前回の場所に戻ると、消えているか、カラカラに干し上がっているかだ。
ある日、何週目かのあるポイントに腰を下ろすと、少し離れたところに赤チンとペコペコが現れた。
2匹はじっと私を見ている。
「ちょっと、何よ、あっち行け!」と間抜けな姿で焦る私。
赤チンがぺろっと舌なめずりした。ペコペコがジリっと前に出る。
「来るなって!しっ!っし!」と必死に手近にあった小枝を振り回すものの、2匹は着実に距離を詰めてくる。怖いやら、自分の滑稽な姿がおかしいやらで、泣き笑いしながら猛スピードで事を進めて、飛び退くようにその場を離れた。
と同時に2匹はそこへ飛び込んできて、ムシャムシャ食べる音を私は背中で聞いた。
生きるって壮絶。

そんな姿を見たので赤チンとペコペコと仲良くする気には全くなれず、いつも邪険に接していたある日。スコールが降り始め、水しぶきで外は白く煙っていた。家の中には雨漏りするところが3箇所あって、下に置いたバケツや鍋に落ちるしずくが音楽のようだ。
Kも私も毛布の上に座ったり、寝転んだりして本を読んでいたが、ふと建て付けの悪いドアが少し開いたのに気づいた。
閉めに行こうかと立ちあがろうとした時、ドアの隙間から赤チンが恐る恐る顔を出した。体はびしょ濡れになっている。
そのままこちらもじっと見ていると、耳をぺたりと倒し目をつぶってそろりそろりと体を少しずつ部屋の中へ滑りこませてきた。
その顔には「決して悪さは致しません。ほんの少しだけここで待たせてください」と書いてあった。
「まあ、土砂降りだしね、雨が止むまでだよ」
罰を受けて廊下に立たされてる生徒みたいに、ドアの横で赤チンは背筋を伸ばして硬く目を閉じて座っていた。
屋根を叩く雨音と、バケツに落ちる派手な水音のリズムだけが広がっている。
私とKは本を読み、赤チンは正座して瞑想してる、静謐な時間がどれくらい流れただろう。
やがて雨足が弱くなり少し空が明るくなった時、顔を上げると赤チンがスッと外に出ていく後ろ姿が見えた。

私も外に出てみると、山の斜面から眼下に広がる大地にドーンと虹が立っていた。
あまりにもくっきりと、スコールの間に地面からニョキニョキ生えてきたみたいに。

#インド #野良犬#旅#エッセイ


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