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何もないところにポンとほおりだされて
どう動くか。
自分のパターンを知っておくと、良いです。
わたしは、
① 茫然とする。
② 困る
③ 水晶玉みたいだな・・・と先の見えない不安にさいなまれる。
④ やみくもにその水晶玉をカリカリとやりだす。
⑤ 水晶玉にちと傷がつくか、水晶玉の向こう側に何かがあるのに気づく。
⑥ そこを頼りに、対象物に食い込んでいく。
という順序です。そんなに他の方々と変わらないと思う。
知っているか、知らないかの違いは大きいですね。
特に①~③の自分を客観的に知っているか知らないか。
展望がつかめない時の焦燥感のことを「知っている」というのは強いです。
「何もないところ」に
最初の一手を打つ。
そこが一番、不安でたまらないけれど、
本当は一番おもしろいところ。
ぜろから1を絞り出す快感。
思い返すと、その瞬間に出したエネルギーの高さに
我乍らほれぼれします。
コップが落ちていたのをこどもが拾い、
くるくる回し始めたので、絵を描いてみました。
ずいぶん前になんとなく作ったおもちゃです。
保育に関わる方なら、だれでも一度作っているかもしれません。
汎用性は無限大。
こどもは、こういうおもちゃがとっても好き。
いや、こういう形になる前の、紙コップやプラコップが大好き。
くるくる回し始める前に、積んだりかさねたりつぶしたり並べたり、
いろんなことをしてコップと共にあそんでいました。
で、重ねて回す、というところまで来たのです。
動画のおもちゃは、おとなのわたしが描いたものなので
こどもが考えた偶然の産物のおもちゃの美しさはございません。
残念だけど、こどもの描く一本の線のたくましさは、
おとなには絶対にないもの。
こどもでいたかったなと思います。
おとなはつい、完成されたものを渡したくなるけど、
形にする前のものを渡したほうがいい。
究極、おもちゃというものがなくても、こどもは遊べるのです。
坂道一本あれば、無限に遊びます。
階段なんて、遊ぶ要素満載。
お願いだから、山をみたことない子に
「やま」という文字を教えることに必死にならないで。
それこそ時間がもったいない。
そして、遊びは高度化していき・・・
「こっちにおいで」
「え・・・?」どきどきどき・・・
「愛しているよ」
「うふ♪」
という遊びでちょっと喜んでしまうおとなになったりします
おうちの中は、あそびでいっぱい。
ぽんと題材が与えられ、
「これ、研究しといて」
と言われた時の、衝撃が忘れられません。
今までの教科書での学びって、
ガイドブックに書いてある通りに旅行しているのと同じだったのか!
でも、
必ず、次のステージがやってくる。
研究がどんなものかもわからない。与えられたものが何物かもわからないというところから始めていく行程と、
遊びをゼロからかんがえる行程は、
ほぼほぼ同じでした。
なので、こどもたちよ。
誰かが君たちを楽しませるべく作ったもので遊ぶのではなく、
自ら考えた遊びで遊べ。
限界まで、遊べ。
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![もり まさの /縫う人/おはなし届け屋さん/人形劇士](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/26225192/profile_8d9da8bfdcc42349da28be992d199965.jpg?width=600&crop=1:1,smart)