~ 思い出した”おててがつめたい” ~
親戚の家に行った夏の夜、娘が「ぬぐみさん作って」と唐突に言い出した。周囲の大人には意味不明なので「なにそれ?」と食べ物か何かと不審がる。そこで…、
「着古した服ありませんか?裁縫道具も」
急ごしらえなので小さいものを、しかも形に凝れないのでこんなのが出来た。娘は無邪気に「なにこれ?トトロ?」と言っているが、思い出したのは自分の母から聞いた”戦争”の話だった。
神戸の街が焼夷弾の空襲に見舞われ、逃げ回る中で女学生だった母は5歳ほどの小さな弟の手を引いていた。寒い冬、熱をもつのは焼き払われた家やビルという夜に、弟は「おねえちゃん、おててがつめたい」と言い出したそうだ。戦時中のこと、子供用の手袋なんか売っている店はない。
編み物が得意だった14歳の母は、空襲警報を聞きながら編み棒を動かして弟に手袋を編んでやった。指が分かれた手袋かミトンだったかは覚えていないそうだ。「せっかく編んだのに、理三郎はすぐなくしちゃったのよ」そんなオチをつけて母はよく空襲の話をしてくれた。とにかく寒かった。道に人が倒れていても、その人が生きているかも死んでいるかもわからなくても、段々慣れてきてしまって気にしなくなっていく感覚。もっと凄惨な光景も見たけど「その話はやめとこね」
そんな母も、「おててがつめたい」と訴えた叔父もとうに亡くなって、自分が今、娘に作ってやるのは”ぬぐみさん”かと思うと、平和で平凡なこの暮らしのありがたさを一人感じている。横で娘は、「ととろー」と勝手に名前をつけたそれを小さな掌の上でお手玉代わりに遊んでいた。
あれから数年たって子ども手もちょっと大きくなった。