インタビューは「とる」ものなのか?-1998年「ドクターキリコ青酸宅配事件」 #2-
自分が腹を痛めて産み、20数年育て上げた息子の断末魔の声を聴くというのは、母親にとってどんな経験なのでしょう。
よく「インタビューを”とる”」と言いますね。この”とる”という言い方に長年強い違和感を覚えてきました。
「○○のインタビュー!とれました!」「よし特ダネだ!今月の表彰もんだぞ!!」こういうやりとりをドラマや映画でよく目にすると思います。実際の報道現場でもほとんど同じ精神構造でそういう言葉が飛び交っているのです。
でも、人生で一番つらい瞬間を語ってくれた人の胸中を思えば、インタビューは”とったぞ!”と、まるで大きな魚が釣れたように自慢するべきことなのか…。
1998年「ドクターキリコ青酸宅配事件」で被疑者死亡のまま自殺ほう助の罪で書類送検された20代の男性「クサカベ」の母は、私たちのインタビューに答えてくれました。
「メディア初の”特ダネ”」です。でも、それを誇る気持ちには全くなれなず、非常に重い言葉を「預かってしまった」そしてそれが世間・社会に受け入れてもらえる可能性は極めて低い、と暗澹たる気持ちになったのを覚えています。
「インターネットの闇の中で人々に毒物を送り、死に誘った男の母」そういう立場に突然なった一人の女性が、敢えてインタビューに答えてくれたのは、おそらく私たちがメディアスクラムが去って数か月後に来た者だから…。彼女は自分の息子が罪を犯したのかどうかもわからない中で「犯罪者の母」として言葉を発することを求められ、戸惑うばかりの数か月を過ごしていました。ようやく気持ちが落ち着いて、自分の息子が「毒物を売り、送り人々を死なせることを企てた犯罪者なのか」という疑問を、そして息子がどんなに苦しんで死んでいったのかを社会に知ってほしいという思いで、インタビューに応じてくれたのです。
そのとき「預かった言葉」は次のようなものでした。
「その日、息子の部屋から異様な、”おおーっ”というような声が聞こえたんです。部屋に入ると息子は突っ伏していて…」
20年以上前に預かった言葉をここで詳細に再現するのは控えます。でも、この話をしてくれた彼女の絞り出すような震え声が耳に焼き付いて今もありありと思い出すことが出来ること、彼女が突然息子と自分に降りかかった”事件”をどう受け止めていいのかわからず苦しんでいたことは伝えておきたいと思います。
「クサカベ」にドクターキリコの名を与えた「ミチコ」の証言で、彼が各地の自殺願望を持つ人々に青酸カリ入りのカプセルを宅配便で送ったのは、「それがあればいつでも死ねるという、その気持ちの裏返しで今日一日を何とか生きていける”お守り”のつもりだった」ということがわかってきました。
もちろん、自殺を願う人々に「お守りだからね」と、本物の青酸カリを渡すことがどんなに危険で軽率なことかは言うまでもありません。しかし「クサカベ」が青酸カリを送った人々に「これで死んで」と思っていたのか、「これで生きて」と思っていたのかは、本人の死で永遠の謎となってしまいました。彼は人を死なせようとしてそれがばれたので自分も死んだのか、救おうとしてそれが正反対の結果を生んでしまいそれを自分の命で償おうとしたのか…。命を命で償うことの是非も問われ続けています。
その「クサカベ」を「彼も被害者んだ」と突然ネット上に登場し主張した「ミチコ」とはそれまで数か月、メールでやりとりをしてきましたが、本当にひょんなこと、というか全く予期しない状況下で実際に対面することになったのは、富士の樹海近くのペンションが並ぶ街のバス停でした。
それまでメールで彼女は「自分が命を絶つなら富士の樹海に入り、そこで朽ちて土に還りたい」という願望を教えてくれていました。自分が命を失い、その遺骸が朽ちて(生々しい言い方をすれば腐って)虫や動物に食われて、雨風にさらされてやがて土に還る…。想像を絶するのぞみを、理解は無理でも現場を見てみよう…。そんな思いでその日、富士の樹海近くに赴きました。
樹海近くの遊園地に、一番高いところに行くと樹海がパノラマのように見下ろせるジェットコースターがある。それに一日中乗っている…、「ミチコ」そう言っていたのです。ジェットコースターの頂点から見えるのはどんな風景か、そして彼女がそこまでして「還りたい」樹海とはどんなところか…、あらためて見るため、現地周辺を撮影しながら車で走っていた時のこと、
携帯電話が鳴りました。
「今、車を見かけたました。私、今日ちょうど遊園地に来ているんです。事務所に連絡して携帯電話番号を聞けたのでかけました。はじめまして、「ミチコ」です」
電子メールでやりとりするだけの情報提供者。警察の”事件”への見立ても、新聞・テレビの報道も”真実”とは180度違うと主張した人物。女性のようなハンドルネームだが実際は男か女かもわからない存在…。その「ミチコ」と思いがけず、彼女の「お気に入りの死に場所」で出くわすことになるとは。
「会えますか?こちらはカメラマンを一人だけ連れていきます」
「いいですよ」
あっけなく待ち合わせが成立しました。ネットの中の存在が、生身の人間として目の前に現れる、死にたい自分たちのことなんか警察もマスコミも理解できるはずがない、そう嘲笑った人物にどんな言葉を「預けられるのか」…期待を不安が覆いつくしていきます。時間通りに待ち合わせ場所のバス停に行くと、彼女は、もうそこにいました。
「ミチコさんですか?」
「はい」
やせた、やはり快活とは言い難い印象を残す20代の女性。自殺志願、希死念慮を抱く人に「事件」について話を聞いていいのか。このインタビューで「預かる」ことになる言葉はどんなものなのか、それを正確に伝えて社会に受け入れられるようにできるのか…。インタビューというものが本当は恐ろしいものだということを、この時痛感しました。彼女からまだ何も聞いていないのに…。そしてこのインタビューを残して、彼女が実際に自ら命を絶つようなことがあったら…。懸念だけが頭に渦巻く中、それでも予期しない出会いを無駄にはすまいと、彼女が宿泊しているペンションに向かいました。
「ミチコ」はある大手の新聞の記者に、事件に関しウソのストーリーを語り、それを紙面に掲載させたと言っている。今から語られる話はどこまで信ぴょう性をもつのか?事件捜査とそれについての報道に憤りを抱いている彼女が本当のことを話してくれるのか。
そしてそもそも、彼女は本当にこの事件にかかわっているのか?
たった数分の移動中にそんなことを考えていました。
そしてたどりついたペンションの一室。「ミチコ」は鈍い金色の、」長さ5センチ、底面直径2センチほどの容器(登山用に売られている灰皿?灰入れ?)を見せてくれたのです。
「これが、私たちが”EC(エマージェンシーカプセル)”と呼んでいたもの、「クサカベ」さんから”預かった”ものです…。彼から買ったんじゃない、彼から保管を委託されたんです」
中には…、
「青酸カリが入っています」
彼女の細い指を今でも覚えています。華奢な指が容器のふたをまわし開け、手のひらに落とされたカブセル。中には白い粉が入っているのが見てとれました。
「青酸カリです。警察に任意提出を求められましたが、拒否して持っています。これは”お守り”だから」
「ミチコ」はそう言いました。
(#3に続く)