プロのオーケストラ打楽器奏者に聞く! (その3)...フロリダ州立大が音楽学部、超名門ジュリアード音楽学院、猛練習、猛勉学の日々
はじめに
「プロのオーケストラ打楽器奏者に聞く!」 (その1)(その2)に続く (その3)です。 2007年当時、奏者であり主席代理としてもご活躍されていた菊池清見さんのインタビ ューをお届けしています。
高校時代に交換留学生として米国に留学したのがきっかけで、フロリ ダ州立大学の音楽科に進学し、そ の後かの有名な名門ジュリアード 音楽学院の大学院に進学し修士号 をとるやプロとして活躍されてい ます。その前向きなエネルギー溢 れる人生に、英語はどのように関 わっていたのでしょうか。音楽の 才能を見い出され、英語を身につ け、そして多言語・多文化の環境を実に楽しんでいらっしゃる菊池さん のこれまでの経歴の中に、英語が上達するカギも隠されているような気 がしてきました。
(その3)では、フロリダ州立大学での学生生活やニューヨークのジュリア ード音楽学院での生活について、たっぷりお話を伺いました。
必死で勉強したフロリダ州立大学Tallahasseeキャンパス音楽部時代
鈴 木: フロリダ州立大学って、いろいろキャンパスがありますよね?
菊 池: そうですね。音楽学部はTallahasseeにあるメインキャンパスにあ るので、私もTallahasseeに引っ越しました。
鈴 木: 大学の授業も大変だったでしょう。
菊池: はい、GPAを3.5以上にキープしないと、スカラシップ(奨学金)を 外されてしまうのです。だから、音楽以外のところで苦労しまし た。
鈴 木: GPA3.5というと、Bアベレージか。結構大変ですね。州立大学は おおむね点数のつけ方が厳しいから。
菊池: 授業料が高いので、スカラシップがなかったら当時でも年間1万ド ルぐらいかかることになったと思います。ですから必死で勉強し ました。日常生活では、授業料以外の本代や寮費のために、キャ ンパス内でアルバイトをしました。楽器庫の楽器貸し出し係やオ ーケストラが始まる前の椅子を並べる係のオーケストラマネージ ャーなど、いろいろ経験しました。
鈴 木: そういうことをすると英語の力がつくでしょう。
菊池: そうなんです。たとえば「楽器を返せ」などと電話で交渉したり するときは、強く言わないとだめでしたし。母がその頃の私を、 「すごく強くなっちゃった」と言ったことがあるんです。そうし たら打楽器の先生は"She is not strong enough."って(笑)。
鈴 木: それは面白い。まさに日米の感覚の違いですね。その頃の一日は さぞ忙しかったでしょう? 菊池: 授業に走って行って、ご飯を食べて、個人練習を2時間やって、ま た授業行って、今度はウィンドアンサンブルのリハーサルに行っ て、寮に戻ってディナーを食べて、そのあと、また練習に行っ て、11時ぐらいに帰っていました。練習は一日に4、5時間してい ました。今思うと、どうやって時間をやり繰りしていたのかな (笑)。
鈴 木: 1年生、2年生の時はどんな授業を取りましたか?
菊池: ギリシャ神話の先生がすごく好きでしたので印象に残っていま す。その他ワールド・ヒストリーやサイコロジーなど、卒業する ための単位はすべて取得しました。
鈴 木: アメリカの大学の一般教養は日本とは違って、例えばソシオロジ ーだったら、ソシオロジーを専攻する人向けの導入コースで、単 なる教養ではないのです。著名な学者、スタープレーヤーが講師 になっているし。だから1、2年生の授業が難しい。州立大学では どんどん落とされます。音楽学部だから音楽だけやっていればよ いわけではなく、まず教養を持つように教育される。これが後に 役に立つ。例えば、ワールド・ヒストリーを学ぶことでベートー ヴェンが生きた時代のバックグランドが分かるんですよね。
菊池: はい、役に立ちました。勉強の仕方とか、目標に向かって努力す る姿勢ができました。具体的には、文章の書き方なども勉強でき ましたし。3、4年生になると、音楽ヒストリー、音楽セオリーな どの授業を取ります。西洋音楽だけじゃなくて、 ethnomusicologyという、ちょっと人類学も含めようという勉強 もしました。音楽のほうはさらに練習時間を増やし、毎週の個人 レッスンや、3、4年生で課されるソロリサイタルに向けて、備え ました。音楽の場合は、学校というより先生を選ぶのです。幸い にもすばらしい先生に巡り会ってご指導いただきました。
鈴 木: アメリカの大学は必ずしも4年で卒業ではないですよね。サマース クールを取ったり、途中1年間働いて、5年、6年かかる人もい る。菊池さんは?
菊池: 一夏だけサマーコースをやって、4年で卒業しました。
鈴 木: それは優秀だ。それからジュリアードに? 菊池: はい。ジュリアードの大学院に進みました。 鈴 木: ジュリアードってどういう試験があったのですか?
菊池: 基本的にフロリダ州立大学の試験と同じです。曲をいろいろ準備 して、4人ぐらいの先生の前でのオーディションです。高校生のと きからニューヨークへの憧れがあったので、ジュリアードとマン ハッタン音楽院の2校しか受けませんでした。ジュリアードの試験 の後、落ちたと思ってすごくがっかりして、「これでニューヨー クも最後だ」といっぱい買物をして(笑)。帰ってきて1ヵ月後に 合格通知が来ました。 タングルウッド音楽祭にて
音楽に没頭したニューヨーク市ジュリーアドでの2年間
鈴 木: ジュリアードはどうでしたか?
菊 池: 州立大学とは全然違いました。まずキャンパスがありません。赤 いじゅうたんが敷いてある、プロの音楽家になるためのトレーニ ングをする場所といった感じで、とても競争の激しいところでし た。だからこそ行ってよかったのですが、2年終わった時は、正直 ほっとした気持ちもありました。
鈴 木: 勉強はどんな具合に行われたのですか。 菊池: 練習室の取り合いから始まり ます。打楽器の学生は13、4 人いるのに対し、部屋が4つ しかありませんでしたので、 日曜日の8時にサインアップ シートが部屋に張られ、みん な走って部屋の予約に行くの です。一日2時間しか同じ部 屋を使ってはいけないことに なっていたので、予約に合わ せて練習に行って、その合間 に授業を受けていました。 ジュリアードのチケットオフィスでバイトもしていました。夜 になるとカーネギーホールかニューヨークフィルのコンサートホ ールのどちらかに行きます。もちろんチケットを買うお金はあり ません。入口で休憩時間になるのを待って、途中退席の人をつか まえて「ジュリアードの学生なんですけど、後半聴きたいのでチ ケットの半券ください」って頼み込んで、ほとんど毎日のように 行って聴きました。コンサートを聴くのが、ニューヨークでの一 番いい勉強になりました。 私の先生はRoland Kohloff先生で、ニューヨークフィルの団員 でした。Kohloff先生は、私のフロリダ州立大学時代のGary Werdesheim先生の、大先生だったのです。すごく優しくておも しろい先生で、歌いながら教えてくださいました。ワーグナーの ジークフリートで「ここはジークフリートが死ぬところなんだ! Siegfried is dead!」などと替え歌を歌って指導される。だから、 「そうか、ジークフリートが死ぬところなんだ」って、しっかり 頭に刻まれています。残念ながら昨年2月にお亡くなりになりまし たが、今でも教えていただいた曲を演奏するたびに思い出しま す。
鈴 木: 充実した7年間のアメリカ生活の中でも、この2年間は特別でした か?
菊池: はい。あの2年間ほど練習したことはないというくらい練習しまし た。楽しむのは本当にコンサートだけ。音楽に没頭していました ね。もうちょっとお金があったら、もっと楽しめたと思います が、貧乏学生生活でしたので。
ジュリアード修士号取得後の道
鈴 木: ジュリアードの後はどうされたのですか?
菊池: 友人が「セントルイスで打楽器の先生を募集しているよ」と教え てくれたので、面接を受け、セントルイスに引っ越しました。セ ントルイスの交響楽団がコミュニティーミュージックスクールと いう学校を持っていて、そこで教えました。そこは、試験とか年 齢制限もなく、誰でも行ける学校で、生徒はさまざま。一番練習 してくれる人は55歳ぐらいのおじさんでした。2年ほどいて、そ の間、セントルイス交響楽団で演奏したり、車で2時間ぐらいのと ころにあるイリノイシンフォニーに叩きに行ったりする機会に恵 まれました。ですが、このままアメリカにいたらアメリカ人にな ってしまうと思ったので、一度日本に戻りました。 日本では新日本フィルや東京交響楽団など単発で演奏の機会に 恵まれたのですが、1年近く経つとやはりオーケストラに自分のポ ジションが欲しいと思うようになり、また多くのオーディション を受け、そのなかのマレーシアシンフォニーのオーディションに 受かり、今の職に就きました。
鈴 木: 日本では音楽の仕事で食べていくのは難しいんですね。
菊池: そうですね。英会話学校で教えたり、本屋さんでバイトしたりも しました。そのお金は練習スタジオを借りるのに消えました。日 本の音楽の世界に少し難しさを感じたのも事実です。私は日本語 を話し、日本人の顔をしているのだから日本人的な行動をするは ず、という周囲のexpectationを感じるのですが、16歳のときに 日本を出ているので、上下関係もよくわからなかったし、「日本 って実力主義じゃない」と悔しがったりしました。しかしこのと きの日本での1年はムダではありませんでした。やはり「海外でや ろう」と吹っ切れましたから。(その4)に続く。
鈴木の一口コメント
フロリダ州立大学の音楽学部を4年で卒業し、その後すぐジュリアード の大学院に進み、2年間で修士課程を終えたようですが、これは大変な ことですね。ただでさえ留学生にとって様々なハンディキャップがある のに、学費と生活費を自分で工面しながら、しかも理論と実技をしっか り付けなくてはいけない。また、どこでも練習ができるわけではなく、 レッスン代も半端ではない。でも菊池さんにとっては苦しくもとても楽 しい思い出の詰まった体験であったようです。話しながら顔が輝いてい ましたから。この頃の若者はなどという批判をよく耳にしますが、菊池 さんのこれまでの人生にはそんな批判は当てはまりません。英語は言う に及ばずどこでもプロとして生きていく術を身に付けています。
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