![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/38605605/rectangle_large_type_2_3bd607fbc30f0a23bb01858b3afd46e4.jpg?width=1200)
2020年10月期Vtuber語りまとめ
#戌神ころね生誕祭2020
古代祐三にBGM提供されてうすた京介がグッズ絵描いてボンバーキングの歌ってみた上げるの、情報過多なようでいてこれまでの活動が全部文脈としてあるから納得しか無いの本当にすごい #戌神ころね生誕祭2020
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 1, 2020
かつて高橋名人が歌ったファミコンソフトのテーマソングを令和2年にレトロゲーム好きなVtuberが歌うの「文脈」すぎる…… #戌神ころね生誕祭2020
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 1, 2020
チャンネル登録者数86万人超の強者が記念日にアップロードする歌がボンバーキングで皆がそれを歓迎してくれるの、Vtuberという世界の素晴らしさだと本当に思った
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 1, 2020
「好き」を突き詰めて、いっぱいに愛を語り、あとは力業でぶち破っていく戌神ころねさん本当に尊敬します。Vが好きなものを好きだと言い続けて、好きなものを作っている人達に認知されて、実際に関わりが出来ていくところ(ファンアートを描いてもらったり、曲を作ってもらったり、公式の案件がやって来たり)を見るのはオタクとして本当に幸せ。
メンバーシップは良いぞ
Vは不特定多数の悪意に晒されずにある程度自由に話せる、ファンはいつもより濃い話が聞けるしアンチの姿を見ずに済む(気分が良い)、チャットも拾われやすいのでより楽しい、メンバーシップは良いぞ
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 4, 2020
Vがポロッと言った「込み入った話はメン限でします」に対して「金儲けの為の誘導だ」とか書き込む人を見たけど、そういう人が居ない場所で話したいからメンバーシップ限定でやるんだぞ……と思いました
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 4, 2020
「自分はVだけど、リスナーがVになったからと言って急に距離を縮めて来られても困る」という問題について
「同じくV受肉したと言っても、それだけで急に接近するのはリスナー全体に対して不公平ではないか」「実力があるなら別にいいのでは?」「V化したファンとVを線引きする事には意味が無い」等の意見が若干紛糾していました。以下私見です。
Vtuber概念を整理しないとこの話は多分収拾が付かない
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 15, 2020
まだこの話盛り上がってたんだけど、各々の言い分はとてもよく分かるもののあり方も目的も手法もケースバイケースな「Vtuber」をマシュマロの文面からどのタイプに読み取ったかが違う&擦り合わせが出来ていないのが問題だと思う
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 16, 2020
今RTした二者の主張は別に相反していなくて「Vになったからと言って、今まで個人的な交流も無かったのに急に距離を詰められても困る」し「実力(とは何なのかというのは別問題だけど)を付けて同等の立場になった上で、きちんと交流や提案をしてコラボに至る」事は問題無いという話で繋げられる
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 16, 2020
普通に人間対人間の話だと思えば「趣味でVの体を持っている人」同士だったらある程度対等にやりとりすればいいし「趣味V」と「専業/副業でVをやっている人」同士が「公開の場で」急にコラボやるのは不均衡なのでは 零細宅録アマチュア音楽家が急に中田ヤスタカに共作してくれと言っても普通は断られる
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 15, 2020
一言で言うと「Vtuberのありようがケースバイケースなので、ケース毎に問題を検討しないと永遠に話がまとまらない」です。個人的にはVtuberという一つの単語/概念の下に多様なあり方が分化している今の雑多さはクリエイティブと面白イベントを誘発する要因だと思っています。でも急に距離を詰められるのは普通に人間付き合いとしてこわいので、そこはちゃんと段階を踏みましょうという事で……。
おかえりなさい。
Vtuberがオタク文化をアップデートしてしまった
「世界規模でのオタク文化への定着」「大手資本によるビジネス化」「ベテラン/新世代のクリエイターの参与」と「旧世代のオタクから嫌悪/軽蔑の対象になる」が同時に進行しているVtuber文化、端的に言ってオタク文化のアップデートに成功してしまったので本当に驚いてる
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 23, 2020
10年くらい前までのメインストリームオタクカルチャーではオタクをやれていたオタク達が新興のVtuberムーブメントには乗れずに時にアンチ化しているのと、逆にそのカルチャーを牽引していたクリエイター達はどんどんVのカルチャーに関わって来ているのを見て、その乖離に若干悲しい気持ちになっている
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 21, 2020
今まとめてて思ったんですがVtuber文化(とそのファン)自体が既に新世代と旧世代に分かれつつありますね……。以前にも書きましたが私のスタンスは「Vの世界が広がり変容していく事を肯定しながら心の中にいつも2018年を飼い続ける」です。
Vtuberがマス向けエンターテインメントを志向する事で発生する問題について
各々が得意分野でクリエイティブを披露したり、楽しくゲームを遊んでキャッキャしたり、おもしろ企画で盛り上がったりしていただけのVtuberの世界(根幹は今も変わらない)が何でこうなっちまったのかという気持ちはある 原因は「普通の人」が消費するマス向け娯楽としてビジネス化した事なんだろうけど
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 27, 2020
なのでマスに気付かれていない、大規模なビジネスになっていないVの世界にはまだあの時代の安寧があったりする でもそれじゃV達がおおむね食っていけないので難しい訳である
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 27, 2020
機械的に憎悪を生産し発散しているし自分が機械である事が分からないので機械以外の存在に変化する事を志向する事が出来ない人たち、が人類には一定の割合で含まれており、Vをマス向け大規模娯楽として展開した時点でVは一定の確率においてそういう生物達の憎悪の対象にならざるを得ない これは生態学
— ぬえふくろう (@Nuefukurou) October 27, 2020
実際、V関係の「炎上」とかいうものは「常に何かを叩きたくてしょうがない性癖の人達が偶然見つけた攻撃対象がVだった」程度の意味合いであって、真面目に取り合う価値のあるものはほぼ無いと思います。というかVに限らずそうです。Vのオタクたる原則は「Vの幸せを第一に考えて行動する」以外にありませんので(私はそう信じています)、そうでない生物達のピーチクパーチクをまともに聴く耳を持ってもしょうがない。ただ愛と歓びを語る事がオタクたる最大の反抗です。