殴り書き感想とか考察(という程でもない妄想)。Vtuberと道化師。尾丸ポルカさんという新人Vtuberについて。
ホロライブ五期生・尾丸ポルカさんの初配信について。一言で言うならば素晴らしかった。一見するとハイテンションで狂人ムーブの「やべーやつ」なのですが(チャット欄、配信タグの反応も概ねそれである)、それでいて一時間の配信がテンポ良く展開する隙の無い構成と話芸、複数のショートムービーや背景ネタの仕込みなど明らかに技巧の張り巡らされた配信だった訳です。
しかし、それを感じさせなかったという所が肝要である。そして彼女の出自を思い出す。そう、「サーカス」です。サーカスとは何か。テントという閉鎖空間において、観衆が取り囲むステージで繰り広げられる大スペクタクル。動物は火の輪をくぐり、空中ブランコやらナイフ投げやら。そして素顔を隠しておどけ役、盛り上げ役を引き受けるひょうきん者が「道化師」である。またサーカスの見世物が成立する為に必要なものは何か。それは演者たちのたゆまぬ訓練であり、大掛かりな舞台装置の製作であり、また公演先の街にバラまくチラシと看板である。もちろん公演の為には事務方の交渉や金策も必要でありましょう。
これは何かに似てはいないか。そう、Vtuberの配信そのものではないか。そう感じた訳です。サーカスの公演その場においては、その準備や訓練に莫大なコストを要する事を感じさせてはなりません。夢を見せる場所ですから。今回の公演=配信において、観衆=視聴者はまさにその大スペクタクルのみに言及し、配信の準備・仕込みに費やされた苦労には目を向けませんでした。(それこそが最良の結果です)そして尾丸さんは「道化師」を見事に演じ切り、舞台を取り囲む観衆を大いに沸かせたのです。
YouTubeというサーカステントにおいて、2D/3Dのアバターで活動するVtuber=化粧と飾りで素顔を隠し衣装に身を包んだ道化師であるとする。仮に、本稿の限りにおいては、です。Vtuberには①自らが道化師である事を公言するもの、②ほのめかすもの、③言及しないもの、④全くそうではないと明言するものがあります。いずれも正義です。そして今回の尾丸さんの配信は基本的に③であるポーズを取りながらも、明らかに①である事を示唆するシーンがありました。オリジナル曲動画を流す直前の「ミュート失敗」シーンにおける「私は尾丸ポルカ、私は尾丸ポルカ……」という自己暗示のようなセリフです。
このセリフはどこにかかるのか。とても素直に受け取るならば「バーチャル世界に居る誰かが尾丸ポルカという道化師を演じている」というシーンです。リアル側へのメタとして読み込むならば(オタクならそうしてしまうでしょう)「尾丸ポルカという人格は演じられたものであるという視聴者への表明」になります。これは、一瞬に挟みこまれたシーンでありながらヘヴィな意味合いを持つ表明です。
Vtuber文化は、特に配信中心・タレント性を中心とした現在の潮流に乗る以前は、Vtuberが提示する世界観をVtuberと視聴者が共犯関係的に作り上げていくものであったと、個人的には感じています。現在でものらきゃっとさんの配信などはその共犯形態を強く守っていますね。大好きです。そして、私は今回の「私は尾丸ポルカ」シーンにそれを感じた訳です。何者かが道化師を演じるこの姿を楽しむ視聴者たちよ、共犯者となって楽しめ。というメッセージ、もしくはほのめかしなのではないかと。まあただの深読みなんですが。妄想なんですが。
はい。で、配信自体の完成度の高さもさる事ながら、ごく一部の勘付く人にしか刺さらないようなちょっとした「毒」を盛った配信内容(であると私は読み込んだ)はかなり個人的に刺さった訳ですね。そして何より、結果としてその「毒」に気付かない観衆が大半である、その目論見を成功させてしまったという点において衝撃を受けています。今後も追っていきたいVtuberがまた一人増えてしまいました。時間が足りません。ここ2年間くらいずっとこんな感じですね。以上です。
P.S.
獅白ぼたんさんが企業Vという立場からVR界隈へのコミットを目標に掲げていることにめちゃくちゃ期待しています。