身近な人を続けて失いました

昨年、父を亡くしました。本当に突然の別れでした。元気な姿しか見ていないので、いまでもまったく実感がわきません。

驚き、かなしみ、つらさ、憤り…いろいろな感情で心の中がいっぱいですが、一番強いのは「納得がいかない」という気持ちです。

父は66歳でした。ある日病気が見つかり、手術をし、手術は成功したのに、感染症にかかり、あっという間に亡くなりました。コロナではありません。こうしたことは初めて起きたと医師が説明するほど稀なものです。どうせなら宝くじでも当たればよかったのに。

たくさんの人が受けて回復している手術なのに、なぜ父だけが戻ってこられなかったのか。せめて病気で少しずつ弱っていったのなら、わたしはもっとその別れに「納得」できたのではないか。早期発見なんてしなければよかったのではないか。もし他の病院だったら結果は違っていたのか。いったいなぜ、こんなことになってしまったのか。

誰かが悪いわけではない、ただ起こった出来事の結果であるのがこの状況だと頭では理解できます。それでも、答えなど出ないと知っていても、つい考えこんでしまいます。妄想のなかでひろがる無限の選択肢の一つ一つについて。



葬儀では、わたしが喪主を務めました 。世帯主を失うと、やるべきことがたくさんあります。右も左もわからないなか、役所や銀行での手続き、位牌のこと、相続登記に至るまで、自分にできることはすべてやったので、父には顔向けができるとおもっています。
親の理想からはほど遠い娘だったので、最後にできた、たったひとつの親孝行だったかもしれません。

ちなみに父の配偶者である母親は、ほとんど何もしませんでした。20年ほど前から引きこもりで、自分のやりたくないことはしない人だからです。
葬儀で一言も話さず、ただうつむいて座っている母親を見て、参列してくれた方は「夫との突然の別れに呆然としている妻」と誤解して心配してくれました。しかし彼女はいつもこうなのです。父の入院中電話のひとつもかけず、いよいよ危篤になって医師に呼ばれても病院に行きませんでした。
 
 

しばらくして、今度は祖母が亡くなりました。息子である父の死は知らないままでした。その後もさらに知人や親戚が亡くなり、長年一緒にいてくれた猫2匹も旅立ってしまいました。つらく、さみしい気持ちです。

もし家族の誰かが亡くなったら、残された親族で悼み、会話し、つらさを共有し乗り越えるのが一般的でしょう。しかしわたしにはそれができません。両親へのやり場のないもやもやを抱えつつ、自分なりの生活を送るのに精一杯です。

こうしたことはなかなか身近な人にも話せないので、こうして文章にしてみることで自分の気持ちを整理したいとおもい、ひさびさに書きました。
とても個人的なことでしたが、読んでくださってありがとうございました。