宿直草「たぬき薬の事」

打ち身の薬として「狸薬」という物がございます。
狸が薬に入っていると言う訳ではなく、狸に教えられたが故にそのような名前になったと伝えられています。

ある侍の奥方が、夜に雪隠(トイレ)へ行くと局部をなでる毛の生えた柔らかい手がありました。
夫に

「このような事がありました」

と伝えると、

「それは狐などの所業に違いない。用心したほうが良い」

と言われました。
次に雪隠へ行く際に、奥方は用心のために化粧箱にしまっておいた細身で小さな守り刀を持出し、着物の下に隠しておきました。
柄に手をかけ、いつでも使えるように構えていると、またしても同じように奥方の局部をなでてきました。
奥方が守り刀で不届きな手に斬りつけると、そこに落ちていたのは毛むくじゃらの狸の前足でございました。

「やはりな。こんな事だろうと思っていたよ」

と狸の前足を保管しておくことに決めました。
次の日の夜のことです。
ほとほとと戸を叩く者がおります。

「誰ぞ?」

と夫が訝しんで声をかけると

「決して怪しい者ではありません。昨夜、手を失った狸でございます。大変にご迷惑をおかけした事を謝りに参りました。お怒りになるのはごもっともな事でございますが、どうか許して頂けませぬか。私の手を返して頂くわけにいきませぬか」

と応えます。
夫はこれを聞いて

「畜生である分際で、よくも女だからと侮ったな。どうして手など返してやるものか。どうせ返してやったとしても、一度切り離してしまった手など、物の役にも立つまい。命を取るまでの罪ではない故、助けてやろう。さっさと帰るが良い」

と言いましたが、それを聞いた狸が

「何度でもお詫び致します。その手さえ返して頂ければ、良い薬を持っていますので、持ち帰って繋ぐ事が出来ます」

と懇願しました。

「ならば代わりにその薬を教えてくれれば、手を返してやろう」

と夫が申しますと、狸は喜んで

「簡単な事でございます」

と、どの草とどの木をこのようにして調合するのだと薬の作り方を夫に伝えて、自分の手を受け取って帰って行きました。
この薬の調合法は今でも残っており、素晴らしい効き目のある貴重な薬だと伝わっているのでございます。