未来への種まき ー東播磨未来100人会議ー
地域に「挑戦」と「対話」の協働文化を作りたい、という一人の若者の思いから動きはじめた東播磨未来100人会議(以下、100人会議)は、その思いに賛同する多くの参加者の熱気の中で記念すべき第1回目の幕を閉じた。
その若者とは小笹雄一郎さん(以下、オザリン)。彼が100人会議の冒頭で、多くの参加者を前にして語ったのは
「早く行きたければ、一人で行けばいい。遠くへ行きたければ、みんなで行くことだ。」
というアフリカのことわざの話。そして、100人会議を未来に向かって炭火のように粘り強く熱を発し続ける場にしていきたいという思いだった。
こんなことを書くとオザリンは真面目な人みたいな感じになってしまうけど、彼の魅力はそんな真面目で難しそうなことを楽しそうに冗談交じりに語り、飄々とこなしていることだ。受け流すことと、受け止めるべきことを振り分ける嗅覚もあるし、デザイナーなだけに何かにつけセンスを感じる。気の利いたユーモア感覚も持っている稀有な人物でもある。33歳、若い!
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僕は、3ヶ月半ほど前からボランティアの運営スタッフとして関わらせてもらえた事で、この企画が作られていく過程を近くで見させてもらうことができた。当日、開場まえにスタッフが円陣を組み「歴史的な一日にしよう」という掛け声があった。怒涛のような100人会議が無事に終了した今、まさにそのような一日になったんだとしみじみ思う。
一人の若者の思いはみんなの思いになり、この火種はこれから強く長く熱を発し続けることだろう。
◎当日のイベント内容
100人会議は、東播磨地域で挑戦を続けている9名から5分のプレゼンテーションを行ってもらった上で、参加者が興味のあるプレゼンターのグループに分かれて対話するという流れで行われた。
実は、前日夜に行われたリハーサルでは、「明日大丈夫だろうか?」というプレゼンターの緊張感や、残された時間がない中でまだ準備できていないことが残るオザリンの人知れない焦燥感に会場は満たされていたことを知っている。
でも、当日になると覚悟を決めたオザリンによるアイスブレークで会場は温まり、さらに会場の熱気に押されるように見事なプレゼンテーションをした9名の挑戦者によって会場の熱気はさらに増していった。前日の空気を知っているだけに感動的な展開だった。
プレゼンの内容は、グラフィックレコーディングのチームが手分けしてビジュアル化してくれたことで、その後の価値ある対話につなげることができたと思う。事前の打ち合わせがほとんどできていない中で、臨機応変なオペレーションで対応してくれたグラレコチームの貢献は本当に大きかった。
それぞれのプレゼンターを支える伴奏者(当日はファシリテーターの役割)が設定されており、参加者との対話ではグループごとに特徴のある場の運営がされていた。その準備に頭が下がるし、その様子を運営スタッフの特権として見て回りつつ楽しませてもらうことができた。
最後は、それぞれのグループの対話内容の共有が行われ、参加者全員が未来に向けた宣言を付箋に書いて100人会議は終了。
当初は予定してなかったという兵庫県東播磨県民局長という行政側トップの挨拶の中では、今後は地域の動きを行政側が積極的にサポートしていくという心強い言葉もいただいた。個人的には、まちづくりに行政が主導的に関わるべきではなく、地域の主体的な活動を邪魔せず陰に陽にサポートするというのが行政のあるべき姿だと思っているので、今回の100人会議を通じてそのような行政と地域の関係が構築されるのであれば嬉しく思う。
◎100人会議との関わりを振り返る
そもそも僕が、これまであまりご縁のなかった加古川で開催される100人会議に関わろうと思ったのには主に3つの理由があった。
①神戸の西の地域のことをもっと知りたい
②面白い人たちと出会って話がしたい
③このような企画が形になるプロセスを中の人として体験したい
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①神戸の西のエリアのことをもっと知りたい
僕は阪神間で育ち、今は神戸市民。大阪方面に行くことは割とあるので東方面のことは詳しいが、兵庫県内の西や北のことはあまり知らなかったりする。
今回の100人会議を通じて何度か加古川を訪問する中で、東播磨地域に対する馴染みや親近感ができたのは、この企画に関わらせてもらったからこその話だ。地域への馴染みを作るのは、人とのつながりの深さだとも感じた。
②面白い人たちと出会って話がしたい
今の僕は、様々な方と会って話を聞かせていただくというのが趣味になっている。100人会議の企画を聞いた時に最初に思ったのは、プレゼンターとして登壇する方だけでなく、参加される方も絶対に面白い方ばかりに違いないということだった。
100人会議後に開催されたごちゃまぜ交流会では、期待していた通りそこでしか出会えない素敵な方々と知り合うことができた。中には、姫路や阪神間など東播磨地域以外の方もおられた。
また、一般参加者だったならば時間の制約などでなかなか話ができない登壇者やスタッフの皆さんと打ち上げなどを通じてじっくり話をすることができたのは、何ものにも代え難い貴重な時間となった。
100人会議に参画したことで出会えた素敵な皆さんとは、これからの人生のどこかの場面できっと関わりがあるに違いないと思っている。
③このような企画が形になるプロセスを中の人として体験したい
地域の思いを持った人たちを100人集めたワークショップを実施することで、地域の文化を変えていくという壮大な話。予算ゼロ、組織ゼロの中から、そんな企画がどのようにして形になっていくのかを近くで見たいと思ったのも参画理由だ。
多くの人を巻き込みここまでのイベントに作り上げたオザリンの行動力と勇気には感銘を受けた。
正直なところ、100人会議を作り上げていく中で、感覚的には産みの苦しみを共有させてもらっていたのに、十分な貢献ができなかったということは自覚している。でも、ボランティアなりに楽しみつつ、良い経験をさせていただけたのだから、それを次に活かすことができるればそれで良いのだろう。
そして、東播磨地域の未来に、僕も自分ごととして関心を持つようになったということはきっと貢献の一つになるんだろう、とも。これからも僕は東播磨地域の応援団だ。
◎終わりに
100人会議が始まる時に降り始めた雨も、終わる頃にはすっかり上がっていたというのも、100人会議実現までのプロセスを象徴しているようだった。
思いを持って、イメージして、動いていく中で共感者を増やしていき、それを具体化してくという作業は本当に大変だったろうことは理解している。その分、イメージ以上のものを作ることができたのであれば、その喜びはひとしおであることだろう。オザリン、お疲れ様!
とはいえ、ここがスタートラインとなる。
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100人会議に関わらせていただいたことで、東に偏っていた僕の脳内地図も補正され、僕の住む神戸の位置付けのイメージも変わった。これからの人生に刺激を与えてくれそうな面白い方々とも知り合えた。
「知れば知るほどに、自分が何も知らないことを知る」という今の状況の中で、自分に不足しているものを感じつつも、自分の住む地域に対する理解が深まることで人生の豊かさも増しているということも感じられた今回の東播磨未来100人会議への関わりだった。色々と感謝。
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(追記 2020/3/4)
この記事は東播磨未来100人会議の翌日に書いたものの、なんとなく公開していなかった。今日は3月4日。あの日からまだ10日あまりしか経っていないのに、日本国内の空気はすっかり変わってしまった。
色んな意味で、2月22日は奇跡の一日だったんだよな。