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卒団ブログ #88佐藤翔

平素よりお世話になっております。今回のブログは背番号88番、佐藤翔(社会学科)が担当します。

まずこのような社会情勢の中でリーグ戦を開催するにあたり、OBをはじめとする多くの方々に尽力していただきました。この場を借りてご支援くださった皆様に感謝申し上げます。


ブログを書くにあたってこれまでを振り返ると、リーグ昇格をした1年や2部で悔しい思いをした2年、格上に勝利した新人戦、他にもチョンボには欠かせない合宿やピッチ外での様々なことが思い出されます。
しかしその中でも、やはり活動が制限された最後の2年はとても難しい期間だったと感じます。

昨年度は1年間リモートでの練習を行っていましたが、結局リーグ戦には1試合も参加できず自分たちの代を迎えることとなりました。
そして自分たちの代になっても状況は変わらず、リーグ戦に向けた練習以前にそもそもリーグ戦に参加できるか分からないまま活動をしていました。
すでに活動が制限されてから1年以上が経過している中で最上級生になり、サッカーがしたいと入部してくれた後輩の事を考えると、不透明な活動に振り回すくらいなら自分たちの代は諦めて社会情勢が落ち着くまではそれぞれの選択を尊重した方がいいのではないかと思うこともありました。
個人としてもリーグに所属している他の大学のサッカー部が練習している中で、自分はボールすら蹴れずに毎日ひたすら家の周りで走り込みをするだけの生活を続ける意味があるのだろうかと考えてしまうことも多くなっていました。

それでも結果としてはリーグ戦を戦い抜くことができ、引退前の最後の1週間には練習を再開できるようにまでなりました。

実際のところは「再開できるようにまでなりました」と簡単にまとめられるほど道のりではなく、大嶽先生やOBの方々のお力添えや部長の村松をはじめとする幹部の努力、頼れる後輩の助けもあってようやく辿り着いた「練習」でした。

練習ができることにこれほどまで感謝したことは今までの人生で一度もありませんでした。
諦めかけていた自分だけでは決して辿り着かなかった場所に導いてくれたチームメイトに心から感謝しています。


また、活動が少しずつ再開していくにつれて後輩のことを知るようになり、もっとちゃんと向き合いたかったと思うことが増えました。

自分はこれまで、やかましい応援や合宿の点呼、練習後のチッチなどピッチ外の部分からチョンボの色を受け継いでいました。
それゆえ、引退が近づくにつれて十分な活動ができずに代が2回も替わることで脈々と受け継がれてきたチョンボとしての色が失われてしまうのではないかと感じることがありました。

しかし、チョンボには「誇れるチームを共創する」という理念があります。

今の1、2年生とはチームの話があまりできていないことが不安ではありますが、自分たちはサッカーをすることが目的ではなく、サッカーを通じて自分がほんの少しでも豊かな人間になること、そしてチームを誇れるような集団にすることを目的としています。

もしかしたら、厳しいと感じていたこの2年間よりもリーグ体制が変わる来年からの方がもっと厳しい状況になっているかもしれません。
それでも、どんなときも楽しむことを忘れずに理念に基づいた個が集まる集団を目指して切磋琢磨してくれることを期待しています。

最後に自分のサッカー人生は、高校のどのカテゴリーにおいても大学のどの学年においてもサブとしていることが多かったですが、色々な考えや感情に触れることのできたそんなサッカー人生も悪くなかったと感じています。

練習ができなくなったこと
怪我をしたこと
試合に出られなかったこと
ミスをしたこと

サッカーに限らず、生きていれば色々あると思いますが、その一つひとつに自分でどういう意味付けを行うかということに限ると思います。
起きること全てには必ず意味があると自分は考えるようにしています。

それでも、
リーグ戦に参加できたこと
そして勝利できたこと
練習が再開できたこと
最終節に全員で笑顔になれたこと

他にも短い間にたくさんの幸せを感じることできました。

これからの長い人生の中でもできなかったことに与えられる意味を考えながらできたことをひとつずつ数えていけるようにしていきたいと思います。


拙い文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今後とも日本大学文理学部サッカー部の応援をよろしくお願いいたします。

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