向き合うこと
平素よりお世話になっております。今回ブログを担当させていただきます。社会学科3年佐藤翔です。物事を考えることは好きですが、文章にすることは得意でないので、拙い文章ではございますが最後まで読んでいただけると幸いです。
一言で言うと、私には向上心というものが欠落しています。
冒頭からこんなことを書くのも恥ずかしいですが、今まで佐藤翔という人間を生きてきたうえでそう感じています。ただ私は、ほんの少しの責任感と積極的現実主義によって成り立っています。
決して良いこととは言えませんが、私は自分のみでは行動を起こすことができない人間です。自分の能力が向上することを目標にしているというよりは、チームのためにはもっと努力した方がいいという責任感で動いています。いつからこういう考え方になったのか、少し思い返してみるとそれは高校時代のことでした。
チームのために努力する、なんてカッコつけたことを書きましたが、本当はチームに迷惑をかけないためにと言ったほうが正しいかもしれません。
自分の高校はいわゆる強豪校だったため才能がない私は練習についていくことで精一杯、ときに辞めたいと思うこともありました。小心者の私はチームメイトから怒られないようにと、ビビりながらプレーしていました。怒られたくないからチームのために努力する。目的を見失い、努力の方向性を間違えていました。
ただ私はそこで努力を放棄することだけはしなかった自負があります。先に書いたように私はかなり現実主義です。チームメイトの才能のある選手を見て凄いなとは思うことはあっても、私にはできないプレーなら挑戦しません。そのプレーはチームメイトがやればいいのです。それより私は自分自身を見つめて、努力で補えることを補い、私にしかできないことを探していく。自分には才能がないという現実と積極的に向き合うことで自分がやるべきことが見えてくると思っています。この考え方は今も変わりません。
私が最近、感銘を受けた「才能がないことも1個の才能」というが言葉があります。これは現代ホスト界の帝王と称されるROLANDさんの言葉です。彼は下積み時代に自分が才能がないからこそ仕事にちゃんと向き合い、試行錯誤できたと語っていました。私も才能がない自分だからこそ感じ取れるものがあり、できることがあると信じています。
もうひとつROLANDさんの言葉に「人に笑われる夢を掲げる」というものがあります。人に笑われない夢ということは、逆に言うと周りから叶うと思われているスケールの小さい目標であるという言葉です。これは現実主義な私にとってとても刺さる言葉でした。夢を語ることを恥ずべきことと履き違えないように、私もいつかは自分のために努力して人に笑われるほどの大きな夢を果たしたいと思います。
最後にそんな現実主義者の私から僭越ながら言わせていただくと、このチームはまだ強くありません。ただ、どこまでも強くなれる可能性はあると思っています。
拙い文章ではございましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。現在、弊部ではグラウンド練習再開に向けて、オンライントレーニングに日々励んでおります。今後とも文理学部サッカー部へのご支援とご声援の程、宜しくお願い致します。
次回のブログは、運営面でも頼りがいのある後輩ですが、何故か私のことを小馬鹿にしてくる川端大地選手がお送りします。
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