報酬系と好きな人
好きな人のことを好きな理由について考えてる。
どうして好きなんだろうって。
これは恋愛でも友達でも推しでも。
どうしてその人を「好きだ」と思うのか。
それは一緒にいて「心地よい」から。
気が合うのも、相手が自分に優しいのも。
で、この「心地よい」って、「脳のご褒美」つまり報酬系だよなって……思ったんです。
好きな人を大事にしたい、でも好きな人を大事にするその動機は、報酬系が働くから。
だからたまに思う。
もしかして「好きな人を好きって思う」こと、心のマスタベーション?って。
好きな人のこと大事にしてる自分がそれは最後自分のためなのかもしれないと思うと、いつも落ち込んでしまう。
好きだから、相手のために尽くしたいのに。
相手のために相手のためにって思うほど、自分の下心が気持ち悪くなる。
他人に優しくした後もそう。勝手に気持ちよくなってしまう。
本当に相手のことを思うってどういう状態なんだろう。
きちんと人を愛したい。愛してるから必要なのか、必要だから愛してるのか。
わかんない。本当は、前者でありたい。愛が先であってほしい。
でも私の脳は結構、利害関係先行で人付き合いを取捨選択することを私は知っている。相手といると「脳が気持ちいい」から時間と労力を投資してる、それを「好き」「愛してる」という言葉に置き換えてる。それに気づかないようにしようと思ってる……。
推しもそう。応援してる、って気持ちはあるけど、推してる状態がシャブというか……。推しを推してる時の快楽物質を享受したいからとことんハマってる、そこに時間とお金というコストを投資して、さらにその快楽にリスクを背負わせることでブーストしてる感覚なのです。
みなさんどうやって人を「愛してる」んだろう。
本当の無償の愛ってあるのかな……。
変な話ですみません。好きな人を好きになるたびに、私は自分の心の愚かさを身に染みて感じてしまいます…。
ネガティブな文章、読んでくださりありがとうございました。