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生きやすさは「我慢と譲歩」の綱引き

誰もが生きにくい世界は作れても、誰にでも生きやすい世界なんて多分無理。

なんとなくそのことを悟ったのは、中学2年生のときでした。
モヤモヤするという形で悟っただけで、言語化するとそうである、ということに気づいたのはもちろん大人になってからなのですが。

合わないものは合わない!
中学生の「無視」

センシティブな話題に触れます。ちょっと緊張します。

以下、中学時代の体験談として「いじめ」に当たるのかどうかわからなかった事象について、外野からの視点で書いていきます。
ややセンシティブな上、外野という立場上からの「その事象の見え方」について話します。
もしかしたら読んでいる誰かを傷つけてしまうかもしれないのですが、外の人も全ての人が見て見ぬふりしているわけではなく、当時どうしたらいいのかわからなかったことを、わたしが持っていた情報をもとに話していきます。 

【グループAのBさんへの無視】
時代背景:2010年ごろ
年齢:14〜15歳
学校の体質:人権学習を豊富に盛り込む。いじめ絶対許さない!


グループAについて:

  • 4人組。

  • 女子バスケ部の中の中心グループの一つ。

  • 比較的気が強い子の集まり。

※私の小学校からの親友にあたる。大人になった今も仲が良い。
ゆえに以下の話は私は彼女たちに対して、いい人とか好きというバイアスはあります。

Bさん:私から見た彼女について。

  • 学力テストの成績がとても良い人。

  • 空気を読んでくれない。

  • 会話の流れを壊す。

  • 悪気はないことはわかってる。

  • 部内にも部外にも友達はいる。

この事象の前に少しだけ当時14〜5歳の私からみた「中学」の背景と私自身のを話します。

私にとっての中学とは、非言語コミュニケーションの巣窟でした。
私は自分が幼少期から非言語コミュニケーションに難ありな自覚あり。
小学校の頃派手な子たちにウザがられた経験からウザがられた会話パターンを学習して、後天的に非言語コミュニケーション≒空気を読む術を手に入れてきました。
(これは出会ったことのあるパターンにしか対応してないので新しいコミュニティに行くたびに最初会話パターンが集まるまでは多少浮くんですけどね。)
のちに精神科で微ASDと言われてるので、多分普通に空気読むのは苦手です。

当時14歳の私は中学での非言語コミュニケーションをパターンとして分析・理解していたので、どうしてBさんは空気を読む努力をしないのか不思議でした。学力テストの結果がいい人なので、会話パターンを覚えるくらいお手のものなのでは、と思っていたのです。大人になってからこのコミュニケーション方法も向き不向きがあることに気づいていきます。

グループAは、とにかく会話のテンポが大切な人たち。毎回盛り上がってきたところであとからきたBさんに会話を分断され最初から話さなきゃいけないとか、盛り上がりポイントを汲み取ってくれないとかで毎回空気が悪くなっていました。

そのうち、彼女たちは自分たちの会話を守るために、グループAは排他的になっていきます。
中学生にとっては、この「ノリ」が学校生活の楽しみの全てといってもいい。
その楽しみをとられるくらいなら、距離を置こうと思ったようです。

しかしBさんはどうしてもグループAに属したい、突き放しても突き放してもついてきました。
部内にも部外にも友達はいるし、グループAに固執する必然性はなかったのもあり、グループAはイライラが止まらず、きつめの無視を始めます。

私たちの生まれた地区は大昔にいわゆる「部落」にあたる地区が近くにあったので、道徳の勉強が大変厳しい中学でした。
中学生で、道徳の校外学習として「水平社」を訪れたほど、人権学習に力を入れていました。

そのため、私たちの学校で目に見えるいじめは起きなかった…のですが。

というか、いじめに発展する可能性のある事象はただちに匿名で報告される文化が出来上がっていました。校内の人権・いじめへの意識は、人権学習の賜物だったと思います。

もちろん今回の事象も、報告対象となりました。このグループAの「Bさん無視」は、いじめにあたる、と女子バスケ部の顧問は大変怒りました。

しかしグループAはいじめてるつもりもないし、隠してるつもりもなかったので、顧問にさえ本音で反論します。

「じゃあ私たちはBさんのために卒業まで4人の会話を常に壊されなければならないんですか?!」

今思うと現代社会の縮図とも言えます。
マイノリティの権利のためにマジョリティは我慢するべきなのか。
もしくは郷に入っては郷に従うべきなのか。

そしてタイトルの考え方に私は辿り着きます。
生きやすさは、「我慢と譲歩」の綱引きであると。

どちらかが生きやすい、そうしたい!と利益を主張するとき、反対側の人間はなにかしらの不利益や我慢を要する。

とてもこんなこと、中学生の彼女たちに解決することはできなくて。
彼女たちの態度はたしかにキツかったけど、きちんと本音で何度も話し合っただけマシだったのではないかと思います。
結局グループAは「私たちとBさんは合わないから一緒にいたくない」と真正面から断り続けて、顧問は「Bさんをグループに入れて丸くおさめなさい」と怒り続け、部活を引退するまでずーっと部活の空気は重かったようです。

この件は結局卒業までモヤモヤしたまま漂ってました。

後日談

中学卒業後、Bさんは県内で1番偏差値の高い高校に進みます。
ここは言語化されたコミュニケーションがメイン。
彼女は大変生きやすそうにしていました。
合う場所に辿り着けてよかったなぁと、外野ながら胸を撫で下ろしました。

学歴フィルターみたいな話も嫌われるかもしれませんが、すごく横暴な表現をすると偏差値が近い人どうしのほうが、興味の範疇やコミュニケーションの方法が近い傾向にあるのも事実なのではないか、と、高校・大学と受験および進学するほどに、コミュニティがお互いの感覚に近いものに濾過されていくのを感じました。

中学のいじめ問題は根深いと思いますが、今回の件をふまえて、原因の一つは「合わない人たちを無理やりひとつの空間に詰め込んでいるのに、合わないことの我慢をできるほどの精神年齢に達していない」ことなんだろうなぁと……。
人権学習が厳しい学校でもこうなるのですから。

またこの「Bさんの無視」を、いじめとするか、正当防衛とするか、実は、あれから10年以上経った大人になってもグループAとの会話の中で話題になっています。

「たしかにキツく当たったし悪いことしたなと思ってたけどウザすぎて耐えられなかった」

拒否は加害なのか?
悪意がなくても拒否すること自体が悪なのか。
大人になっても当時のことを議論してるのは、彼女たちが今、親になったから。
親として、子をいじめをさせない子、もしくは友達に嫌われる要素を減らせるように導くコミュニケーションの教育方法を考えています。

余談:コミュニケーション苦手な子のケアをしていて思ったこと

私は自分で言うのもですが当時学年の中心人物の1人であったため、小5〜中3くらいまでクラス長になる回数も多く、部活も副キャプテンでした。そのため毎年裏で毎年担任に頼まれて、浮いてしまいそうな子たちに積極的にコミュニケーションをとってケアをする任務に従事しており、気づいたことがあります。

もともとコミュニケーションが苦手な体質の子もいれば、親が家庭内でまともなコミュニケーションをとらなかったせいでコミュニケーションの取り方がわからなくて浮いてしまった子もいるのだと。

というか学校で教師が子供のケアを子供にさせてるの今思うときつすぎるだろ、とか思っちゃうんですけど。
でも子供同士じゃないと踏み込めない領域があるのも事実でした。
(多感な思春期にカウンセリング業務していた私は、精神的に背伸びしていたので、ちゃんとこのあと色々拗らせて20代前半はアダルトチルドレンみたいな状況になりました。やっぱり誰かを守るとどこかに歪みは生じる)

自分が先天的には非言語コミュニケーション苦手だから浮いてしまう子のこともわかるし、後天的に非言語コミュニケーションを身につけた側として、いじめてるつもりはなくても加害容疑立てられてしまう友達の気持ちもわかって、複雑な気持ちでした。

浮いてしまうことへの解決策として、当時その子たちにどうしたらみんなになじめるのか、というアドバイスをしようとしたこともありますが、当時の私にとっては、ら「自我を押し殺して郷に従え」が答えになってしまうのでとてもアドバイスできませんでした。実際私はそれを実践して学年の中心人物に成り上がりましたが、結果的に数年後歪みが生じて自己肯定感が地に落ちてしまいましたし、言わなくて良かったと思っています。
進学や就職を通して、生きるコミュニティを自分で選べるようになるまでは、自分として生きやすいか、社会の中の個体として生きやすいか、このバランスのいいところを見極めないと、苦しくて仕方なかったです。
学校合わないなーってなったら無理に学校通わなくてもいいのかな、も1つの答えなのではと今は思ってしまいます。

本件についての私なりの結論

この事象を当時、外野の私としてはいじめと定義できなかったけれど、避けられた子からしたら、いじめなのかもしれないし、避けられた本人がいじめといえばそれはいじめなのです。
ハラスメントと同じです。
本件に関しては、Bさんは明確に本件を「いじめ」と明言したのかは定かではありません。
顧問は「いじめ」認定していました。

みんなにとって生きやすいってなんなんでしょうね。難しいです。
いじめられる寸前だった子をクラス担任の裏指示で守り続けた私は、やっぱりその子たちと無理に一緒にいる時間は、動機が責任感のみで仕事として自分を押し殺してたので、のちにアダルトチルドレン的な反動に陥ったし、誰かがこっそり無理しないと、やっぱり誰にとっても生きやすいって作れないのかなってその頃はどんどん心が荒んでいきました。

理想は、みんながちょっとずつ我慢を分散して引き受けて、また、今自分が生きやすいのは、誰かが我慢を引き受けてくれてるからだろう、と、「生きやすさ」という見えない綱引きの向こう側を想像してリスペクトし合うことだと思います。
みんな一人一人全く違う考えを持って1つの世界で生きてる以上、生きやすくて当たり前なんてないんだと思います。

だから今日、生きてて楽しかったな、と思った日には、きっと誰かに我慢してもらってたおかげだし、今日辛かったなって日は、誰かに楽を供給できたかもしれないなって思うようにしてます。

おわりに

すごく長くなりました。
中学時代の友人の無視とともに「生きやすさ」について考える文章でした。
大人はある程度関係のフェードアウトが選べるけど、学校という場所は狭すぎて関係性のフェードアウトがまず無理なので、狭い環境で「生きやすさ」整備の綱引きが常に発生してます。

センシティブな話題なので傷つけてしまった方がいたら本当に申し訳ございません。
もちろんいじめを容認する文章ではありません。
無視はされたことあるから無視される側の気持ちもわかるし、逆に無視したくなるほど合わない人といる時はQOLが下がるのもわかる。という立場からの文章でした。

マジョリティとマイノリティの譲歩のバランス、難しい問題だと思っています。
だからこそ大人になってもグループAとともにこの事象について、ずっと反省会をしています。
自分の心を守りながらも、人に対しても優しくいられたらいいなと思っています。

まとまりのない文章、読んでくださりありがとうございました!


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