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未婚者だけど子育てに参加したい

同性を好きになるアラサーです。
20代後半になり最近、インスタを開くたびに誰か結婚してます。
婚姻数は減ってるとはいうけれど……全然流行ってるわ結婚!!

っていうかこの前ゆりかごだった子がなんか立って喋ってるんだけど?!嘘でしょ?!みたいなことも増えてきたインスタ!!!

そんなこんなで、フリーランスの仕事とオタ活に生きてる上にL気味の私は、周りの友達と話してると、出世とか結婚とか出産とか子育てとか、目まぐるしくライフステージが変化する友人たちを横目に「羨ましいってわけでもないのに……あれ?私はこのまま自分のためだけに生きてていいのか?」と思うようになりました。

自分のために生きていい、とは、他人に対しては思います。その人がそうしたいならそれは間違いないのだと。自分で、生きたい人生を決められること、その理想に沿って生きるのが絶対間違いではない状態だと思うんです。むしろ!!わたしも!!自分のために生きていい!!と自分に思えたらもっと生きやすいかも知れねーのに!なんで自分のためだけで満足できなくなってきたんだよぉぉぉと、悩ましく思っています。

わたしは、自分のために生きることは、長生きする動機にならない。
ハッキリ言って、自分のためだけに生きていくには、気力足りなくなると思います。生きるってめんどくさいじゃないですか。生きてるだけでお金かかるし。生きてるだけで税金発生するし。本当にめんどくさい。死にたいとまでは思わなくても、仕事である程度成し遂げたいことを達成してしまったら多分あとは生きるのめんどくさいと思うんです。人生流し走行みたいな。

それに、私には、多分背徳感がある。
小さい頃から、みんなと一緒、列を乱してはいけない、秩序を守りたい、そのために、暗黙のルールを尊重する、そんな性格でした。

結婚しないこと、子供を産まないこと、こんなこと今の時代は不正解でもなんでもなく、立派な選択肢であると、頭ではわかっている。

でも、なぜか、背徳感がある。
自分のためだけにお金と時間を使う。
これでいいのか?みんな子供を育てているのに、私だけこれでいいのか?
子供を育てていることが、社会に参加していること、つまり、フリーランスだから会社にも行かない、子供を育てない私は、社会の輪の外側にいるような、誰の役にも立てていないような感覚。どうしてもそんなことを思ってしまうのです。

「私たちって、10年後も20年後もライフステージ変わらないよね。
変わらず漫画描いて推し活してそうだよね。
このままでいいのか最近不安になってきた。
子供も産まないし。人生に明確な変化がなくない?」

Aロマ気味の友達とそんな話をしていました。
そしたら彼女は言うのです。


「じゃあ、近い将来私たちで子供を育てようよ!」

ええ?どうやって?

「我々まだ金銭的にゆとりない作家してるけど、もう少し印税でゆとり持てるようになったら
保育園とか施設とか、そういうところに金銭的な援助したり玩具贈ってみたり。
あしながみたいな基金に寄付したりさ。

だって子供育てんのお金かかって大変じゃん。
それを支援していけるなら、私たちも間接的に社会の子育てに参加してると言えるでしょ?」

そっか、金銭的な理由で子供を諦める、もしくは2人目、3人目を諦めるご家庭がある。わたしたちが金銭的に支援する立場になれば、その問題は解決する…そうだよな!この世が大きなチーム子育てだと思えば、私たちは、間接的に社会の子育てに参加できるのだと思いました。

そして彼女は続けました。

「私、今年はまだ余裕あるから、サンタさんするんだ。
Amazonの欲しいものリストから匿名で送るやつ。
この世のどこかで子供が一人喜ぶよ」

彼女も私と同じ漫画作家。
子供が大好きで、自分なりに子供を幸せにできる大人になりたいのだそうです。
私は親になりたいのではありません。
私も彼女と同じく、子供を支えられる大人になりたいのです。

なんだか急に心が軽くなりました。
いつまでも自分のために時間とお金を使うことにどうしてこんなに背徳感あるのか…と悩んでいました。
本当はそれでもいいのに。
でも、自分が次のステージに少しでも足を踏み入れてみたいなら、そうやって、間接的にでも誰かの育ちに関われるなら、自分が生きている意味を見出せる、自己肯定感が上がるような気がしました。

子供を支えたいって綺麗事に聞こえる。
しかも私はどちらかと言えば子供が好きではない。
自己肯定感も低いし、ややアダルトチルドレンみたいなところあるし、もし異性愛者だったとしても、ものすごく、自分が子供を育ててはいけない人種である自覚があります。私みたいな性格のやつが子供育てても、きっと子供を不幸せにしてしまう。
でも、次世代に貢献したい気持ちだけは本当です。
しかしその動機は、自分の自己肯定感のため。自分が大人になりたいから。だから、次世代を支えていくことで、大人になれたかもって感覚に浸りたい。

結局自分のためじゃんってことにはなるんだけど、それでもどこかで次の世代の誰かの人生を豊かにできることなら、ちっとも悪いことじゃない。
それから感謝されたいわけでもない。どうせ、自分のためなんだから。自己満足満たしたいだけだから匿名でいい。

定期的に現れる現代のタイガーマスクがどんな理由でタイガーマスクになったのかはわからない。でも、タイガーマスクに、あしながおじさんに、なりたくなる気持ちが、私にもわかるようになりました。

それから彼女は言います。
「私もさ、父が早くに他界して母も病弱だから、学費は伯父さんやおじいさんが工面してくれてたから。あんたも自分のお金余る日が来たら、きょうだいの子供の学費手伝ってあげるだけでも、立派な間接的子育てだよ、教育ってやっぱ人生豊かになるし」

私が、誰かのために生きる方法っていくらでもあるなぁと思いました。
正確には、自分のために誰かのために生きる、なんですけど。

基本的には、私なんて自分で子供持ってはいけない身勝手な人間なんです。
(本筋ではないけど、性自認的に純シスジェンダーでもないから出産もちょっと役割的に無理なんですけど)

子供の心を育てるのに向いてる人、子供の教育を金銭的に支えるのに向いてる人、子供を育てるのにもいろんな要素があるから、自分が得意な分野で、次世代を育てられたら、それでいいのかな、ともう少し自分の人生について気楽に考えるようになりました。

子供を持つこと、心を育てる部分は、家庭を持つのが向いてた人に任せて。我々みたいな趣味や仕事に生きる方が向いてるけど子供のために何かしたい人種は、間接的な支援で。

もちろん、自分のために生きていきたい人はそれが正解だから。
生きてるだけで、衣食住消費してるだけで、経済回ってるんだし。

これからも、結婚しないというだけでライフステージについてたくさん悩むと思うんですけど、その都度、結婚予定が現状ない友達たちと一緒に、解決策や、わたしたちなりの生き方をを考えてみたいと思います。

同性婚合法になってうっかりステキなお姉さんに出会ったら私も家庭を考えると思いますけどフフ〜♡


お悩み記事に見せかけた、ただのステキな友達がいるよってだけの自慢話みたいな記事でした。
でも、すごく心が軽くなる話だったので書きました。
読んでくださりありがとうございました。



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