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20歳、愛を考える


愛ってなんなんだろう。
電車に揺られながら、ボリュームのあるアウター越しに感じる両隣の人の温もりがなんとなく不快に感じる1月の午後14時。
日差しと足元の高温すぎる暖房によって過度に温められた車両の中で、そんなことをぼーっと考えていた。


目的地まであとひと駅となったところで、どうでもいい情報ばかりのSNSを閉じて窓の外に目を向けた。
そこには、つい4ヶ月前まで前の恋人と一緒に1年ものあいだ過ごしていた街の景色が広がっていた。(※半同棲。私が自宅にて隣人とのトラブルに遭い、住まわせてもらっていたという形)



初めての彼氏だった。
好きになった時は相手に彼女がいた。思いを伝えずに待った。
付き合えた時は嬉しくて、その場で家族に電話をかけ「付き合ったよ」と報告した。

そして、その人と別れる直前、好きな人ができた。
好きな人ができる前も、何回か浮気した。
でも、別れを決断する1ヶ月前までは本気で当時の恋人が大好きで仕方なかった。本当にバカな話である。反省している。

あんなに付き合えた瞬間は嬉しくて、大好きだった時は毎日が楽しくて仕方がなかった。
なのに、相手の“受け入れられない部分”を見つけてしまう度に揺らいだ。


そうやって揺らいでいる時、祖父が亡くなった。
悲しみに苛まれる中、愛する人と一緒に過ごす時間の大切さを痛感して、恋人との将来を無理やりに夢見た。


祖父がもうこの世界にいない現実をやっと飲み込むことができた頃、もう一度人生を見つめ直すようになった。

今私の隣にいるのは、いとしい人。
でも、私が電話越しに祖父が亡くなったのを見届けてからほんの数分後に、ゲームに負けた悔しさに任せて「死ね!!!」と叫んだ人。

この人は、本当に私の人生に必要なのだろうか。
相手の実家は自営業だった。私のことを“嫁いでくれる女の子”として見る相手の両親は、私たちの結婚にかなり積極的だった。
この人と生きていくことを決めてしまったら、いつか後悔するかもしれない。そう思った。


そのタイミングで好きな人(今の恋人)に出会い、こんな生半可な気持ちでこれ以上彼に向き合ってはいけないと、彼に別れを告げた。

別れるに至るまで1週間、彼が私を完全に飽きるまで約3週間を要した。彼は最終的に別れを受け入れてくれた。


それから1ヶ月半後に私に、2ヶ月後に彼に新しい恋人ができた。今は会う度に、お互いの恋人との話や近況を冗談交じりにしている。ごく普通の友達といった間柄だ。



彼と別れて4ヶ月。

彼と会っていても、いなくても、「本当にあの人と付き合ってたんだっけ?」なんて思ってしまう。

学校も学科も同じ彼とは、1年間、アルバイトとお互いの帰省以外の時間はほぼ100%一緒にいた。
旅行もしたし、一緒にいっぱいご飯を食べて、いっぱいプレゼントを贈りあった。

朝、家を出る時は必ずキスをしていた。
彼の鋭い言葉に私が泣いてしまったら、彼はらしくない困り顔で私の頬を包むようにして涙を拭った。
バイト終わりの彼が帰宅する22時20分に合わせて、いつも夕飯を作っていた。
私の作る生姜焼きを世界一美味しいと言っていた。
筆まめな私が書く手紙を、いつも保管していた。
1年3ヶ月の間で一度だけ、彼は汚い字でルーズリーフに手紙を書いてくれた。
共通の友達がいっぱいいる中で、私だけしか知らない彼の姿がたくさんあった。

ありふれた愛かもしれない。でも、その毎日と彼の不器用さがとてつもなく大好きで仕方無かった。

私が目の当たりにした、失くした愛は自分と元恋人だけじゃない。

父親は長年にわたって特に隠す訳でもなく不倫をしていて、私が物心ついた時から母親とはただの同居人状態だ。
姉はシングルマザーで、元夫とは養育費に関するやり取りしかしていない。その元夫は「娘(私の姪)に一生会えなくても何とも思わない」と語っているらしい。

愛し合っていたはずの2人が、愛を失くした姿とは恐ろしいものだ。

「好きの反対は嫌いか無関心か」みたいな論争よく見かけるが、どっちも合っているんだと思う。


愛とは、想像以上に脆いものだと知ってしまった。


一方で、前述の昨年亡くなった祖父とその妻である祖母は、ずっと愛し合っていた。

出棺の直前、斎場の人が手紙を読んだ。
「長い間の闘病生活、お疲れ様。私はもう少しこっちで楽しみます。それまで私たちを見守りながら、待っていてくださいね。」
祖母はそう、祖父に宛てていた。
出会ってから60年余経って、離れてしまった今もきっと、愛し合っているはずだ。


失くなってしまった愛と、理想の愛。
混乱するのは当たり前なのか、私が未熟なせいなのか。



愛の脆さとの向き合い方は難しい。

愛が消えることに怯えすぎているせいか、彼に悪態をついてしまう。
もちろんお互いに冗談と分かりきった上ではあるものの、その度になんとなく反省する日々だ。

今は今を楽しんで大切にしているつもりだ。

でも、相手に飽きられたら。今はこんなにも幸せで、大好きで仕方ないけれど、またいきなりプツンと気持ちが切れてしまったら。

一度考えてしまうとキリがない。
どれだけ安心の材料を彼にもらったとしても、その思考は頭の中をぐるぐると巡る。

年を食った大人は「色んな経験を経て人は成長していく」なんて言うが、もう最高潮に達した愛が気づけば0になっている経験なんて、叶うならもうしたくない。

こんなに愛のことを考えられるほどに愛すことができて、そして自分のことも愛してくれる人がいたこと、いることに心から感謝したい。

昨日も生きていく。





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