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気兼ねなく話す関係を作るには

「 "泣く女"みたいな感じだね。」
と友人が言ったので、私は「友達って良いな
」と思った。

友人二人とスタバで話していた時のことだ。
「泣く女」とはピカソの代表作のひとつのことだが、全く関係のない話(化粧品の話題だった)をしている時にさらりとそういう例えが出てくるところが本当に良かった。
(どんな流れの会話だよ、という感じですが、そこはとりあえず置いておく)

ここで言う私の感じた「良さ」とは、
「さらりとそういうことを言ってもこの連中なら伝わるだろう」という友人の無意識の感覚が透けて見えた嬉しさ、だ。

「泣く女」は教科書にも載っている大変有名な絵画だが、あまり美術に興味のない人生を歩んできた人に何の前置きも無しに言っても「…?うん…」くらいの反応ではないだろうか。

もちろん友人はそこまで意識していなかったと思うけど、酔っ払って帰ってきて気絶して起きた夜の3時にその会話を思い出して、やはり昔から気心の知れている友人がいるというのはありがたい事だな、という思いに行き着いた。(ちなみに私達3人は美術系の学校出身です。)

「気兼ねなく話す関係を築く」というのは難しい。

例えば同じ映画が好きでも、どのくらい好きなのか、ストーリーが好きなのか、俳優が好きなのか、監督が好きなのか、映像が好きなのか、全部なのか、その微妙な違いによって「あれ良いですよね〜」で終わるか、 「それってスタンリーキューブリックみたいじゃん!」みたいな冗談が言える仲になるのかが変わるのではないか。

しかし、そういった差異はほとんどの場合当然「ある」。趣味やなんかだけでなく、性格や人間性においてもそうだ。
そこはある程度長い期間共に過ごす事で埋めたり、擦り合わせたり、深めたり出来るのだろうが、大人になるとなかなかそれも難しいことだ。
そこまでするほどでもない、と、ある程度の距離を保つ人の方が多いでしょう。
それに、どうしたって合わない場合もある。

私たち3人も趣味がバッチリ合うか、と言われたらそうでもないが、長い期間交友関係を続けられたことで、「適当に思うまま話しても伝わるだろう」という以心伝心みたいな部分が少なからず形成されていて、それが話していてすごく楽だ。
そこまで気兼ねない友人をこれから作るのはなかなから難しいと思う。なのでありがたい事である。

この場を借りて二人にお礼申し上げます。

ちなみに、友人はこのnoteの存在を知ってはいる。見てないと思うのでこんな事を書いているが、もし見ていたとしても黙っておいてください。(照れ屋なので)

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