【 執着から現在地を知る、しかし、終着地ではない 】

#脳血管 #脳オペ#コイル#脳幹#IgA腎症

あらゆる面に対して、執着があった。
執着することに関して、それは生きていく上で、わたしにとって必要なものであったけど…。

行き過ぎた…。

執着し過ぎたってこと。それは、依存でもある。

勉強するという行為
受講するという行為

そんな行為に依存してたなぁ〜。
特に、ここ2・3年は…。

セミナージプシーという言葉もありますが…。

特に、社会人になりたての若い頃から、ずっと…。
まだまだ『足らない』という焦りの気持ちもあるのと『もっと、もっと』というある意味、強迫的な気持ちもあったんではなかろうかと今になって思う。

それが、2019年末からの世界と日本の情勢に、なんとも言えない閉塞感に、押し潰されそうな感覚から逃れたくて。

今度は、
逃げで、学ぶ。

そんな感じだったかもしれないな。

足らないから、学ぶ。
とは
ちょっとまた違う。

逃げで、学ぶ。

すると、今振り返ると、なんであんなもんを習おうと思ったんだかってのもある。
いやまあ、少しは役には立っているんだけど、まあ、結果的にはわたしには必要無いジャンルでもあって…。

直感が鈍っていたのか?とも思ったりもしたけど。

現状から逃げないと押し潰されそうな気持ちを受け止めることすら、怖かったからこその逃げの学び。

逃げることができて、良かった。

それでオッケーと思えたら良かったんだけど、

知らぬ間に、視点と起点と気持ちがズレてしまっていたなぁ〜というような学びをしてたこともあったなぁ〜。

何かを受講している状態でいる自分でいないと、落ち着かなくなる。

はっきり言って、学びの種類はもう何でも良い。
あらゆる学びの情報だけは入るけど、受講している状態でいる自分をキープすることが、知らぬ間に、メインになっているので、学びの内容がなかなか腑に落ちない・理解できない、身につかない。

身につかないってところだけ、冷静に判断できてしまうので、これまた厄介だ。

受講する行為に依存していることは、依存状態ってのは、自認しにくいものであり、でも、依存しているのは楽なようでいて、実は1番過酷な状況に陥っている。

自認していない過酷な状況の上に、自認できる「身についていないわたし」がやって来ると、ここに、自己否定が乗っかてしまう。

そんなこんなで、わたし以上に、まだやるんかっていう受講者と出会ったりして、我にかえる。

この『足りない』から、学ぶ、『逃げる』ために、学ぶを、アホみたいに、とことんやり切ったなぁ〜と思った。

もう良いなぁ〜と、思えたのは、脳のオペをするにあたって、メンタルが揺らいだおかげでもある。

メンタルが、ヘトヘトになったからである。

そこで出会った受講生とのやり取りにも、執着してたんだと思う。

ベースに、ずっと、このままのわたしでは、ダメなんだ。
変わらないといけない。

何十年も付き纏っていた呪縛のような想い。

そういうようなものも、一緒に、弾けていたのです。

今までの人生で、ある意味、仲良く寄り添っていた呪縛の鎖に、負荷をかけ過ぎて、鎖の方が耐えきれなくなって、鎖が弾けた。

この鎖が纏わりついていたから、身動きできないような苦しさがあったのに、それを超えるような負荷をかけると弾けて、鎖が切れるなんて思ってもいなかった。

だって、そのような苦しみの呪縛のような鎖を、めっちゃ簡単な表現で言うと、ポジティブマインドや、光のパワーで、消し去りましょう。
とか、それは、鎖では無くて、視点を変えるとあなたを守るためのものだったのよ。
コンフォートゾーンを広げましょう。
的な、まあまあ、善なイメージで言うて来るタイプが多いのに。
そんな学びを多くしていた…。

わたしの場合は、苦しみの呪縛の鎖に、さらなる闇を乗せて、ネガティブなパワー、陰なる精神の負荷をかけちゃったからの鎖の破壊。

どう言うことよ。
世間の流れとは、真逆よ。

まあ、どうでも良いけど。

おかげで、「変わらなきゃ。今のままでは、ダメなんだ。」と、こびりついていた思考が飛んでいき、

新たに出てきたのは

『わたしはわたし』

どんな状況や状態であれ、わたしはわたし。

今のわたしが、常に、ベストなわたし。

そう、たとえ、持病を抱えた上に、脳血管膨らまして、破裂するかもしれん状況。それも脳幹にあったとて、わたしはわたし。

だから、働いていないし、いや、働いていても、稼いでないし、貯金する発想無かったし、その日暮らしで、未婚で、子供産んでいないし、アラフォーで〜。
世間様から、色々とカテゴライズされやすい状況で状態ですが。(自分で言うてて、ちょいと楽しくなる)

もう、地球に、日本に、存在しているだけで、めっちゃ頑張っている。

だから、それで良い。

わたしは、ただ、ただ、存在している。

そう在ることが、もう、すごいだろう。

ようやく、現在地を見つけた。

そんな感覚になった…。

いいなと思ったら応援しよう!