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TVのない生活

こんな時だからこそ何かやらなくちゃと思ったのがはじまり。

仕事は無期限でお休みみたいなもので、外出しても行くところもない。ご飯を食べて、映画を観て、音楽を聴いて、小説を読んで、ニュースを見てがっかりして、この繰り返し。

進む道は真っ暗闇のトンネルで通り抜けるにはまだ少し時間がかかる。これはもう誰が何と言おうが確定事項だ。【一筋の光明を見出す】なんて言い方をしたら古くさいかもしれないけど、明かりを絶えず灯すことはダンブルドアも推奨している。白い髭のおじいさんの言うことと祖母の言う事は大体において概ね正しい。
首相さんの言うことはあまりあてにならない。

朝起きて、珈琲を淹れながら、ふと、小さい頃に好きだったことを考えてみた。

色々あるけど今でもよく覚えているのは、本棚から鉱物図鑑を引っ張り出してきてトレースするのが好きだった。その頃なぜか自宅には大量のトレーシングペーパーがあって、いろんなものをなぞってはハサミで切り抜き自分だけのスクラップブックを作ったりした。それは時にデジモンのキャラクターだったし、イラスト集だったり、料理の本だったり、CDのジャケットだったり。

『なぞる』という作業自体が好きだったのかもしれない。

今では、石そのものが好きだし、料理をすることも好きだし、昔集めたデジモンのフィギュアなんかをみているとなんだかとても勇気をもらえる気がする。不思議な感覚だけれど。CDは買わなくなった、今僕にはAppleMUSICという便利なものがある。

高校生の頃、携帯を持つようになってブログというものが流行りはじめた。友達同士でページをつくってプロフィールを書いたり、リアルなんて機能があったり、ブログも後書き機能があったりして、鍵をかけて仲のいい友達が見れるように設定することもできた。

その頃からなのかわからないけれど何かを書くということも好きだということ自覚したような気がする。

友達たちが最近の出来事だとか、私生活について書いていたその頃、僕といえばギリシャの壁はなぜ白いのかとかチュッパチャップスの歴史についてとか、正直言って誰が読んで楽しいのかわからないような文章ばかり書いてブログにアップしていた。オナニーにもほどがある。

たぶんみんなが読みたかったのってそういうものではなかっただろし、僕だってそういうものを書きたかったけれど文章にするといつもズレてしまう。そんな高校生だった。

いつも頭にあったのは、そういうものって何だ?ということに尽きたと思う。

淡々と何かを書くのが好きだし、誰かに読んでもらうというより僕の為に僕自身が読んで面白いと思うものを書きたい。そう思っていた。

はじめて文章と呼べるものを書き出したのは2015年のことで、たまたまそういうことをしている友人との出会いも合って、より僕の筆は波に乗った。緩やかでいて、とても厚みのある波に。そこからは早かった。小説みたいなものを書いては、見せ合って、あーでもないこうでもないと議論しながらお酒を飲んだり煙草を吸ったり、、、、。どんなことをするよりも文字を綴る時間が有意義でありエスケープだった。

そんなふうにして2年間が過ぎた。
小説も書いたし、エッセイも書いたし、同人誌を作って販売なんかもした。

そこでぼくの波はいったん収束したように見えた。ある意味で僕の欲求は満潮に達したのだと思う。あとはただ引いていくだけだった。それはとても速く、誰にも気づかれないように穏やかな引き方だった。みんなアレって顔をしていたと思う。

また波が押し寄せはじめたのは去年、2019年のことだった。
僕のその欲求というか衝動は、水が沸騰するようにふつふつコポコポと音を立てはじめ、遠くの方でピーッという合図がなった。time has come

ただ、その頃の僕は自分の生活に向き合うことで精一杯で、遠くで鳴るその音を無視し続けたのは言うまでもない。嗚呼、なんということであろか。

今になって、ようやくその音と向き合う余裕が出てきて、音も呆れた顔をしてるけど、今だからこそ何かまた新たに書いてみようと思う。

それは文章と呼ぶにはお粗末かもしれないし、小説と呼ぶには下らないかもしれない、エッセイと呼ぶには要素が深すぎるかもしれない。

でも何事もはじまりの瞬間はトレースするところからはじまる。なぞってなぞって、そのうちになぞることをやめて、自分だけのものに着手しはじめる。そんな言い訳をしたいと思う。
オリジナリティーというのは色んなもののパクリの混合物から成り立っていく。そこに向き合うことで個性が滲み出てそれがその人のオリジルになるのではないだろうか。

僕の悪い癖だけれど、いつもついつい語り過ぎてしまう。いつまでたっても、きっと少女漫画に出てくる無口でかっこいい男の子にはどうしてもなれないし、なりたいとも思わない。(本当はなれるならなりたい)

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写真は咲きはじめた木蓮の花
“もくれん”平仮名にするとかわいい。
沈丁花(じんちょうげ)は漢字のほうが好き。
百日紅(さるすべり)も漢字の方がいい感じ。
なんかそういうのってある。


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