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私という生き方について・4

🔶弱い脚を主軸に

背骨や腰、内臓疾患など
その強弱は別として
庇ったり宥めたりしながら
毎日を送る方はとても多いのではないかと思う。

私の場合は、膝。
小さい頃は成長に伴う痛みでは。と、診断されていた。
夜、疲れて寝落ちするまで痛い痛いと言い、
親がさすってくれていた記憶がある。

体育の授業で、
全力で走ると膝がガクンと外れ、同時に激しい痛みから倒れこんでしまう。
これは膝蓋骨の脱臼で、腫れ上がる膝には血液や水が溜まる。
その症状か痛みの原因なので注射で抜きとる。
膝頭が割れるのではと思うような痛い処置。
走ったり飛んだりも出来る。でも膝に意識を必ずおく。

高校生になり、
左は寝返りを打っただけで外れるほど状態が悪くなり、
諦めて手術を選択。
可哀想な左膝は、なかを開ける必要がある。
外れなくなるならば、と思ったのだ。

確かにそうなのだけれど、
メスを入れたら、元には戻らない。

乳幼児期は
大腿骨も問題があって、
コルセットをつけていたらしい。
当の本人は窮屈なのか嫌がって泣くし、
成長期のため、しょっちゅう新たなものを作る必要があったそうだ。
混んでる大学病院まで、
3つ上の姉と私を連れて
遥々通うのは本当に大変だっただろう。
ママ、ありがとう。
お姉ちゃんも。

努力の甲斐があって、
大腿骨はうまくついた。
これは本当に幸せ。
うまくいかなければ車椅子の生活になるといわれていたらしい。

私は自分の脚で歩き、
走ることもできる。
十分だ。

左の膝の手術は、
お皿が外れないように、
靭帯や筋でガード力をあげるようなことをした。
もう、外れなくて済むための手術。

けれど、それほど単純ではなくて

全身麻酔をかけ、
骨を削ったり筋を引っ張ったり、いろいろ施し、
17cmも切り、大きな跡が残っている。
術後丸2週間、
ギプスを巻いてベッドのうえ。

ギプスをしてる状態で、
ベッドから降りたったとき、
頭から足先へ血液が一気に流れる感覚があった。
ちょっと怖い感覚。
足を床にはつけず、松葉杖と右足で、ひょこひょこと。

そしてギプスを外したあと、
初めてそっと降り、
足をついた瞬間、転びそうになった。
足が足でないような..
ものすごく激しいショックに襲われた。

いまでもよく覚えている
看護師さんの、
「慌てなくていいですよ」。

いやいや、全然慌ててなんかない。
いつも通りを更にそうっとだ。
なのにまるで自分の足じゃないみたい。

ただ、この「慌てないで」という言葉に
ものすごく救われた。

一瞬、立てなかった私の左足..

そうだ、まだ
これからなんだから
慌てなくていい。

ひたすら真っ直ぐに固定した、ひょろりと痩せた左足。
少しずつ少しずつ、曲げる訓練を重ねていった。
固まった膝を動かしていく。

これは高2の夏のこと。

幼なじみやクラスメート、
親戚のお姉さん、お兄さんが代わる代わる病室を訪ねてくれたのだった。

そして退院後、
唯一の夏休みらしい日は
今は無き、渋谷の映画館でクラスのBF君とデート。
チョイスしたのは笑えるコメディ。

コットンのノースリーブ
淡いグレーとベビーピンク。
2枚重ねたトップスに、
大きな花が描かれた
柔らかいピンク色のスカート。

杖ついてきたから、大丈夫か心配した。
って言われたっけ。

懐かしい青春の1ページ。

1年ほどかかり、完全に正坐ができる状態になった。
熱心にマッサージのおばさんが治療にあたってくれたおかげだ。

とても幸いなことに、左膝が外れることはなくなった。

支えてくれたたくさんの方々に感謝。

そして私、
よく頑張りました。

<つづく>

長文をお読みくださってありがとうございます。
素敵な夜を、そして快適な朝をお迎えください☆ミ

皆さまの、七夕の願いもきっと叶いますように!!!

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