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オーギュストロダンの蹄跡 〜ディープインパクト最後にして最大の衝撃〜
2024年11月24日。
1頭の競走馬が、父の生まれ故郷で現役生活最後のスタートを切った。
彼の名は、オーギュストロダン(Auguste Rodin)。
いつもは海外レースの有力馬解説・展望を主に行っている本Noteであるが、今回は特別編。
近代日本競馬を象徴する名馬・ディープインパクトがもたらした「最後にして最大の衝撃」たる海外調教馬、オーギュストロダンの半生を振り返っていく。
第1章 日本競馬の英雄・ディープインパクト
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(JRA FUNより)
ディープインパクト。
日本の競馬ファンは勿論のこと、競馬ファンでなくとも日本人であれば、この馬の名前を人生で一度は耳にしているはずだ。
2005年に武豊騎手とのコンビで無敗の中央競馬クラシック三冠を達成し、2006年末の引退までにGⅠ・7勝を挙げた、近代日本競馬を代表する1頭である。
毎レースにおいて伝説的な追込を見せた馬で、特に2006年のGⅠ・天皇賞(春)(京都・芝3200m)において発揮したパフォーマンスは日本の競馬ファンのみならず、世界の競馬関係者を震撼させた。
その父は日本競馬の血統勢力図を塗り替えた大種牡馬、サンデーサイレンス(Sunday Silence)。
現役時代は米国二冠馬となり、1989年にはエクリプス賞年度代表馬に輝いた他、幾度となく激闘を繰り広げたライバルのイージーゴア(Easy Goer)ともどもアメリカ競馬の殿堂入りも果たしている。
牝系のショボさから、アメリカでは種牡馬として大きな期待を集めることはなかったが、日本に輸入されてからは桁違いの能力を持つ産駒を続々と送り出した。
距離はスプリンターからステイヤーまで幅広く輩出し、芝を主戦場としながらもダートの活躍馬もバッチリ。
加えて、産駒たちの多くが種牡馬として成功を収めたことで、サンデーサイレンスの血は爆発的に広がり、今やサンデーサイレンスの血を持たない日本産馬を探すのに手間取るほどになった。
一方、ディープインパクトの母は欧州GⅠ馬のウインドインハーヘア(Wind in Her Hair)。
ウインドインハーヘアはディープインパクトの前にもGⅠ・7勝を挙げたキタサンブラックの父となるブラックタイドを輩出しており、母母にはエリザベス女王の所有馬にしてフランスオークス馬のハイクレア(Highclere)がいるという血統背景を持つ。
キタサンブラックの初年度産駒イクイノックスが2023年の世界最強馬となり、世界の注目と羨望を一身に集めたことは記憶に新しい。
また、2017年の日本ダービー馬レイデオロや2024年の有馬記念覇者レガレイラ、桜花賞馬ステレンボッシュ、菊花賞馬アーバンシックは3代母としてウインドインハーヘアを持つ。
サンデーサイレンスに負けず劣らず、今なおウインドインハーヘアの牝系は日本競馬に多大な影響を与え続けている。
サンデーサイレンスとの仔だけに留まらず、他の種牡馬との仔を経てもこれだけの活躍馬を輩出し続ける活力を持っているというのは、本当に凄まじい。
話の焦点をディープインパクトに戻そう。
サンデーサイレンスが16歳でこの世を去った後、圧倒的な能力で無敗の三冠馬となったディープインパクトは、サンデーサイレンスの最高傑作・後継種牡馬の一番手として2007年からスタッドインすることになった。
生産界からの期待値はストップ高、ディープインパクトはあまりにも偉大な父、サンデーサイレンスと同等以上の産駒成績を求められていた。
そして、その高すぎる期待値と父の偉大なる繁殖成績をすら飛び越え、ディープインパクトは種牡馬として歴史的成功を収めた。
初年度産駒からクラシックホースを輩出し、生前は言うまでもなし、死後もしばらく日本のリーディングサイアーの座に君臨し続けた。
代表産駒は数え切れないほどいるが、日本国内では2012年の三冠牝馬ジェンティルドンナや、2020年に無敗の三冠馬となり、史上初の父子無敗三冠を達成したコントレイルなどがその筆頭であろう。
ハイクレア牝系という血統背景もあってか、種牡馬ディープインパクトは国内のみならず、海外の生産者からも高い関心を集めた。
ディープインパクトのもとには、海外の生産者が保有する一流の繁殖牝馬が送り込まれ続けたのだ。
父も母も外国産馬だとはいえ、日本の内国産種牡馬が世界からその血を求められたというのは、日本の馬産のレベルが上がったことの一つの証明になったと言えるのではないだろうか。
ディープインパクトの血を求めた海外のブリーダーの中でも、特にアイルランドに拠点を置くオーナーブリーダー組織、クールモアグループの力の入れようは一味違っていた。
クールモアは、保有する膨大な繁殖牝馬の中でもトップクラスの繁殖馬を、ディープインパクトと配合するために次々と日本に送り込んだのである。
クールモアは自身の牧場で繋養していた欧州屈指の大種牡馬、ガリレオ(Galileo)を父に持つ繁殖牝馬の配合相手を探していた。
また、ディープインパクトとガリレオのニックスに注目したため、ガリレオ産駒のGⅠ馬の多くをディープインパクトに当てがっている。
ディープインパクトの血統は、ハイクレアから続く欧州由来の重厚かつ高貴な牝系に支えられていた。
かつサドラーズウェルズ(Sadler's Wells)、デインヒル(Danehill)、グリーンデザート(Green Desert)といった欧州の主要血統を持たなかった上、その競走能力・繁殖能力ともにずば抜けていたことから、欧州の生産者たちにとってディープインパクトという種牡馬は非常に魅力的だったというわけである。
日本から新たな血統を取り入れることにより、急速に閉塞が進む欧州の血統図を広げる役割も期待された。
かくして、クールモアの繁殖牝馬と種牡馬ディープインパクトの間には、期待通り活躍馬が続々と輩出される。
2018年のGⅠ・2000ギニー(ニューマーケット・3歳・芝1600m)は、ディープインパクト産駒のサクソンウォリアー(Saxon Warrior)が優勝。
2021年にはGⅠ・オークス(エプソムダウンズ・3歳・牝馬限定・芝2420m)、GⅠ・アイリッシュオークス(カラ・3歳・牝馬限定・芝2400m)、GⅠ・ヨークシャーオークス(ヨーク・牝馬限定・芝2370m)の同年制覇(3ヶ国オークス制覇)をスノーフォール(Snowfall)が達成した。
特に英オークスは16馬身差の大楽勝であり、騎乗したランフランコ・デットーリ騎手も同馬を大絶賛。
スノーフォールでの勝利が6度目のオークス制覇となったデットーリ騎手をして「今まで勝ったオークスの中で最も簡単だった」と言わしめ、彼はその末脚を「熱したナイフでバターを切っていくような感覚」だと称した。
しかし、クールモアによるディープインパクト目的の繁殖牝馬日本定期便は、スノーフォールが3ヶ国オークス制覇を成し遂げる前に終了していた。
当のディープインパクトが死んでしまったためである。
2019年、ディープインパクト没。
日本の──いや、世界の至宝が失われた瞬間だった。
ディープインパクトが残した最後の世代は2023年のクラシック世代となったが、この中で競走馬となったのは僅か12頭。
日本国内に6頭、海外に6頭。
それまでディープインパクト産駒は初年度から全ての世代でクラシックホースを輩出していたが、流石に12頭だけでは苦しい──と、思われていた。
だが。
このごく僅かな最終世代から、ディープインパクトが走っていた頃には誰しもが想像できなかったであろう、大偉業を成し遂げる馬が現れることとなる───
第2章 名牝系に生まれた才女・ロードデンドロン
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(Racing and Sportsより)
ロードデンドロン(Rhododendron)は、生まれながらにして活躍を期待されたエリート牝馬であった。
その父はガリレオ(Galileo)。
2001年の英愛ダービー馬であり、同年には英国古馬最高峰のタイトルたるGⅠ・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(アスコット・芝2390m)を3歳にして優勝。
GⅠ・アイリッシュチャンピオンS(レパーズタウン・芝2000m)では世界王者ファンタスティックライト(Fantastic Light)との数百メートルにも渡る壮絶なマッチレースを繰り広げ、その素質からGⅠ・ブリーダーズカップクラシック(ベルモントパーク・ダート2000m)にも挑戦した。
競走馬としても活躍したガリレオだが、彼の繁殖成績は余人の想像を遥かに上回るものとなった。
あまりにも活躍馬が多すぎるため、代表産駒の名を書き連ねることがバカバカしいくらいなので省略するが、100頭以上のGⅠウィナーをターフに送り出し、英愛リーディングサイアーの座に何度も輝いている。
ロードデンドロンの母ハーフウェイトゥヘヴン(Halfway To Heaven)もまた、クールモアの所有馬だった。
現役時代はGⅠ・アイリッシュ1000ギニー(カラ・3歳・牝馬限定・芝1600m)とGⅠ・ナッソーS(グッドウッド・牝馬限定・芝1980m)、GⅠ・サンチャリオットS(ニューマーケット・牝馬限定・芝1600m)を制覇している。
繁殖牝馬としても素晴らしい成績を収め、産駒にはロードデンドロンの他、アイリッシュチャンピオンS連覇などGⅠ・7勝を挙げた女傑マジカル(Magical)がいる。
ガリレオは言うまでもなし、母もまたGⅠ・3勝馬という配合により誕生したロードデンドロンは、父と母も管理したアイルランドの名伯楽エイダン・オブライエン厩舎に入厩。
全妹のマジカルほどではないにせよ、見事その良血を証明するかのような走りを見せた。
2歳時から秘めた素質を遺憾無く発揮し、GⅡ・デビュターントS(カラ・2歳・牝馬限定・芝1400m)を制して早々と重賞タイトルを獲得。
GⅠ・モイグレアスタッドS(カラ・2歳・牝馬限定・芝1400m)3着を挟み、GⅠ・フィリーズマイル(ニューマーケット・2歳・牝馬限定・芝1600m)を見事優勝し、GⅠウィナーとしてファーストシーズンを終えた。
3歳シーズンはエネイブル(Enable)の後塵を拝したり、鼻出血での競走中止など順調には行かなかったが、フランスの凱旋門賞ウィークエンドのGⅠ・オペラ賞(パリロンシャン・牝馬限定・芝2000m)を優勝。
古馬になってからも現役を続行し、GⅠ・ロッキンジS(ニューベリー・芝1600m)で、もう1つGⅠのタイトルを積み重ねることに成功した。
2019年に繁殖牝馬としての最初のシーズンに入ったロードデンドロンは、初年度から日本へ旅立った。
目的地は北海道・安平のノーザンファームであり、その配合相手は勿論ディープインパクト。
なお、同年にディープインパクトが死去したことにより、ロードデンドロンはディープインパクトの子を受胎した状態で、アイルランドのクールモアスタッドへと戻っている。
そして、2020年の1月26日──ロードデンドロンは、初仔となる青鹿毛の牡馬を出産した。
ディープインパクト産駒、ラストクロップの1頭。
後にオーギュストロダン(Auguste Rodin)と名付けられるサラブレッドが誕生した瞬間であった。
第3章 日欧の至宝・オーギュストロダン
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(Coolmoreより)
第1節 デビュー前から期待されたスーパーエリート
世界的なオーナーブリーダーであるクールモア、その本拠地たるアイルランドで生を受けたオーギュストロダン。
その血統の素晴らしさはここまで語った通り、まさしくスーパーエリート。
クールモアスタッドが至上とする配合理論、ベストトゥベストの究極形──世界的超良血馬と言っても差し支えない、神々しさすらある血統の持ち主であるオーギュストロダンもまた、デビュー前から非常に大きな期待を集めることになった。
競走馬オーギュストロダンの馬主は、彼の生産者でもあるクールモアスタッドだが、彼らが馬主として使用する名義はいささか複雑である。
クールモアは馬主名義として、「クールモアスタッド」という名を使用していない。
クールモアスタッドの中心メンバーはジョン・マグニア氏を筆頭とし、マイケル・テイバー氏、デリック・スミス氏の3人が挙げられ、クールモアの所有馬は基本的にこの3人が共同所有するという形が取られている。
なお、クールモアの総帥ジョン・マグニア氏は自身の名義で馬主として名を連ねることはなく、馬主の名義は妻のスーザン・マグニア氏となっており、彼女はメディアなどではミセス・ジョン・マグニアと表記される。
また、クールモアはグループ外の人物や組織との競走馬の共同所有にも積極的であり、日本の松島正昭氏(キーファーズ)など、クールモアと競走馬を共同所有する人物や組織も複数存在している。
オーギュストロダンの場合は、クールモアの3人の他にもゲオーグ・フォン・オペル氏が代表を務める馬主組織、ウェスターベルクも共同所有者となっている。
複数の人・組織による1頭の競走馬の共同所有が行われる場合、レースの際の勝負服は所有権を最も多く保有している人・組織のものになる。
オーギュストロダンの筆頭馬主名義はマイケル・テイバー氏となっており、その勝負服はモンジュー(Montjeu)やハイシャパラル(High Chaparal)などでもお馴染み、青とオレンジの服飾だ。
オーギュストロダンの所有権についてどのようなやり取りや取引があったのか、当然その全てが明らかとなっているわけではない。
ともあれ、競走馬オーギュストロダンの馬主の名義はマイケル・テイバー&デリック・スミス&ミセス・ジョン・マグニア&ウェスターベルク(M.Tabor & D.Smith & Mrs.J.Magnier & Westerberg)となっている。
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(JRA-VAN Worldより)
クールモアスタッドは、ヨーロッパにおける所有馬のほぼ全てをエイダン・オブライエンに預けている。
その例に漏れず、オーギュストロダンもエイダンの運営する厩舎、バリードイル調教場に入ることとなった。
これまで欧州競馬は勿論、世界の競馬史に名を残す馬たちを管理してきたエイダン・オブライエン調教師。
その拠点となるバリードイル調教場もまた、当然のことながら数多の名馬が在籍していた場所となるわけだが、オーギュストロダンにはその中でも特別な馬房があてがわれた。
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(Irish Racingより)
オーギュストロダンが使用する馬房には、彼の名前以外にも4つのネームプレートが貼り付けられている。
全て、過去にその馬房の主となった馬の名である。
ディラントーマス(Dylan Thomas)は、2006年のGⅠ・アイリッシュダービー(カラ・3歳・芝2400m)勝ち馬。
その後はアイリッシュチャンピオンSを制し、翌2007年にはGⅠ・ガネー賞(ロンシャン・芝2100m)とGⅠ・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(アスコット・芝2390m)(以下「KGⅥ&QES」)を優勝。
アイリッシュチャンピオンS連覇を経て、GⅠ・凱旋門賞(ロンシャン・芝2400m)のタイトルも獲得した。
デュークオブマーマレード(Duke Of Marmalade)は2008年、ガネー賞からGⅠ・タタソールズゴールドカップ(カラ・芝2100m)、GⅠ・プリンスオブウェールズS(アスコット・芝1990m)、KGⅥ&QES、GⅠ・インターナショナルS(ヨーク・芝2050m)までGⅠ・5連勝。
欧州の王道路線において、破竹の快進撃を見せた。
2009年、GⅠ・エクリプスS(サンダウンパーク・芝1990m)でシーザスターズ(Sea The Stars)から1馬身差の2着になった後、GⅠ・サセックスS(グッドウッド・芝1600m)とGⅠ・クイーンエリザベスⅡ世S(アスコット・芝1600m)を連勝したのがリップヴァンウィンクル(Rip Van Wincle)。
翌年も現役を続行し、2009年に4頭中3頭がオブライエン厩舎で前と左右を囲んだのにも関わらずシーザスターズに楽勝されたインターナショナルSを優勝して、見事厩舎の屈辱を晴らした。
GⅠ・6勝馬セントニコラスアビー(St Nicholas Abbey)は、2009年にGⅠ・レーシングポストトロフィー(ドンカスター・2歳・芝1600m)を制して、早くから頭角を現した馬であった。
3歳は状態が整わず1戦しか使えなかったが、4歳以降は12ハロンを中心に息長く活躍し、GⅠ・コロネーションカップ(エプソムダウンズ・芝2420m)3連覇を達成した他、GⅠ・ブリーダーズカップターフ(チャーチルダウンズ・芝2400m)とGⅠ・ドバイシーマクラシック(メイダン・芝2410m)で栄冠を手にしている。
オーギュストロダンが入った馬房には、エイダンが手掛けてきた往年の名馬たち、その記憶が刻まれている。
そして今後、ここに「Auguste Rodin」と書かれたネームプレートが1枚増えることは間違いないだろう。
クールモアスタッドとエイダン・オブライエン調教師からのオーギュストロダンへの期待値がいかに高かったか、というのはこうした待遇からひしひしと伝わってくるところだ。
そして、オーギュストロダンの主戦騎手を務めることとなるライアン・ムーアもまた、デビュー前からオーギュストロダンに特別な期待を抱いていた1人だった。
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(JRA-VAN Worldより)
オーギュストロダンがデビューする前、ライアンはバリードイルでの調教で初めてその手綱を取った。
そのときから、ライアンは1つの確信を持っていたと語っている。
この馬は、エプソムダービーを勝つ。
エプソムダービーとは、近代競馬発祥国たる英国におけるダービー──GⅠ・ダービー(エプソムダウンズ・3歳・芝2420m)のことだ。
ライアンは2010年のワークフォース(Workforce)で初めて英ダービーを勝ち、以降は2013年にもルーラーオブザワールド(Ruler Of The World)で制している。
英ダービー馬の背を知る世界的名手が、跨った瞬間に「この馬はダービー馬になる」と確信した馬──それがオーギュストロダンなのだという。
オーギュストロダンがいかに素晴らしい素質を持っていたか、窺い知ることのできるエピソードである。
関係者の絶大な期待を背負ったオーギュストロダンは、2歳の6月にデビュー戦を迎えることになった。
ここから3年間、世界を股にかけてのオーギュストロダンの旅路は、アイルランドの競馬発祥地から始まる。
第2節 欧州2歳王者の1頭となるまで
2歳となったオーギュストロダンは、アイルランドの競馬発祥地たるカラ競馬場でデビュー戦を迎えた。
アイルランド古来の言葉で「馬が走る場所」を意味するカラ競馬場は、アイリッシュダービーを始め、アイルランドにおけるクラシックレース全ての開催地でもある。
2022年6月1日、カラ競馬場の芝1400mで行われた2歳の牡馬・セン馬による未勝利戦(Maiden)が、オーギュストロダンにとって初めてのレースとなった。
レース名は「ライアンズクリーニングウェイストアンドリサイクリングアイリッシュEBFメイデン(Ryans Cleaning Waste And Recycling Irish EBF Maiden)」。
エイダン・オブライエン厩舎の主戦騎手ライアン・ムーアを背に出走したオーギュストロダンは、オッズ4/6(約1.66倍)の1番人気に支持された。
しかし、結果は2馬身半差の2着。
華々しいデビューを飾ることはできなかった。
オーギュストロダンは馬群の中でレースを進め、直線では完全に囲まれ、進路を確保することに失敗。
結局一度下げてから馬群の外にスライドし、残り200mから追い出されたものの、スムーズに抜け出して先頭に立ち、セーフティリードを確保していたクリプトフォース(Crypto Force)を捉えるには至らなかった。
なお、このときの勝ち馬クリプトフォースは後にGⅡ・ベレスフォードS(カラ・2歳・芝1400m)を制する。
まさかの前壁での敗戦を喫してしまったオーギュストロダンは、ちょうど1ヶ月後にアイルランドのネース競馬場で2度目の出走。
2022年7月2日、未勝利戦の「アイリッシュスタリオンファームズEBFメイデン(Irish Stallion Farms EBF Maiden)」。
距離はデビュー戦と同じく1400mで、鞍上は当時オブライエン厩舎のセカンドジョッキーであったシーミー・ヘファーナン騎手となった。
オッズは30/100(1.3倍)、デビュー戦以上の支持を集めての1番人気だったオーギュストロダンは、残り200mで先頭に躍り出ると、その後も末脚鈍ることなし。
見事、2着馬に2馬身差をつけての初勝利を飾った。
期待馬としてデビューし、無事に勝ち上がったオーギュストロダンの次走には、早くも重賞レースが選ばれた。
2022年9月10日、アイルランドの首都ダブリンの郊外に位置するレパーズタウン競馬場。
アイルランドの平地競馬における最大の祭典、アイリッシュチャンピオンズウィークエンドの1日目に組まれているGⅡ・チャンピオンズジュベナイルS(レパーズタウン・2歳・芝1600m)が、オーギュストロダンの重賞初挑戦の舞台となった。
このチャンピオンズジュベナイルSは、アイルランドの2歳馬にとって出世レースの1つとされている。
オッズ11/10(2.1倍)の1番人気に支持されたオーギュストロダンは、デビュー戦以来となるライアン・ムーア騎手とのコンビで出走した。
以降、ライアンはオーギュストロダンの手綱を最後まで握り続けることになる。
後方2番手からレースを進めたオーギュストロダンは、早め先頭からの押し切り勝ち。
見事に2連勝、重賞初挑戦・初制覇を達成してみせた。
クラシックの有力候補として名乗りを上げたオーギュストロダンに自信を深めたか、エイダン・オブライエン調教師は2歳GⅠへ出走することを決断する。
オーギュストロダンの4戦目は、初の国外での出走──英国平地競馬シーズン最後のGⅠ・フューチュリティトロフィー(ドンカスター・2歳・芝1600m)となった。
そして、オーギュストロダンはこれ以降、生涯GⅠにのみ出走していく。
レースが行われたのは2022年10月22日、オーギュストロダンはオッズ9/4(3.25倍)の1番人気だった。
馬場状態はこの時期らしくHeavy(不良)、今にして思えばオーギュストロダンに向くトラックではなかったと考えられるが、ここでも彼は素晴らしい走りを見せる。
馬場の外目を追走し、直線であっという間に前の2頭をかわしたオーギュストロダン。
その脚は最後まで衰えず、2着馬を3馬身半差突き放しての快勝を果たした。
GⅠ初挑戦にして初制覇──わずか12頭しかいないディープインパクトのラストクロップ、その中からGⅠ馬が誕生した瞬間であった。
そして、このオーギュストロダンのフューチュリティトロフィー優勝を以て、ディープインパクトは産駒の全世代からGⅠウィナーを輩出した種牡馬になった。
2歳シーズンでは、4戦3勝・2着1回・重賞2勝(GⅠは1勝)という素晴らしい成績を残したオーギュストロダン。
2022年のカルティエ賞(欧州年度表彰)の最優秀2歳牡馬部門は2歳GⅠを2勝していた同厩舎のブラックベアード(Blackbeard)に譲ったものの、オーギュストロダンはブラックベアードとカルディアン(Chardean)に次ぎ、欧州の2歳馬としては第3位の評価を受けた。
一方、各ブックメーカーや競馬ファンからの期待値はそれよりも高かったようで、フューチュリティトロフィーの優勝により、オーギュストロダンは翌年の英2000ギニーと英ダービーの前売り1番人気に浮上した。
デビュー前から非常に高い評価を受け、それ故に期待値も非常に高かったオーギュストロダンだが、2歳から見事にその期待に応えた。
ディープインパクト産駒が2歳GⅠを制覇し、クラシックの最有力候補と目されていたことから、この時点で日本国内でもオーギュストロダンの名を知る人は多かったはずだ。
だが、この2歳シーズンも、オーギュストロダンにとっては始まりに過ぎなかった。
3歳となった翌年、オーギュストロダンはその走りで、近代競馬の歴史の針を進めることとなる───
第3節 競馬の歴史が変わった日
英国クラシックレースの最有力候補として、オーギュストロダンは3歳シーズンを迎える。
その初戦は英国クラシック第一弾にして、英国平地競馬シーズン最初のGⅠ・2000ギニー(ニューマーケット・3歳・芝1600m)になることが発表された。
管理するエイダン・オブライエン師のオーギュストロダンに対する期待もますます高まり、彼は2023年初頭、こんなことを言っていた。
三冠を達成できる馬がいるとすれば、それは間違いなく彼(オーギュストロダン)だ。
この「三冠」とは、近代競馬発祥国・英国におけるクラシック三冠のことである。
世界各地にあるクラシックレースのほぼ全ては英国のクラシックレースを模範とするものであり、日本のクラシックレースも同様だ。
そして、英国における「三冠馬」とは、以下のレース全てを勝利した馬にのみ与えられる称号である。
GⅠ・2000ギニー(ニューマーケット・3歳・芝1600m)。
GⅠ・ダービー(エプソムダウンズ・3歳・芝2420m)。
GⅠ・セントレジャーS(ドンカスター・3歳・芝2900m)。
1マイルから2マイルまで、最高峰のGⅠレースを制する──これがいかに過酷で困難なことかは、容易にご想像いただけるはずだ。
特にヨーロッパではレースの路線別の整備が進んでいるため、2000ギニーを制した馬がダービーに出ない、なんてことも珍しくはない。
加えて、現在のヨーロッパでは長距離レースのビッグタイトルを獲得したところで平地用種牡馬としての需要には全く結びつかず、むしろ中距離馬が長距離レースも制していると、スタミナ偏重なのではないかと敬遠されるリスクすらあるほどである。
結果として、ヨーロッパでは「三冠」という概念自体が形骸化しており、それを意識している関係者も決して多くはない。
英国はまだ三冠の体裁を保ってこそいるが、アイルランドやドイツでは三冠の枠組み自体が消滅しているに等しい有り様である。
アイルランド・フランス・ドイツでは、長距離レースである三冠目のセントレジャー(またはセントレジャーに該当する競走)が、3歳限定戦としてはGⅠ格付けを保てないことから、古馬に門戸開放されて久しい。
ドイツでは古馬に開放したにも関わらず、現在セントレジャーはGⅢ止まりで、そもそも2000ギニーもGⅡ。
フランスはセントレジャーにあたるGⅠ・ロワイヤルオーク賞(サンクルー・芝3100m)を三冠に含めることを諦め、伝統のGⅠ・パリ大賞(パリロンシャン・3歳・芝2400m)を三冠目としているが、今のところフランス三冠を達成した馬は現れていない──どころか、そもそも挑戦すらされないような状態で、特別な権威や価値というものは無いというべきだろう。
英国においては過去15頭の三冠馬が誕生しているが、三冠を達成したのは1970年のニジンスキー(Nijinsky)が最後。
関係者にも三冠に挑もうという考えを持つ者はほとんどいない──のだが、エイダンは数少ない例外である。
最後の英国三冠馬ニジンスキーの調教師は、現在エイダンがクールモアから預かっているバリードイル調教場を作った男、ヴィンセント・オブライエンだった。
エイダンはヴィンセントを憧憬しており、自分も英国三冠馬を管理することをずっと夢見てきたのだという。
事実、エイダンは2012年、2000ギニーとダービーを勝って英国二冠馬となったキャメロット(Camelot)を、三冠目のセントレジャーに出走させている。
普段は三冠のことを忘れている者たちにも三冠の概念と権威を思い出させる出来事で、キャメロットの三冠挑戦は非常に大きな注目を集めることとなった。
結果、キャメロットはセントレジャー2着。
惜しくも──本当に惜しくも、三冠の称号を逃すこととなってしまった。
英国三冠の達成は、今もエイダンにとって見果てぬ夢となり続けているのである。
なので、エイダンの三冠発言は数年に一度は飛び出すものであり、よく訓練されている競馬民からは「また言ってるよあのグラサン」という認識をされる。
とはいえ、相当な素質馬でないとこのエイダンの三冠発言を引き出すことはできないので、オーギュストロダンに対するエイダンの自信・期待は自らの厩舎にいる3歳馬の中でも抜けたものだったというのは間違いない。
ともあれ、三冠の期待までも背負ったオーギュストロダンは、アイルランドから飛行機で英国へ輸送され、レース当日にニューマーケット競馬場に入った。
2023年5月7日──欧州クラシック路線における、オーギュストロダンの戦いが始まった。
2000ギニー当日、オーギュストロダンはオッズ13/8(2.625倍)の1番人気に支持され、12番ゲートからの発走となった。
しかし、このレースはオーギュストロダンにとって、悪夢とも言うべき内容になってしまう。
ゲートの出が良くなく、後方から競馬を進めたオーギュストロダンだったが、その前を走っていたのは同じエイダン・オブライエン厩舎のリトルビッグベア(Little Big Bear)。
これなら前壁は避けられるかと思いきや、リトルビッグベアが斜行してしまったために前が開かず、加えてこのリトルビッグベアは全く伸びずに垂れ馬爆弾と化した。
結局最下位入線となったリトルビッグベアは、レース後に右後肢跛行との診断を受けているため、その影響をマトモに受けてしまったオーギュストロダンはほとほと運がなかったと言わざるを得ない。
しかし、それを抜きにしても、このレースでは2歳時までに見られた伸び脚が全く見られないまま終わってしまった。
3歳復帰初戦、2000ギニーでのオーギュストロダンは、12着というあまりにも不甲斐ない着順となった。
直接的な敗因がレース中の不利にあることは確かだったが、だとしてもオーギュストロダンは走らなさすぎた。
1番人気に支持された2歳王者としてはいくらなんでも負けすぎと言える着順から、レース後にはオーギュストロダンの惨敗に対し、不利以外にも原因を求めようとする意見があった。
その中で1つ、当時有力説と考えられたのが、2000ギニー当日に行われていたチャールズ国王・カミラ王妃の戴冠式の影響である。
戴冠式に際し、英国国内では交通規制が敷かれ、2000ギニーに出走する馬たちの輸送に少なからず影響があったと言われている。
飛行機輸送をしたオーギュストロダンらバリードイル勢は、当然空港からは陸路でのニューマーケットへの輸送をされるわけだが、戴冠式に関わる交通規制の影響で競馬場への到着が遅れたことが馬のパフォーマンスに悪影響を及ぼしたのではないか──というわけだ。
2000ギニー当日のレースでは、オーギュストロダン以外にも有力馬の不可解な敗戦が見られたため、それらも全てまとめて説明できるのがこの説であった。
とはいえ、あくまでも一説でしかなく、実際のところ2000ギニーにおけるオーギュストロダンの敗戦の原因は今なおハッキリとはしていない。
ともあれ、レース後のオーギュストロダンの馬体には何の異常も見られず、馬は健康そのもの。
管理するエイダン・オブライエン調教師は、オーギュストロダンを予定通り英ダービーへ向かわせることを決断した。
ダービー。
近代競馬発祥国・英国におけるダービーは、他国のダービーとの差別化のために「ザ・ダービー」「エプソムダービー」「英ダービー」などとも呼ばれるが、本来「ダービー」と言えば、それは英国・エプソムダウンズ競馬場で行われるダービーのことだ。
他国のダービーは全て、英国のダービーに範を取ったものに過ぎない。
ダービーは競馬を開催するどの国においても特別なレースであるが、2024年時点で第245回を迎えている英ダービーの歴史・伝統・格式・価値は、その中でも唯一無二のものだと言えるだろう。
現在の欧州競馬においては、マイル(1600m)・ミドルディスタンス(2000m)が主要距離となり、チャンピオンディスタンス(2400m)以上の距離は種牡馬価値的に重要性の低いものとなっているが、ダービーの価値は種牡馬価値などという物差しだけでは測れないものがある。
生産者・馬主・調教師・騎手──全てのホースマンにとって、ダービーは目標となるレースであり、夢そのものとしてあり続けている。
2023年6月3日──エプソムダウンズ競馬場・3歳牡馬牝馬・芝12f6yd(芝2420m)。
当日の馬場状態はGood to Firm(良)。
第244回を迎えるザ・ダービーの舞台には、ディープインパクト産駒オーギュストロダンの姿があった。
この年のダービーは、混戦模様と言うのが相応しいメンバー構成となった。
一冠目の2000ギニー覇者カルディアンは距離延長はせずマイル路線に専念、ダービーには出走せず。
長らくダービーの前売り1番人気となっていたオーギュストロダンは、2000ギニー12着という結果を受けて人気を落とし、当日には1番人気の座から転落していた。
オッズ4/1(5.0倍)の1番人気だったのは、英国のトップステーブル、ジョン&シェイディ・ゴスデン厩舎が送り込んだアレスト(Arrest)。
ダービーの前哨戦たるGⅢ・チェスターヴァーズS(チェスター・3歳・牡セン限・芝2500m)で2着に6馬身半差をつける圧勝劇を演じたことでダービーの最有力候補に浮上した馬で、ランフランコ・デットーリ騎手が手綱を取った。
所有するのはジャドモントファームであり、2000ギニーのカルディアンに続き、ジャドモント×デットーリのクラシック制覇があるかと話題になった。
続くオッズ9/2(5.5倍)の2番人気には、2頭が並んだ。
1頭は前哨戦のL・ダービートライアルS(リングフィールド・3歳・牡セン限・芝2400m)を優勝したゴドルフィンのミリタリーオーダー(Military Order)で、ゴドルフィンの所有馬である。
そして、もう1頭がオーギュストロダンとなった。
ジャドモントVSゴドルフィンVSクールモア──まあ、要するに欧州競馬のいつものやつである。
人気は落としたが、オーギュストロダンに携わる関係者たちは、彼に対する評価を全く落としていなかった。
ダービーの当日、クールモアの総帥であるジョン・マグニア氏は、息子のトム・マグニア氏に対し、このように述べたという。
もし今日、ディープインパクト産駒(オーギュストロダン)がここで英国のダービーを勝つことがあれば、世界の馬産史の中でも輝かしい快挙である。
日本でもグリーンチャンネルを介し、生中継が行なわれたダービーは、現地時間13時30分に発走した。
そして我々は、歴史的瞬間に立ち会うこととなる───
2000ギニー12着からの巻き返し。
ディープインパクト産駒オーギュストロダンが、第244代英ダービー馬の称号を手にした。
10番ゲートに入ったオーギュストロダンは、馬群の外目・中団より少し後方のポジションにつけた。
道中はアレスト・ミリタリーオーダーら有力馬を前に見ながら進め、直線で大外に持ち出されると、ダービー史上最速クラスの末脚を披露。
先行抜け出しから粘り込むキングオブスティール(King Of Steel)をゴール寸前で捉え、見事に差し切った。
ライアン・ムーア騎手は英ダービー3勝目。
エイダン・オブライエン調教師は9度目となる英ダービー制覇であった。
ジョン・マグニア氏の言葉は、現実となった。
日本の内国産種牡馬・ディープインパクトの産駒が、近代競馬発祥国たる英国のダービーを優勝した──日本で内国産種牡馬が冷遇され、外国産の種牡馬たちがサイアーランキングを席巻し、マル外の馬が内国産馬を蹴散らしていた時代には、とても考えられなかったことだ。
244回にわたり、歴史を積み重ねてきたザ・ダービー。
英ダービー馬を輩出した種牡馬の名に、日本の種牡馬ディープインパクトの名が加わった。
この日、近代競馬の歴史が変わった。
オーギュストロダンは、歴史の針を動かしたのである。
日本競馬にとって、というだけには留まらない。
2023年6月3日は、世界の競馬の歴史にとって、非常に重大な1日となった。
先ほどの動画のタイトルからも、ディープインパクト産駒が英ダービーを勝ったという事実の大きさを推し量ることができよう。
Racing TVは英愛における競馬中継を長年独占してきた競馬専門チャンネルであるが、彼らは2023年の英ダービーのレース映像にこういうタイトルを付けている。
Deep Impact colt AUGUSTE RODIN wins the 2023 Epsom Derby for O'Brien and Moore.
第4節 ジキルとハイド
第244代英ダービー馬オーギュストロダンの次走には、世界的な注目が集まった。
エイダンが次に選んだレースは、自身のお膝元──英ダービーの約1ヶ月後に行われるアイルランドにおけるダービー、GⅠ・アイリッシュダービー(カラ・3歳・芝2400m)であった。
2023年7月2日、カラ競馬場の馬場状態はGood(良)。
絶好のトラックコンディションとなった当日、オーギュストロダンはオッズ4/11(約1.36倍)の圧倒的1番人気に設定された。
出走馬9頭中5頭がエイダン・オブライエン厩舎の管理馬であり、残り4頭も1頭はエイダンの長男ジョセフ・オブライエン厩舎、1頭は次男ドナカ・オブライエン厩舎の管理馬というメンバー構成。
古くはヴィンセント・オブライエン厩舎の馬が、現在はエイダン・オブライエン厩舎の馬が毎年のように優勝していることから、アイリッシュダービーはオブライエンダービーと揶揄されることもあるが、2023年もまさしくオブライエンダービーそのものと言うべきレースになった。
メンバーレベルを見ても、例年アイリッシュダービーは英ダービーよりも手薄になりがちで、この年もその通りという印象だった。
鞍上のライアン・ムーアが(意外にも)アイリッシュダービー未勝利、というくらいしかオーギュストロダンには不安要素がなく、圧倒的人気もむべなるかな。
そして、オーギュストロダンはその期待に応える見事な走りを見せた。
後方・外目から進めた英ダービーとは打って変わって、3番手・内ラチ沿いでレースを運んだオーギュストロダン。
道中、外目2番手につけていた同厩のサンアントニオ(San Antonio)が故障し落馬するという痛ましいアクシデントがあった(上の動画ではそのシーンはカットされている)が、馬群の内を進んでいたオーギュストロダンには影響なし。
最後はラビット(ペースメーカー)として先頭を走っていたアデレードリバー(Adelaide River)を余裕ある手応えで外から差し切り、見事ダービー連勝とした。
英愛ダービー馬の称号を手にしたのは、オーギュストロダンで史上19頭目。
オーギュストロダンが英国とアイルランドの2ヶ国でダービー制覇を成し遂げたことで、ディープインパクトは英愛仏日の4ヶ国でダービー馬を輩出した種牡馬となった。
騎乗したライアン・ムーア騎手は初めてのアイリッシュダービー制覇となり、エイダン・オブライエン調教師はアイリッシュダービー15勝目となった。
また、エイダンはこれがクラシックレースの100勝目という節目の勝利でもあった。
なお、このアイリッシュダービーではオーギュストロダンを含め、上位4頭をエイダン・オブライエン厩舎が独占。
5着馬アップアンドアンダー(Up And Under)もジョセフの管理馬だったため、掲示板をオブライエン一家が埋め尽くしたということになる。
これぞオブライエン大運動会、という結果で2023年のオブライエンダービーは終了した。
アイリッシュダービーの快勝で勢いづいた陣営は、オーギュストロダンをGⅠ・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(アスコット・芝2390m)に出走させることとした。
毎年7月末、英国王室が所有するアスコット競馬場で行われるKGⅥ&QESは、英国における12ハロン路線の頂上決戦として位置づけられている。
斤量的には大きなアドバンテージが与えられるとはいえ、この時期の3歳馬が古馬を相手に、アスコットの12ハロンという非常にタフなコースで行われるKGⅥ&QESを制することはとても難しいと言える。
しかし、英愛ダービー馬オーギュストロダンは当日、オッズ9/4(3.25倍)の1番人気に支持された。
この人気の裏には、オーギュストロダンの「英愛ダービー馬」という肩書き以外にも、いくつか要因があった。
1つは英ダービー後、6月下旬にアスコット競馬場で行われる英国王室主催のロイヤルミーティング(日本では「ロイヤルアスコット」として知られる)において、英ダービー2着馬のキングオブスティールがGⅡ・キングエドワードⅦ世S(アスコット・3歳・芝2390m)で3馬身半差の圧勝をし、英ダービーのレースレベルの高さを証明したこと。
7月初週、中距離戦線において初めて3歳馬と古馬が顔を合わせることとなるGⅠ・エクリプスS(サンダウンパーク・芝1990m)において、3歳馬のパディントン(Paddington)がGⅠ・コロネーションカップ(エプソムダウンズ・芝2420m)を牡馬を蹴散らし制したエミリーアップジョン(Emily Upjohn)を下して優勝していたこと。また、当時「今年は古馬勢が手薄」という評価がされていたことから、ハイレベルと目されていた3歳馬の中でも筆頭格と言えるオーギュストロダンに人気が集まったのではないだろうか。
なお、オーギュストロダンに次ぐ2番人気はエミリーアップジョンで、3番人気はキングオブスティール。
オーギュストロダンとキングオブスティール、英ダービーでワンツーフィニッシュを飾った2頭が、早くも英国12ハロン最高峰の舞台で再戦することとなったのである。
2023年7月29日、オーギュストロダンの古馬初挑戦。
しかし、このKGⅥ&QESで、オーギュストロダンは誰もが思いもよらぬ結末を迎えることとなった。
アイリッシュダービーと同じく先行策を取り、馬群の外目を追走したオーギュストロダンだったが、彼は最終コーナーを前にして手応えを失った。
残り600mから一気に加速していく他馬についていくことができず、完全にレースから脱落し、カメラからもフェードアウト。
鞍上のライアン・ムーアもマトモに追うことなく、最終的には1着馬フクム(Hukum)から126馬身離されての最下位、10着に大敗した。
一体、何が起こったのか。
結論から申し上げれば、「分からない」の一言だ。
レース後の馬体検査は異常なし、馬は健康であった。
2000ギニーと同じ大敗、それも不可解極まる大惨敗と言って差し支えない。
名伯楽エイダン・オブライエンもこれには大困惑。
2000ギニーと同じく飛行機による輸送で、英ダービーは船での輸送だったことから「飛行機が嫌いなのか?」と大真面目に言い始めるくらい、エイダンにも敗因として思い当たる節はなかったようである。
レースから数日を経て、結局エイダンは「少し渋った緩い馬場状態」と「詰まったレース間隔による見えない疲労」がKGⅥ&QESの敗因だと結論し、オーギュストロダンにしばしの休養を与えることとした。
KGⅥ&QES後、オーギュストロダンは短期放牧に出された。
そして帰ってきたとき、エイダンはオーギュストロダンの成長ぶりに驚き、自信を深めたのだという。
そんなオーギュストロダンの復帰戦はKGⅥ&QESの約1ヶ月半後、エイダンのお膝元であるアイルランドにおける競馬の祭典。
2023年9月9日──アイリッシュチャンピオンズウィークエンド1日目のメインレース、GⅠ・アイリッシュチャンピオンS(レパーズタウン・芝2000m)となった。
エイダンは「馬場が渋ることは良くない」と語り、馬場状態の悪化があれば回避するとしながらも、当日のレパーズタウン競馬場の馬場状態はGood(良)。
出走を許可されたオーギュストロダンは、リフレッシュしての巻き返しを期待されて1番人気の支持を得た。
とはいえオッズは11/4(3.75倍)、やはりファンも前走の不可解な大惨敗を不安視していた様子が窺える。
2番人気にはキングオブスティールが支持され、オーギュストロダンとは3度目の対決となった。
まだGⅠタイトルを手にしていなかったキングオブスティールの戴冠、というのには多くのファンの期待が集まったと同時に、本気のオーギュストロダンを負かすならこの馬という見方も多かったのだろう。
3番人気はルクセンブルク(Luxembourg)。
この時点でGⅠ・3勝を挙げていたルクセンブルクは、オーギュストロダンと同じエイダン・オブライエン厩舎の管理馬である。
アイリッシュチャンピオンSは連覇を狙っての出走であり、鞍上はシーミー・ヘファーナン騎手が務めた。
なお、ルクセンブルクはオーギュストロダンの隣の馬房の主であり、オーギュストロダンのズッ友であり、オーギュストロダンの調教パートナーでもある。
一方、4番人気にはナシュワ(Nashwa)が支持された。
ジョン&シェイディ・ゴスデン厩舎の管理馬で、主戦はホリー・ドイル騎手。
この馬とともにGⅠ・ディアヌ賞(フランスオークス)(シャンティイ・3歳・牝限・芝2100m)を制したことで、ホリーは女性ジョッキー初のクラシック制覇を成し遂げた。
この年のナシュワはGⅠ・ファルマスS(ニューマーケット・牝限・芝1600m)で5馬身差圧勝の公開調教をした後、GⅠ・ナッソーS(グッドウッド・牝限・芝1980m)3着を経て、GⅠ・インターナショナルS(ヨーク・芝2050m)に出走。
名手ランフランコ・デットーリが正確無比な体内時計による逃げを打ったモスターダフ(Mostahdaf)をこそ捕まえきれなかったものの、GⅠ・4連勝中だったパディントンを内から差し切る豪脚を見せ、牡馬混合でも2着に好走していた。
なお、ナシュワはそこから中1週での出走となった。
ここで負ければいよいよヤバいか、という状況だったオーギュストロダン。
しかし、このアイリッシュチャンピオンSはオーギュストロダンが持つ能力は本物だということを証明するレースになった。
2度目の巻き返し!
オーギュストロダンあっさり復活!
オブライエン厩舎の2頭に先導され、ルクセンブルクを前に見る形で競馬を進めたオーギュストロダン。
ライアン・ムーアに追い出されるや否やルクセンブルクに外から並びかけ、粘るルクセンブルクを競り落とし、更に大外から突っ込んできたナシュワを寄せ付けず。
見事、3歳にしてアイリッシュチャンピオンSのタイトルを手にした。
オーギュストロダンの種牡馬価値という観点でも、このアイリッシュチャンピオンS制覇には非常に大きい意味があった。
2歳時にはフューチュリティトロフィーで1マイル(1600m)のタイトルを獲得し、英ダービーで12ハロン(2400m)も勝っていたオーギュストロダンに不足していたのは、10ハロン(2000m)における称号。
それを手にした勝利であるとともに、3歳で強力な古馬たちを撃破してのものとなれば、まさしくヨーロッパの生産者たちのニーズに合致するものだったと言えるだろう。
なお、英ダービー馬による3歳でのアイリッシュチャンピオンS制覇は意外と難しいもので、過去にはあのガリレオやオーストラリア(Australia)すら達成できていない。
そういう意味でも、オーギュストロダンが掴んだ勝利の意味は大きかったのではないだろうか。
栄光を取り戻したオーギュストロダンの次走として、エイダンはまず重馬場になる可能性が高いGⅠ・凱旋門賞(パリロンシャン・芝2400m)を選択肢から外した。
同時に、例年大雨に開催が振り回されているGⅠ・チャンピオンS(アスコット・芝1990m)も選択肢としては挙がってこなかった。
とにかく良馬場を、ということで雨季のヨーロッパを避けるようにして、エイダンが目を向けたのは海外。
オーギュストロダンはアメリカに飛び、GⅠ・ブリーダーズカップターフ(サンタアニタパーク・芝2400m)を3歳シーズンの最終戦とすることとなった。
と、ここでネックになってくるのが輸送である。
アメリカ・西海岸のサンタアニタパーク競馬場で行われた2023年のブリーダーズカップにオーギュストロダンを出走させるためには、当然ながら飛行機輸送をしなければならない。
飛行機での輸送がオーギュストロダンの大敗の原因になっているのではないか、という仮説を捨てきれていなかったエイダンは、ブリーダーズカップのために万全を期した。
エイダンは毎年のようにブリーダーズカップに管理馬を送り込んでいるが、例年の遠征よりも早い時期にオーギュストロダンをアメリカに輸送し、現地で長めの調整を行うようにしたのである。
というわけで、オーギュストロダンは他の欧州馬たちより一足早くサンタアニタパーク競馬場に入り、目標とするBCターフに向けて調教を積むこととなった。
そして、ここでエイダン・オブライエンは発作……失礼、幻覚──でもない、新たな可能性をオーギュストロダンに見たのだという。
事件はサンタアニタパークのダートコースで起きた。
そこでいつも通り、オブライエン厩舎の馬たちは縦列を組み、一斉にキャンターを行っていた。
オブライエン・トレインとも呼ばれる縦列調教はオブライエン厩舎の名物であり、エイダンはこれを横から見て膨大な管理馬の歩様や体調、状態、馬体などを一目でチェックするのだが──サンタアニタパークのダートコースでキャンターを行うオーギュストロダンを見て、エイダンはこう思ったのだという。
ダートコースを飛ぶように、軽やかに走っている。
我々はオーギュストロダンをBCターフではなく、BCクラシックに出すべきだったのではないか?
エイダンが見たのはBCクラシックの優勝を夢見すぎるあまりの幻覚だったのか、それとも本当にオーギュストロダンはダート馬だったのか。
結局オーギュストロダンはダートレースには出走しなかったため、エイダンが何を見たのかというのは今も謎のままである(恐らくは単なる幻覚)。
ともあれこんなことも言われながら、オーギュストロダンは予定通りBCターフに出走。
3歳シーズン最後のレースだと言われており、既にGⅠ・4勝を挙げていたことからも、これをラストランとして種牡馬入りするだろうと見られていた。
2023年11月4日、レース当日のオーギュストロダンはオッズ5/2(3.5倍)で、初のアメリカでのレースにおいても1番人気となった。
オッズ17/5(4.4倍)の2番人気はトッド・プレッチャーが管理するアメリカ調教馬、GⅠ・3連勝中だったアップトゥザマーク(Up To The Mark)。
3番人気にはチャンピオンSで念願のGⅠタイトルを獲得し、中1週での参戦となったキングオブスティールが支持され、こちらはオッズ11/2(6.5倍)となった。
また、ディープインパクトを父に持つ2021年の日本ダービー馬シャフリヤールも参戦し、同じくディープインパクト産駒であるオーギュストロダンとの日英愛ダービー馬対決も注目を集めた。
好発を決めたオーギュストロダンだったが、1周目のホームストレッチに入る前にダートコースを横切る際、足下の変化に困惑したか頭を上げて嫌がる素振りを見せ、ポジションを悪くしてしまった。
しかし、オーギュストロダンを知り尽くし、彼の能力に全幅の信頼を置いている名手ライアン・ムーアに焦りはない。
2周目のバックストレッチに向かうまでにオーギュストロダンをなだめたライアンは、馬群の中で前が開くのを待つことにした。
そして、オーギュストロダンのための進路は、4コーナーに差し掛かったところで自然と現れる。
普通、小回りコースであるサンタアニタパークのコーナーを加速しながら回ると、どうしてもコーナーで馬群が外に膨れていく。
その結果として、最内に馬1頭分くらいの空間ができるのだ。
ライアンは馬群がコーナーで膨れる中、内ラチ沿いに現れた空間にオーギュストロダンを突っ込ませた。
その判断にオーギュストロダンは完璧に応え、キツい小回りのコーナーを内ラチにベッタリ張り付いたまま回ってみせ、最終直線を向くときには先頭に立っていた。
4コーナーで外を回り、直線に向いてから進路を内に切り替えたシャフリヤールを振り切り、外目から突っ込んできたアップトゥザマークを寄せ付けず。
見事にアイリッシュチャンピオンSからの連勝、GⅠ・5勝目を挙げ、飛行機苦手説もこれにて払拭された。
結局、3歳時にはGⅠ・4勝の活躍。
2023年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬の座は無敗でジョッケクルブ賞(フランスダービー)と凱旋門賞を制したエースインパクト(Ace Impact)に譲ることとなったが、アイリッシュダービーとアイリッシュチャンピオンSの勝利を評価され、アイルランド年度代表馬に選出された。
これにてスタッドイン──と思われていたのだが、クールモアスタッドは驚きの決断を下す。
BCターフ後の関係者による協議を経て、オーギュストロダンは4歳も現役を続行することが発表されたのだ。
これほどの良血馬がこれだけの戦績を残していて、現役続行という判断が下されたことは意外で、関係者の間でも驚きを持って受け止められた。
この決断の裏にはいくつかの理由があると推測されるが、血統が考えうる一番の理由だろう。
この時点で、クールモアはオーギュストロダンをアッシュフォードスタッド(クールモア・アメリカ)で種牡馬入りさせることを考えていた。
本元のアイルランドで、クールモアはディープインパクト産駒のサクソンウォリアー(Saxon Warrior)を繋養しており、このサクソンウォリアーも母父はガリレオ。
オーギュストロダンとは75%血統が一致しているため、勝鞍の違いこそあれ、どうしても需要は被ってくる。
だからオーギュストロダンの方はアメリカで種牡馬を、とクールモアが考えることも自然だと言えよう。
そして、アメリカで種牡馬をやることを考えると、欲しいのがダートのタイトル──そう、ブリーダーズカップクラシックである!
BCクラシックはエイダンの夢であると同時に、クールモアの夢でもあった。
もしオーギュストロダンがBCクラシックを勝てば、積み重ねてきた芝のGⅠタイトルと合わせ、その種牡馬価値は計り知れないほどに高まることとなる。
本当に夢のような話で、実現の可能性を考えると限りなく低いものではあるが、オーギュストロダンに対するクールモアの期待・評価の高さからくる話でもあったと言えるだろう。
年が明けて、2024年。
4歳になったオーギュストロダンは、シーズンの初戦をGⅠ・ドバイシーマクラシック(メイダン・芝2410m)とすることが報じられた。
それと同時に、オーギュストロダンの今シーズンにおけるローテーションの大まかな見通しも発表された。
ひとまずは芝レースに専念し、ドバイの後はGⅠ・タタソールズゴールドカップ(カラ・芝2100m)からGⅠ・プリンスオブウェールズS(アスコット・芝1990m)に転戦。
シーズン後半にはアメリカに飛び、GⅠ・パシフィッククラシック(デルマー・ダート2000m)からGⅠ・ブリーダーズカップクラシック(デルマー・ダート2000m)を目指す、という青写真が描かれた。
2024年3月30日──母父ガリレオの誕生日に行われたドバイシーマクラシックから、古馬としてのオーギュストロダンの戦いが再び始まった。
このドバイシーマクラシックでは、非常に豪華なメンバーが顔を揃えたが、その中でもオーギュストロダンはオッズ11/8(2.375倍)の1番人気に設定された。
2番人気は日本の牝馬クラシック三冠を達成し、GⅠ・ジャパンカップ(東京・芝2400m)で2023年の世界最強馬イクイノックスの2着となったリバティアイランド。
オッズは2/1(3.0倍)と、英国のブックメーカーにおいてもオーギュストロダンと差のない評価を受けていた。
オッズ6/1(7.0倍)の3番人気は英国12ハロン路線の女傑、エミリーアップジョン(Emily Upjohn)。
GⅠ・コロネーションカップ(エプソムダウンズ・芝2420m)で牡馬を蹴散らす勝利を挙げるなどしており、鞍上には新たにキーラン・シューマーク騎手を迎えていた。
この他にもGⅠ・天皇賞(秋)(東京・芝2000m)でイクイノックスの2着まで追い上げたジャスティンパレスや、ジャパンカップ3着馬のスターズオンアース。
GⅠ・香港ヴァーズ(シャティン・芝2400m)覇者ジュンコ(Junko)に、芝12ハロンGⅠ・3勝馬レベルスロマンス(Rebel's Romance)。
2022年のドバイシーマクラシックを制しているシャフリヤールも参戦するなど、非常に素晴らしいメンバーでのレースとなった。
が、このドバイシーマクラシックでは、悪い方のオーギュストロダンが出てしまう。
オーギュストロダンのラビット(ペースメーカー)としてポイントロンズデール(Point Lonsdale)が出走し、ゆったりとしたペースでレースは進む。
後方につけたオーギュストロダンだったが、このレースでは全く反応を見せることなく、何の見せ場もないまま最下位に大敗した。
大惨敗も3度目になると、もうファンにも関係者にもさしたる驚きはない。
レース後の馬体検査もいつも通り、まるで異常なし。
エイダンももう慣れたのか、それとも単なる諦めか、大敗に困惑する様子はなかった。
ただ、後にエイダンはこの敗戦に対して「すべてを間違えた」と語っているため、そもそも何か思い当たる節があったのかもしれない。
3歳以降、惨敗と快勝を繰り返すオーギュストロダン。
強いはずなのにムラしかない走りをするオーギュストロダンを、英国の競馬メディアはロバート・ルイス・スティーブンソンの名作小説から、このように評した。
ジキルとハイドのようだ、と。
第5節 苦難の欧州古馬戦線
ドバイシーマクラシックを大敗したものの、その評価は今更下がることもなし。
惨敗しても評価据え置き、勝てば評価が上がるという無敵状態に突入したオーギュストロダンは、ヨーロッパでの復帰戦を予定通りにGⅠ・タタソールズゴールドカップ(カラ・芝2100m)で迎えた。
2024年5月26日、カラ競馬場の馬場状態はGood to Yielding(稍重)。
雨が降る中でのレースとなり、オーギュストロダンにとっては望ましい状況ではなかったものの、出走馬の中でも飛び抜けた実績を誇るオーギュストロダンはオッズ11/10(2.1倍)の1番人気だった。
しかし、ここでもオーギュストロダンは栄光を取り戻すことができなかった。
馬群の中団から運び、馬なりのまま先頭に並びかけたオーギュストロダンだったが、彼の後ろにいた馬が、それ以上の手応えで上がってきていたのだ。
オッズ15/8(2.875倍)、オーギュストロダンと差のない2番人気に設定されていたホワイトバーチ(White Birch)。
4歳の芦毛馬で、3歳時には英ダービーで3着、愛ダービーで8着と二度オーギュストロダンの後塵を拝していたのだが、古馬になって本格化。
カラ競馬場で重賞2連勝を果たしての参戦で、このタタソールズゴールドカップで3歳時に敵わなかったオーギュストロダンと逆転する見事な走りを見せ、GⅠ初制覇を達成した。
オーギュストロダンは最終的にホワイトバーチから3馬身離されてのフィニッシュだったが、3着以下には8馬身もの差をつけていたため、一応は英愛ダービー馬としての面目を保てるレースとなった。
先述の通り馬場状態が良くなかったことが災いした形で、エイダンもレース後の敗因としては第一にそれを挙げたが、マトモに走っても勝てなかったレースはこれが初めてだったのではないだろうか。
ちゃんと走ってくれたことは良かったものの、成長力という面では疑問が残るレースであった。
ヨーロッパでの古馬シーズン初戦は歯がゆい結果に終わったものの、オーギュストロダン自身は全く馬体に問題はなく、調教も順調に積むことができていた。
エイダンは当初の予定通り、オーギュストロダンをロイヤルミーティング真っ只中のアスコット競馬場に連れて行った。
2024年6月19日、ロイヤルアスコット開催2日目。
メインレースであるGⅠ・プリンスオブウェールズS(アスコット・芝1990m)で、オーギュストロダンはオッズ13/8(2.625倍)の1番人気に設定された。
2番人気はオッズ9/2(5.5倍)、ジョン&シェイディ・ゴスデン厩舎のインスパイラル(Inspiral)。
主戦場をマイルとする馬であり、GⅠ・ジャック・ル・マロワ賞(ドーヴィル・芝1600m)連覇などGⅠ・5勝を挙げていたチーヴァリーパークスタッドの牝馬である。
2023年のGⅠ・BCフィリー&メアターフ(サンタアニタパーク・牝限・芝2000m)で初の10ハロン挑戦をクリアしており、このロイヤルアスコットではGⅠ・クイーンアンS(アスコット・芝1600m)との両睨み状態だったが、最終的にはこちらに出走してきた。
オッズ6/1(7.0倍)の3番人気はアルフレイラ(Alflaila)、シャドウェルファームの所有馬。
アイリッシュチャンピオンSでオーギュストロダンの5着になるなど、GⅠでも実績は残していた。
4歳シーズン3戦目、GⅠばかりを使っているとはいえ、ここまで勝利なし。
そして、ハッキリ言ってしまえば手薄なメンバー構成。
英愛ダービー馬として、GⅠ・5勝馬として、このまま古馬戦線で1勝もできずに終わるわけにはいかなかった。
オーギュストロダン、本来の姿を取り戻す!
当日は英国にしては珍しく晴れ、しばらく雨も降らなかったこともあり、馬場状態はGood to Firm(良)。
久しぶりに先行策を取ったオーギュストロダンは、直線で鮮やかに抜け出し、ザラケム(Zarakem)・オリゾンドレ(Horizon Dore)らフランスからの遠征馬による追撃を退け、先頭でゴールに飛び込んだ。
このプリンスオブウェールズSでGⅠ・6勝としたオーギュストロダンは、2歳・3歳・4歳と毎年GⅠを制覇している馬ということになった。
コントレイルのGⅠ・5勝を超えたGⅠ・6勝は、ディープインパクト産駒の牡馬としてのGⅠ最多勝記録になる。
また、エイダン・オブライエン調教師はこのレースがGⅠ・400勝目となる節目の勝利。
クラシックレース100勝目となった愛ダービーに続き、オーギュストロダンはまたもエイダンのメモリアルに立ち会った。
かつて126馬身差の敗戦を味わった舞台でもあるアスコット競馬場で、見事GⅠタイトルを手にしたオーギュストロダンは、次もまたアスコット競馬場で走ることになる。
1年後輩・同厩のシティオブトロイ(City Of Troy)にBCクラシック挑戦プランが浮上していたことなど、様々な事情や状況を考慮した結果、結局オーギュストロダンはダートへの挑戦はしないという方向に話がまとまった。
エイダンがオーギュストロダンの次のレースとしたのは、GⅠ・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(アスコット・芝2390m)。
オーギュストロダンにとっては、1年前の屈辱を晴らす機会が訪れたのである。
2024年7月27日、KGⅥ&QES当日。
オーギュストロダンはオッズ7/4(2.75倍)の1番人気に設定されたが、下馬評としては二強の構図だった。
オッズ5/2(3.5倍)の2番人気に支持されたゴドルフィンのレベルスロマンス(Rebel's Romance)は、上述のドバイシーマクラシック1着の後、香港に遠征。
香港最古の伝統ある決戦、GⅠ・チャンピオンズ&チャターカップ(シャティン・芝2400m)に出走し、圧倒的1番人気に応える快勝を収めての参戦となった。
元々はアメリカで使う予定だったようだが、あまりにも馬の具合が良いということで、目標を英国12ハロン路線の最高峰に切り替えてきた形である。
3番人気には4歳牝馬のブルーストッキング(Bluestocking)が推され、オッズは9/2(5.5倍)。
ジャドモントファームの所有するブルーストッキングは、3歳時にもGⅠ・アイリッシュオークス(カラ・3歳・牝限・芝2400m)2着などの実績を残していたが、古馬になって覚醒。
GⅠ・プリティポリーS(カラ・牝限・芝2100m)でエミリーアップジョン(Emily Upjohn)を差し切っての勝利を収めており、ここが牡馬混合への挑戦となった。
オーギュストロダンVSレベルスロマンス、という態勢でありつつ、そこにブルーストッキングが割って入ってくるか──という見立て。
しかし、レースには衝撃の結末が用意されていた。
制したのは、オッズ25/1(26.0倍)の伏兵ゴリアット(Goliath)。
フランスからの遠征馬で、フランシス・アンリ・グラファール調教師の管理馬。
鞍上のクリストフ・スミヨン騎手に追われることなく、馬なりのまま先頭に立ったゴリアットは、もう他馬を突き放す一方。
大外から豪脚一閃、追い込んできたブルーストッキングを寄せ付けず、余裕を残しての圧勝を飾った。
オーギュストロダンは4番手からルクセンブルク(Luxembourg)やレベルスロマンスを見ながら競馬を進め、先頭に並びかけていったものの、最後には末脚を鈍らせた。
レース後、エイダンは「馬場状態の発表はGood to Firm(良)だったが、実際にはそれよりも一段階重い感じがした。オーギュストロダンが力を出し切れる馬場ではなかった」と敗因を分析した。
結果は5着だったものの、オーギュストロダンの走り自体にはある程度の満足をしたようだった。
少なくとも、1年前のKGⅥ&QESよりもはるかに着順を上げたオーギュストロダンは、昨年と同じくGⅠ・アイリッシュチャンピオンS(レパーズタウン・芝2000m)に駒を進めた。
そして遂に、ここで長らく維持していた1番人気の座からオーギュストロダンは陥落し、オッズ9/4(3.25倍)の2番人気となる。
2024年9月14日、馬場状態はGood(良)。
当日1番人気、オッズ7/4(2.75倍)の支持を集めたのは、英国からの遠征馬エコノミクス(Economics)。
ウィリアム・ハガス調教師が管理し、トム・マーカンド騎手が主戦を務める本馬は、4戦4勝・GⅠ未勝利の3歳牡馬である。
英ダービーの前哨戦でもあるGⅡ・ダンテS(ヨーク・芝2050m)において、エコノミクスは2歳GⅠ馬エンシェントウィズダム(Ancient Wisdom)を鼻歌交じりにぶっちぎり、6馬身差の圧勝で多くの競馬ファンを驚かせた。
前走のGⅡ・ギヨーム・ドルナーノ賞(ドーヴィル・3歳・芝2000m)では大外から他馬を力でねじ伏せるような走りを見せており、初のGⅠ挑戦でも大きな期待を集めていた。
オーギュストロダンにとっては連覇のかかるレース。
矢作芳人厩舎のシンエンペラーが出走していたこともあり、日本国内でも非常に高い関心が持たれた。
豪脚、わずかに届かず───
オーギュストロダンは後方馬群からレースを進め、最後の直線では一足先に抜け出したエコノミクスを猛追。
素晴らしい脚を繰り出して先頭に並んだものの、最後は粘り込むエコノミクスをクビ差捉えきれず、2着に惜敗した。
なお、このレースに関して、後にライアンは「自分自身に腹を立てた」と語っている。
シンエンペラーの進路をカットしながらも、エコノミクスを捕まえるようジャストタイミングで追い出すという見事な騎乗をしたように見えたのだが、ライアンからすれば悔いが残るレースになったようである。
ここでも高い能力を感じさせる走りをしたオーギュストロダンだが、一方で古馬になってからのレースでは苦戦を強いられた。
ドバイは度外視するにせよ、それ以降は「真面目に走ったのに負けた」というレースも多く、3歳時ほどの勢いを感じる走りにはならなかった。
古馬になると負担重量が増加するため、馬体がさほど大きくないオーギュストロダンにはこれが響いた、という説もあるが、流石に3歳時からの更なる上積み・成長はさほどなかったというのが個人の印象である。
ともあれ、4歳シーズンも終わりが近づき、いよいよオーギュストロダンのラストランについて考えなければならなくなった。
そして、エイダン・オブライエンは大きな決断をすることとなる───
第6節 彼が最後に駆ける地は
ディープインパクトのラストクロップ、オーギュストロダン。
それでいて、GⅠ・6勝を挙げている英愛ダービー馬。
クールモアにとっても、エイダン・オブライエンにとっても、ライアン・ムーアにとっても、オーギュストロダンは特別な馬になっていた。
そのラストラン、キャリア最後の戦いの舞台として選ばれたのは、父・ディープインパクトの故郷にあるビッグレース。
2024年で第44回を数える、日本の国際招待競走。
毎年11月末、東京競馬場において行われる、日本における中距離最高峰のタイトル──そう。
GⅠ・ジャパンカップ(東京・芝2400m)。
2023年、IFHAのワールドGⅠトップ100ランキングにおいて、アジア圏のレースとして初めて第1位を獲得。
正真正銘、世界一のレースの1つとして認められた、その名の通り日本を代表する競走である。
エイダンがオーギュストロダンのジャパンカップへの出走を表明したのは、アイリッシュチャンピオンSの前であった。
アイリッシュチャンピオンSの結果次第で日本に遠征し、ジャパンカップを使うとされており、クビ差の2着という結果でゴーサインが出たのである。
9月中旬のアイリッシュチャンピオンSから11月末のジャパンカップまではレース間隔が開くため、馬場状態次第ではGⅠ・凱旋門賞(パリロンシャン・芝2400m)を使うという案もあったが、例年通りパリロンシャン競馬場は重馬場となった。
オーギュストロダンは凱旋門賞を使わず、約束されたパンパンの良馬場を求めて、帯同馬ヒプノーシス(Hypnosis)とともに極東の島国へ飛んだ。
2024年11月14日、オーギュストロダンを載せた飛行機は16時7分、東京の成田国際空港に到着。
そこからは陸路を移動し、同日20時15分──約27時間半の輸送を経て、オーギュストロダンは東京競馬場の内馬場にある国際厩舎に入厩した。
さて、クールモアグループによるジャパンカップ挑戦は、過去にも幾度か行われてきた。
1999年にはモンジュー(Montjeu)がスペシャルウィークの4着になるなどしており、エイダンも何度か管理馬を送り込んでいる。
しかし、オーギュストロダンの出走に際して、クールモアはこれまでのジャパンカップ遠征とは全く違う動きを見せた。
レース当週、水曜日の朝に東京競馬場で行われたオーギュストロダンの追い切りを陣頭指揮するため、エイダン・オブライエン調教師自らが初来日。
インタビューにも応え、JRAの美浦トレーニング・センターを見学するなど、世界一の調教師の動向には日本の競馬メディアの注目も集まった。
その息子であるジョセフ・オブライエン調教師とドナカ・オブライエン調教師も、管理馬が参戦するというわけでもないのに来日を果たした。
また、クールモアもマイケル・ヴィンセント・マグニア氏、トム・マグニア氏、ポール・スミス氏ら中核メンバーが揃って来日している。
クールモアの総帥ジョン・マグニア氏やオーギュストロダンの筆頭馬主であるマイケル・テイバー氏、デリック・スミス氏こそ姿を現さなかったが、彼らはもう高齢という事情もある。
その息子たち、クールモアの次代を担う幹部たちが日本にまでやってきたというのは、今回のジャパンカップに対する本気度、日本競馬に対する注目度を感じさせた。
2024年11月24日、良馬場の東京競馬場。
ジャパン・オータムインターナショナル・ロンジン賞──第44回ジャパンカップのパドックで、オーギュストロダンは日本の競馬ファンにその姿を披露した。
まさしく凱旋──ディープインパクト産駒のラストクロップにして、GⅠ・6勝の英愛ダービー馬が、かつて父が駆け抜けた舞台に上がったのである。
その鞍上は勿論、今年もJRA短期免許を取得して一足先に来日していた主戦、ライアン・ムーア騎手。
パドックにはエイダン・オブライエン調教師が現れ、レース直前のオーギュストロダンを見守った。
第2の母国とも言える日本で、オーギュストロダンはオッズ9.8倍の4番人気に支持された。
オッズ2.3倍の1番人気は、日本のレジェンド・武豊騎手が主戦を務めるドウデュース。
前走のGⅠ・天皇賞(秋)はスローペースの中、最後方から上がり3f32.4秒という異次元の末脚を披露し、2馬身差の差し切り勝ち。
GⅠ・4勝目を挙げ、日本の現役最強馬としてオーギュストロダンの前に立ちはだかった。
ドウデュースの父ハーツクライは、オーギュストロダンの父ディープインパクトに2005年の有馬記念で先着。
無敗の三冠馬ディープインパクトから「無敗」を奪い取った馬だった。
ディープインパクト産駒たる英愛ダービー馬オーギュストロダンを迎え討つのが、ハーツクライ産駒の日本ダービー馬ドウデュース。
そして、その鞍上が生涯ディープインパクトの手綱を取り続けた武豊騎手だというのは、血のドラマ・因縁を感じざるにはいられないものだろう。
2番人気はクリストフ・ルメール騎手が騎乗するチェルヴィニア、オッズは4.0倍の支持を受けた。
2024年はGⅠ・優駿牝馬(オークス)(東京・3歳・牝限・芝2400m)とGⅠ・秋華賞(京都・3歳・牝限・芝2000m)を制し、牝馬二冠を達成。
1年前の三冠牝馬リバティアイランドと同じく、秋華賞の後にジャパンカップを選んだというのは、陣営の自信が窺えるローテーションであった。
3番人気に支持されたのはジャスティンパレス。
2023年のGⅠ・天皇賞(春)(京都・芝3200m)を制し、2024年はドバイシーマクラシックでも4着に好走、12ハロンという距離でもやれるところを見せていた。
そして、この馬もディープインパクト産駒である。
また、2022年の二冠牝馬スターズオンアースや、GⅠ・インターナショナルS(ヨーク・芝2050m)で5着に健闘した2023年の菊花賞馬ドゥレッツァ、アイリッシュチャンピオンSで3着に入ったシンエンペラーなど、まさしく群雄割拠という様相。
ジャパンカップに挑む日本馬は、今年も非常にハイレベルなメンバーが揃っていた。
オーギュストロダンの他にも、海外馬はKGⅥ&QESで圧勝劇を演じたゴリアット(Goliath)と、2024年にはGⅠ・バーデン大賞(バーデンバーデン・芝2400m)を勝ったドイチェスダービー馬ファンタスティックムーン(Fantastic Moon)が参戦。
日本・アイルランド・フランス・ドイツ──4ヶ国のトップホースが集結し、国際色を取り戻したジャパンカップの中でも、オーギュストロダンは間違いなく主役の1頭となった。
日本時間15時40分──オーギュストロダン、最後のレースがスタートした。
結果として、オーギュストロダンは有終の美を飾ることはできなかった。
馬群のちょうど中団というポジションを取ったオーギュストロダンだったが、シンエンペラーとドゥレッツァが作り出した乱ペース・スローペースに苦しめられ、自らの走りのリズムを保つことができなかったと、レース後にライアン・ムーアは敗因として挙げている。
完全に残り600mからの末脚勝負の競馬となり、日本の軽い馬場に適応した日本馬たちについていくことができず、なだれ込むようにゴール。
末脚を活かし切ることができず、8着に敗れた。
ジャパンカップを制したのは、武豊騎手に導かれた1番人気馬ドウデュース。
スローペースの中、今回も最後方でジッと待機したドウデュースは、何と4コーナーから進出。
まさしく超ロングスパート、それでいて上がり3f32.7秒というスピード違反の末脚を見せ、前残りの2頭をしっかりと捉えきっていた。
ジャパンカップで勝つことはできなかったが、レース終了後の東京競馬場ではオーギュストロダン引退お披露目式が執り行われ、日本の競馬ファンの前に彼はその姿をもう一度披露した。
クールモアからの打診で実現したというオーギュストロダン引退お披露目式には、馬主としてはマイケル・ヴィンセント・マグニア氏とポール・スミス氏、トム・マグニア氏が登壇。
勿論、オーギュストロダンを管理したエイダン・オブライエン調教師と、主戦のライアン・ムーア騎手もインタビューに応えた。
約1万5000人ものファンに見守られる中、オーギュストロダンはその競走生活にピリオドを打った。
東京競馬場のフジビュースタンドから煌々と照らされたライトの中で、夜の闇に溶けるように──それでいて美しく輝くオーギュストロダンの漆黒の馬体は、今も多くの競馬ファンの目に焼き付いていることだろう。
オーギュストロダンの勇姿を見届けた日本の競馬ファンの思いは、結局のところ、本馬場入場時にアナウンサーが告げた言葉に集約されるはずだ。
最後に日本を選んでくれて、ありがとう。
最終章 次世代へとつながる名血
ディープインパクトとガリレオ、日欧のスーパーサイアーが生み出した名馬、オーギュストロダン。
わずか12頭のディープインパクトのラストクロップから、オーギュストロダンという馬が現れたことを「奇跡」と言う人もいるが、私はそうは思わない。
社台グループとクールモアグループ、日本とヨーロッパのホースマンたちのたゆまぬ努力の結晶こそがオーギュストロダンであり、その活躍は奇跡などという偶然の代物ではなく、必然的なものだったと言うべきではないだろうかと感じるのだ。
そして、オーギュストロダンは数多の名馬に騎乗してきたライアン・ムーアをして、「私が乗ってきた中で最強の馬」だと言わしめた。
リップサービスもあるかもしれないが、ディープインパクトの子が世界的名手ライアン・ムーアからそう評してもらえたというのは、日本の競馬ファンにとってはとても喜ばしく、胸が熱くなることなのではなかろうか。
16戦8勝──強い勝ち方を見せたかと思えば、あるときはコロッと大敗してしまうピンパーの馬柱は、どこか清々しいと感じさせるものがある。
それでいて英愛ダービーを制覇し、GⅠ・6勝という輝かしい成績をおさめたオーギュストロダンは、間違いなく世界の競馬の歴史に名を刻む名馬であった。
2025年から、オーギュストロダンはアイルランドのクールモアスタッドで種牡馬として繋養される。
種付け料は3万ユーロ(約495万円)。
同じくディープインパクト産駒で、クールモアスタッドに繋養されているサクソンウォリアー(Saxon Warrior)の初年度と同じ金額に設定された。
種牡馬オーギュストロダンを取り巻く状況は、決して良いと言えるものではない。
クールモアスタッドでの種牡馬入りこそ果たしたものの、父ディープインパクト・母父ガリレオはサクソンウォリアーと全く同じ。
距離適性の違いこそあれ、既にGⅠ馬も送り出しているサクソンウォリアーと、繁殖牝馬の取り合いになることは避けられない。
そして、母父ガリレオに加え、クールモアに根付く名牝系を持つがゆえに、配合の相手はどうしても限られてきてしまうだろう。
また、2018年にGⅠ・ジョッケクルブ賞(フランスダービー)(シャンティイ・3歳・芝2100m)を優勝したディープインパクト産駒スタディオブマン(Study Of Man)は、2023年から初年度産駒がデビュー。
その頭数は30頭前後と少数だったが、2歳重賞の勝ち馬が出ている他、カルパーナ(Kalpana)がGⅠ・ブリティッシュチャンピオンズフィリーズ&メアズS(アスコット・牝限・芝2320m)を優勝し、わずかな初年度産駒からGⅠウィナーを誕生させた。
2022年の凱旋門賞馬アルピニスタ(Alpinista)もスタディオブマンと交配されるのだから、生産界のスタディオブマンへの期待値は非常に高い。
こちらは母父がストームキャット(Storm Cat)で、母父ガリレオの馬よりは欧州での配合相手の選択肢も広く、種牡馬オーギュストロダンにとっては厄介な競合相手となっていくことが予想される。
しかし、オーギュストロダンはこれまで、その走りで様々な記録を打ち立ててきた。
こんなことが本当に起こるなんて、と人々に思わせる蹄跡を、ターフに刻みつけてきた。
種牡馬としても、オーギュストロダンは何か──世界の競馬史にとって大きな意味を持つような出来事を引き起こしてくれるのではないかと、私は期待せずにはいられないのである。
名種牡馬に名牝系、オーギュストロダンの持つ名血を受け継いだ馬たちが走る新しい時代を、今はただ楽しみにしたい。
非常に長い記事となったが、ここまで読んでくださった方がいれば、深く感謝を申し上げる。
最後に、オーギュストロダンの引退お披露目式からこのフレーズを引用することで、本稿の締めとしよう。
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