お江戸の極上スパ、銭湯の話
この暑さ、果たしていつまで続くのか。
何をしなくとも滝のように汗が流れてきますね。
そうなりますと『仕事なんざうっちゃって風呂だ風呂!』
となるのは当世だけではないようでして・・
そんなワケで本日は
『江戸のお風呂のお話』
お江戸の夏の過ごし方、その2とでも題しましょうか。
江戸っ子はお風呂好き。
今のように各家庭ごとに風呂はありませんでしたので、
近所の湯屋(銭湯)に通うのが当たり前でした。
江戸の道路は、今のようにアスファルト・コンクリートではなく、
土や砂利の地面です。しかも町人たちは、裸足に下駄・わらじを履いて生活しているわけですからどうしたって土埃で汚れます。
そうなりゃ
手ぬぐいひとつ引っ掛けて湯屋へGO!です。
それだけでも十分ですが、
女性はボディソープ&スポンジ代わりに、もち米の糠袋を持参しました。
毛切石(脱毛)、ヘチマ水(化粧水)、烏瓜の実(白粉・保湿)
なんかも持って行きました。
日に何度も通うのであれば、一ヶ月入り放題フリーパス「羽書」(はがき)を買うのがお得でした。営業時間は朝8時〜夜8時まで。
二階は休憩所になっていましたので、
湯上りにお茶やお菓子を楽しみながら駄弁ったり、将棋を指したり、芝居や落語のポスターなんぞを見たりして・・・
そしてまた汗をかいたら風呂に入る・・・
それを朝から晩まで延々ループし、日がな一日湯屋で過ごすようなご隠居や放蕩息子もいたようです。
そして
江戸の初期は、ほとんどが混浴(入り込み湯)でした。
寛政の改革により男女別になってゆきます。混浴だった頃、若い娘が男たちからちょっかいを受けないようにと、年配の女性たちが囲いを作ってくれたとか。現代からはちょっと考えられない状況ですが、当時はそれしか手段がありませんのでそういうものだ、と捉えていました。
それに
江戸の風呂は、蒸し風呂でした。洗い場は湯気がもうもうと立ちこめ、中は暗くてほとんど見えなかったと言います。
浴室の入り口を柘榴口(ざくろぐち)と言います。この鴨居の低い入り口を屈んで入りると、浴槽になっています。
ちなみになぜ柘榴口という名称なのかと言いますと。当時柘榴は鏡を磨くために使われていました。
鏡鋳る(かがみいる) →かがみいる →屈み入る→屈んではいる
だから柘榴口。
まじかよ、と思いますけれど
江戸の人は語呂合わせや駄洒落が大好きでしたので、そういう
冗談みたいな渾名で呼んでいたことから定着していったのでしょう。
江戸の湯屋に欠かせない存在として
三助(さんすけ)という職業がございました。
お客様の背中を流す職人です。
垢すり・マッサージでコリをほぐしながら客の話し相手をする・・
江戸っ子の心と体を癒す職人です。
女性客でも三助に流しをお願いすることができました。
↑さて本日の写真たちは
『忘れな三助〜大江戸絢爛湯屋物語〜』の舞台写真。江戸の湯屋『亀の湯』に勤める三助が主人公の物語でした。
ご覧の通り、
ふんどし&前掛けスタイルのお湯も滴るイイ男たちが
元気いっぱい活躍するお話でございました。
(またいつか上演したいですね)
サテ、私もこれからひとっ風呂浴びてくるとしますか。
参照:
『風呂のはなし』山田幸一・大場修
『入浴と銭湯』中野栄山
『江戸入浴百姿』花咲一男
『一日江戸人』杉浦日向子